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月刊サティ!|ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会)

巻頭ダンマトーク

楽屋話@巻頭ダンマトーク

★「巻頭ダンマトーク」の休載が続いているので、読者に何かお知らせを書くように編集長から命じられました。
 「休載」は今に始まったことではなく、以前は「月刊サティ!」そのものが「休刊」や「合併号」を繰り返しておりました。
 いずれも私の担当する原稿が遅れたことが原因です。

 今回改めて振り返ってみましたが、遅筆タイプの私にとって「月刊サティ!」を発行し続けるのはかなりの負担でした。
 常時執筆する原稿がある上に、朝日カルチャーの講義録の準備が大変で、「巻頭ダンマトーク」1回分の労力に匹敵するのです。
 10年以上連続受講しているリピーターが多く、一度完成した講義録の使い回しはできず、毎回新しいダンマの情報を盛り込まなければなりません。構想を練り、資料を調べ、パワーポイントを作成し、テーマに即した事例を検討したりする時間と労力は相当なもので、スラスラと小説を早書き、〆切も厳守し、瞑想もする作家の噂を耳にすると『ああ、才能のある人が羨ましい』と嘆息することもしばしばです。

 ここで、これまでの「巻頭ダンマトーク」の楽屋話をすると、ボランティアの方が朝カルや瞑想会での法話をテープ起こしされ、その原稿を基にして初代編集長が叩き台を作成、最後に私が相当な加筆訂正を施して完成稿を仕上げていく流れでした。講座のダンマトークが「月刊サティ!」の巻頭ダンマトークに化けていたのです。
 非力な私にとって、講座のダンマトークを月に2本仕込んだ上に、「月刊サティ!」の巻頭トークを毎月執筆するのは大きな負担となってきたのです。

 瞑想とダンマの普及に生涯を捧げてグリーンヒルのダンマ活動を続けてきましたが、砂時計の残量が残りわずかとなった今、自分の修行時間を犠牲にして諸々のタスクをやり遂げるのは道ではない、と感じてきた昨今です。情報発信は長年やってきたのだから、やれたらやる、書けたら書く、のマイペースにしないと、森林僧院から帰国したくなくなるかもしれない…。
 現に、僧院のアチャンからは「ここで死ねば…」と誘われたりもしており、また私を頼りに瞑想している方々の引力もあり、ヤジロベーが揺らいでいます。最後は、私の内奥の声というか「意欲(チャンダ)」がどちらかに傾き、受け身に徹した「受動的意志決定」がなされていくのでしょう。

 全託の生き方をして四十年、何事も自分の意志で決めることはなく、頼まれごとを引き受けながら、宿業の押す力に身を委ねていたらいつの間にか瞑想の先生になっていた人生でした。
 これからも否応のない縁起の網目に織り込まれ、流され続けていくでしょうが、今回はこんな文章を書いたというか、書かされたというか、筆の流れにみちびかれてここまでたどり着いたしだいです…。

「私の瞑想体験ー瞑想で訪れた人生の転機」(旧「Web会だより」改め)

『見失われた私 生きている実感』①  大門満痴子

  アルコール依存

 瞑想を始めたのは約2年前の2023年5月ごろの49歳、このころのわたしは精神的にも体力的にも追いつめられていました。わたしは訪問診療もしている地方の内科医です。2020年から始まったコロナ禍で仕事は多忙となり、その年4月から始まった父親の介護。更年期の体調不良と体力の低下。2022年頃からライフパートナーのアルコール依存…。
 2023年の元旦、わたしは打ちひしがれていました。それまでガバガバ飲んできたお酒を12月から一切断ったところでした。元旦の恒例で、おせちと雑煮を食べた後にパートナーと1年の計を話し合いました。「アルコールは週末の夕方のみ、節度をもって飲むこと」という約束をしたはずでしたが、仕事の臨時呼び出しで出かけ、昼に戻ってきたとき…。テーブルの上にウイスキーの小瓶があり、その横に酔いつぶれて倒れているパートナーがいたのです。

