八ヶ岳南麓を散策していると、時々不思議な家やオブジェ、不思議な人にめぐり合う。
私が散策するのはざっと1キロ圏内なのだが、車の通る道をできるだけ避けて、土や砂利の道か、林の中の獣道を歩いている。腰高の草を踏み固めながら「トトロの道」と勝手に呼んでいる獣道を歩いていくと、小さな小川に行き当たる。石の間をチョロチョロ流れている程度の水量で、川底に下りれば歩いて渡ることもできる。その川に沿って上がっていったら、不思議な光景にぶつかった。さほど大きくない家の庭に、大きなクルーザーがどーんと設置してあるのだ。きちんと手入れされていて、廃棄されたものには見えない。
 山の中にはミスマッチなこの光景を見て色々思いを巡らせた。これはいったいどういうつもりでここに置かれたのだろう? 川沿いであるから、大水が出たときに乗って逃げる? 小川と見えても、ここは伏流水豊かな「水の山」といわれるところ。ひとたび大雨が降れば見違えるような濁流となる。しかし、それにクルーザー(しかも大きい!)が飲み込まれれば木っ端微塵だろう。
 「ノアの方舟」だろうか? ちまた巷で噂されるような日本が沈没するような大津波が来たときに、家族全員で乗り込んで漂流するとか? ここは標高千メートルなので、さすがにそんな津波はないだろう。現実味が薄い話だが、そういうことを真剣に考える人もいるかもしれない。
 または青春をクルーザーやヨットに捧げた人が、その思い出を大事に、ここに持ってきたのか? 稀ではあるが、そういう富裕層もここには住んでいる。
 そうこうしているうちに、夫がその別荘のオーナーと顔なじみになり、色々と話をする仲となった。本宅は東京都内で、このクルーザーは沼津で使っていたらしい。ここに家を建てる時にはるばる運んできたという。なにせ大きなものなので、高さ制限にひっかからないよう、ルートを何度も確かめ、ゆっくりゆっくり搬送したそうだ。費用も時間も手間も大変だっただろう。しかし別荘の窓から愛するクルーザーを見るのは幸せなことらしい。なんという贅沢!
 ご本人は大手建築会社の寺社仏閣の設計士さんだったそうだ。寺社仏閣とはまた興味をそそられる。今度は私がお近づきになってお話をうかがいたい。以前、寺社仏閣を修理復元する大工さんと話をする機会があったのだが、普通の住宅とは桁が違う技術を求められるらしい。今どきは寺社仏閣でも現代風の工法で建てるのかもしれないが。
 さて、それで、ここにクルーザーがある理由なのだが、「加山雄三に憧れて」だそうだ。想像もしていなかった理由を聞いて、思わずがっくり肩を落としてしまった。そうか、人が何かをする理由に、そんな大仰なものは必要ないのかもしれない。単純な思い入れが毎日の幸せを運んでくるのかもしれない。もっと驚いたことに、ご本人はヨットもクルーザーも操縦しないそうなのだ。加山雄三のように外洋に出たいとかはなかったのだろうか。私より少し上の世代にとって、加山雄三の映画は憧れがいっぱい詰まった夢の世界だったと聞いている。クルーザーはその夢の世界のとば口であって、あの湘南の海の輝きや夕日の美しさ、勝ち気で美しい女性との恋や、エレキギターの興奮、そんなものが自然に思い浮かんで幸せな気分になれるのかもしれない。
 それにしても、瞑想修行者として考えてみると、「加山雄三」への憧れとは、妄想にすぎない訳でそこに幸せを感じるのはいかにも空しい。ご本人がどの程度その妄想に幸福感を委ねているかは分かりかねるけれど、もはや「加山雄三」も老いてスクリーンに留めた姿はどこにもないのだ。
 そしてもうひとつ、山の中のクルーザーを見て私自身がどれほど妄想を逞しくしたことか。蓋を開けてみれば全く的外れだったわけで、かくの如く事実は歪められて認識される。そういう実証のようであった。「ものごとをありのままに観る」とはなかなかに難しいとあらためて思ったことだった。