  わたしは地元で数人の医師が勤務する診療所に勤めていましたが、コロナ禍で病院ではクラスターが発生、入院中ほとんど面会ができないため在宅療養を希望する方が一気に増え、しかも癌の末期など死が近い方、病状が重く不安定な方が多くなっていました。訪問診療の件数が増える一方でコロナ禍でのPCR検査など新たな内容が増え、感染対策のため労力も増える中、なかなか訪問診療医は定着せず、2019年からほぼ一人で対応する状態が続いていました。
 しかも支えてくれるライフパートナーは仕事を辞めた状態で、夜に帰るとハイボールやストロング缶を飲んで酔っており、そのまま夜中にひとりで飲み続けて朝になってもアルコールが切れない状態になっていました。パートナーが倒れてしまったら今の状態では仕事に対応しきれない…、何よりアルコール依存の状態は手遅れになる前に何とかしなければと思い、週1回、夜に一緒に断酒会に通い始めました。

  どうしたの、私

 ちょうど、その正月休みに、高校の友人たちと久しぶりに喫茶店で集まりました。年末にあった甥の結婚式の話をしていた時でした。結婚式の記念写真を友人たちに見せて、「お嫁さん、めっちゃかわいいねー」と言われた時、「こぶつきだよ!そろそろ3歳で物心つくから、結婚してくれって言われたんだってさ!」と、新婦を辱めて責めるような、思いもかけない言葉が自分から出てきたのです。『!?』 これは…?まさか自分の口から、このような言葉が出るとは。幼い子供がいる女性が再婚して悪いわけはなし、甥っ子も子供をかわいがってる。彼女は礼儀正しくて、ここ数年わたしにもよくしてくれて、心から祝福していたはずなのに…。人を癒す言葉を使うよう注意してきたつもりだったのに…どうした、わたし?嫉妬?なんで彼女に?かわいい甥っ子の結婚式だよ?
 自分でも訳が分からず、これは何か自分の心に異変が起きていると思いました。仕事はできているし、人間ドックの結果や自分で追加した検査項目も問題なかったので、病気ではないだろうと思いましたが、しかし、思ってもいないような悪口が自分の口をついて出たのです。心の奥底にあるような怒りや感情が噴き出す…。でも、自分の心がわからない。他にも、今の職場での働き方はつらく、限界に近くなっていることが分かっているのに、自分がどうしたらいいのか、どうしたいのかわからない。考えを進めることができず、身動きが取れないような感覚‥何か、「自分自身にアクセスできない感じ」、「自分で自分が分からなくなる感じ」がありました。
 今のままでの自分では何をやっても、どこに行ってもダメなような気がして、何か根本的なものが欠けているような気がしていましたが、それが何か、どうすればよいのかわからないという状態でした。

 そうだ、瞑想があった・・

 そういえば、小さいころから「身体は手入れしながら使っていくものだ」といわれ、「身体の手入れ」に関しては厳しく言われて意識してきたけれど、「心の手入れ」は意識もしたことがなかった…。ずっと頑張ってきたけれど、生きづらさみたいなものもあるし、壁にぶつかっている感じ。ここのところつぎつぎと問題が重なり、つらい状況なのも、わたしのこころや考え方などになにか問題があるのかもしれない。なにか、心の手入れ(メンタルケア)になるようなことをした方がいいかもな…と考え、まずはカウンセリングや認知行動療法を受けてみましたが、何かピンときませんでした。
 そんなとき、本棚にある地橋先生の「ブッダの瞑想法」が目に入ったのです。数年前に本屋で立ち読みし、仏教というよりも瞑想についての科学的な解説もあり、しかも実践的な内容だったので、いずれは読んでみたいと思って買っておいたのでした。しかも、瞑想をするには五戒として「お酒飲んじゃダメ」という条件がある。今の私にぴったりだわ(自分をきちんと見つめ直したい。だけど、とりかかりが分からず、断酒だけで早くも心が折れそう…)。マインドフルネスもメンタルケアによく挙がるけど、その源流である瞑想を、きちんとした先生について教えていただいた方がよさそう。
 そして、そのころ読んだ「サピエンス全史」も瞑想をする動機になりました。作者である歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの、詳細な描写。…歴史と言えば「1192年鎌倉幕府ができました」みたいな出来事の羅列しかイメージになかった私にとって、当時の食べ物、服装、文化、人々が何を大事にしてどんな生活をしていたのか、その時代にタイムスリップして見てきたような書き方に感動したのです。そして、彼は毎日2時間は瞑想していると知って、瞑想でこんなに頭の働きが良くなるなら、これはもう自分もするしかないと思ったのでした。彼のパートナー(夫!)が同性、つまり自分と同じ同性愛者であるということ、そしてそれを公表しているのも、偏見を恐れて親しい肉親や友人以外はほどんど公表できていないわたしには素晴らしいことのように思えました。彼のように頭が良くならなくても、よりよい生き方が見つかるかもしれない…と期待しました。

季節の写真

益子つつじ

笠間美術館新緑

先生と話そう

準備中

今日のひと言

2026年5月号

(1)
★やり場のない不満や怒りが、スケープゴート叩きの集団ヒステリーになりかねないご時世。
 今こそ、意識の矢印を外界から自分自身の内側に向けるヴィパッサナー瞑想が必要なのではないか。
 もし怒りや苛立ちが自覚されたら、一転、自分よりも苦しんでいる人達に向けて慈愛の念を放つ瞑想で乗り超える……。
……………………
(2)
★孤独にならなければ、瞑想はできない。
 「思考を止めよ。イメージに手を出すな。物事を概念化せず、あるがままに如実智見せよ」と求められているからだ。
 街を出歩き、人と交わり、俗事に執着していて、妄想が止まるだろうか。
 瞑想修行に入ることを「リトリート(撤退・隠遁)に入る」と言う。
 俗世を離れて、僧院に籠るからだけではない。
 眼耳鼻舌身の五感の対象に手を出さない覚悟を定めるからだ。
 この世から限りなく撤退した果てに、執着を完全に手放す瞬間が訪れる……。
……………………
(3)
★食べ過ぎて頭がボーッとしている状態が、瞑想には最悪だ。
 体を整え、意識の透明度を増し、瞑想を深めるには、食をコントロールしなければならない。
 労働するなら完食すべきだが、瞑想にはバランスのよい食事を腹六分目程度がよい。
 つまり、食欲に抗い、もっと食べたいのに、止めなければならない。
 瞑想は、アンチ煩悩、反自然を本質とし、世の流れに逆らうもの……。
……………………
(4)
★透明な体感が得られても、心にわだかまり執着しているものがあれば、瞑想は破綻する。
 人を赦し、自分を赦し、己の運の悪さ、ネガティブな暗い宿業を受け容れなければ、心に重くのしかかる闇が晴れることはない。
 無差別殺人鬼の仏弟子アングリマーラが黒い塊を吐き出して解脱した史実ほど、懺悔の瞑想の励みになるものはない……。
……………………
(5)
★事実をありのままに客観視するマインドフルネスを妨げる天敵は、巧妙に侵入してくるエゴ感覚だ。
 良い瞑想ができている感動→嬉しさ→自己満足→得意満面→傲慢……。
 諸々の条件がたまたま揃っただけなのに、それを自分の手柄と錯覚する妄想にサティが入らないのだ。
 「感動」にも「嬉しさ」にもサティが入らず、自惚れている自分を対象化できない愚かさ。
 傲慢なエゴ妄想が展開してしまう反応パターンを書き換えてくれる懺悔の瞑想……。

瞑想 山小屋だより

緑! 緑! 緑! 花! 花! 花!

 待ちに待った春! 八ヶ岳南麓の春は一気にやってくる。八ヶ岳や南アルプス、富士山の雪が少し少なくなったか、と思うころから季節は劇的に変化していく。枯れ野原だったところに小さな草が芽吹き始めたかと思うと、翌日には青々としている。これは誇張ではない。地表から20センチほどは凍るという我が庭にもフキノトウがいっぱいに顔を出して、近くを散歩しているとツクシやコゴミが生えている。ここで「散歩」と書いて「歩く瞑想」と書かなかったのは「不妄語戒」を守らねばならないからだ。あまりの嬉しさにサティがすっ飛んでしまった! 「ツクシだ! 」「あそこにもフキノトウ! 」とやっていては到底淡々とウペッカーを貫く態度にはならない。しかし厳しい冬の寒さを越えた春の喜びは、今までの都会暮らしでは一度も味わったことのないものだ。
 冬に入ったころ、深い森だと思っていた奥にぽつりぽつりと家があることに気がついた。隠していた木々が葉を落とし、枯れ枝の隙間から灯りが漏れて見えるようになったのだ。今度は逆に日ごと緑で覆われ、森の中に家々が消えてゆく。冬枯れの死んだようだった木々の梢の先が少し薄茶色に変わって、小さな小さな葉芽が現れ、そこからはぐいぐいとまるで音を立てて伸びていくかのように緑の森に変貌していく。
 緑だけでも感動的なのに、一斉に花が咲いていく。梅、桃、桜、辛夷、連翹、雪柳、山吹…ひと月ほどの間に山を、野原を埋めていく。また自生している多種多様な水仙も、庭先に道端に、野原にお構いなしに咲き誇る。この生命力のなんと力強いことか。
 地球の生命システムは、捕食-被食の関係になっている。食べる側、食べられる側、どちらに感情移入するかによって、空腹のチーターとその子供たちを哀れに感じるか、逃げ遅れたガゼルを可哀想に感じるかに分かれる。実際はどちらも哀れな存在である。つまりこのシステムこそが「苦」であると思う。地球に生きねばならないことを「煉獄」のようだと思うこともある。「一切皆苦」そのものだ。だが、それでもこの春の美しさ、喜びはどうだろう。生命の讃歌のようだ。
ブッダは最後の旅の途中で、ヴェーサーリー近郊でブッダは「ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい……」(訳は多種多様であるが)と語られたと大パリニッバーナ経にある。実は最初に中村元先生訳の「ブッダ最後の旅」を読んだ時から、この文言に引っかかってきた。「全ては苦である」「どんな美しいものも変容してしまう」と繰り返し教えておられるブッダが、ご自身の命の終焉を前に何故このようなことを言われたのか?
変移してしまうからこそ、美しいと思われたのか? いや、そうではないように思う。真剣に生きている命を愛おしむ「慈悲」から生じるものだろうか? ここに引っかかった私は、中村先生以外の訳にも当たってみた。「この世は美しい」「この世は楽しい」「この世は麗しい」などの訳があった。それぞれに微妙に意味が違うではないか。「美しい」と「楽しい」では全く違うし、「麗しい」も少し違う。だが、どれを取っても肯定的な意味であることは間違いなさそうだ。「苦であるこの世を生きる命を愛おしむ」としたら、それは大乗仏教に通じるようにさえ感じる。
しかし、パーリ語やサンスクリット語は皆目分からない以上、訳語に頼るしかないし、それでさえ、2500年も前に生きた人が呟いた言葉だ。おそらく聞いていたのは、常に傍にいたアーナンダひとりであって、アーナンダの記憶による記録だろう。日本についての最初の記述が「卑弥呼が魏に使いを送った」という中国側の記録で、それが紀元後3世紀以降であることを思うと、ブッダの言葉ひとつに拘ることの心もとなさを感じざるを得ない。そんなことよりも、ブッダが残された修行の方法に従って粛々と歩むことの方が、ずっと大事なのかもしれない。たとえ本当にブッダが「美しい」と言われたとしても、その美しさに執着なさったはずがないからだ。
そう思いながらも、この美しい春の有様を喜び、愛おしみ、心浮き立つことをどうすることもできない。せめて「美しいと思った」「心が弾んでいる」とサティを入れることにしよう。

ダンマ写真

下館道場面接室立像

サンガの言葉

準備中