再就職した会社でパワハラを受けて仕事を辞めたのは当然の結果です。過去にそれだけひどいことを私も他の人にしたのですから。
内観に行き、朝日カルチャーセンターの地橋先生の講座に通い、妄想だらけの瞑想をさぼりながらも続けるうちに少しずつ心が落ち着くようになりました。先生のダンマトークの心に響いた部分をメモして、気持ちが荒れたときやふさいだときに読み返しました。
慈悲の瞑想はなかなか始められませんでした。「私のような残酷な人間がこんな言葉を唱えても嘘でしかない。偽善でしかない」と思ったのです。でも、実際に始めて続けるうちに、残酷な人間だからこそ慈悲の瞑想が必要だということがわかりました。
そうやって何とか心を落ち着ける方法を身に着けつつありましたが、もっと困ったことがありました。反射のパターンが傲慢すぎて、先生から教わったことを実行しようとしても、私の実際の言動のトーンとかみ合わないのです。子供のころから見栄っ張りで、実際の自分よりも大きく見せようとする癖がありました。仕事をしているころは周りからダメなやつと思われたくなくて自信のあるふりをし続けました。
自分は特別な人間という根拠のない万能感も心の片隅に併せ持っていました。だから「高慢」とラベリングしても効果はなくて、「傲慢」とラベリングするとようやく妄想が止まるくらい本当に「傲慢」でした。だから、朝カルの後の食事会も行けませんでした。正直で優しい人たちの輪に加わるには自分は傲慢すぎると思ったからです。
それゆえ、先生がダンマトークでお話しされていた通り、1つずつ反射のパターンの修正作業をすることにしました。気の遠くなるような作業でしたが、それしか方法が見つかりませんでした。周りの人たちとのコミュニケーションでこれはよろしくないということが起きたときは、その都度瞑想会で教わったことや先生の本の内容に照らして、何が原因でそうなったのかを考えました。わからない時は朝カルのレポートの時間に先生に質問しました。
五戒もちゃんと守るように努めました。お酒は外で人と会った時しか飲まないし、泥酔することもありませんでしたので、この程度なら大丈夫だろうと思いやめていませんでした。でも1年前にひどい頭痛に悩まされたのを機に本当にやめました。五戒を守ろうと意識し始めてから、修行にもちょっとはずみがついたような気がします。
法友の方々からも大切なことをたくさん学びました。みなさんは良かったことだけでなく、自分の弱い面、よくない部分を正直に話して下さいます。
ある方はご自分の嫉妬心について詳細に語ってくださいました。おかげで私も自分の嫉妬心に気が付きました。私は傲慢なので、「嫉妬なんか自分に関係ない」と思い込んでいたのです。しかし、いったん自分の中に嫉妬心を見つけると、そこにもここにも嫉妬があり、私の心には青かびだらけの餅みたいに嫉妬が根を張っていることに気が付きました。傲慢さだけでは割り切ることができなかった私の汚い心の根源は嫉妬であったのです。いろんな人に嫉妬しまくっていました。自分をよく観察して、嫉妬を見つけた瞬間「嫉妬」とラベリングすると、今まで苦手だった人ともすんなり話せるようになっているから不思議です。
朝カルのレポートでは、私が疑問に思いながらもどんなふうに先生に質問してよいかわからずにいたことを、他の方々が的確な言葉で質問されることがあり、それにより先生のアドバイスを聞くことができて何度も助けられています。また、長い間、足踏み状態の修行が続きましたが、朝カルではいつも励まし合える方もいて、気持ちが不安定な時でもその人の姿を見るだけでほっとすることができました。
初めのころは人が怖かったので、合宿に参加なんて無理と思っていました(内観は面接の先生と1日に数回お会いするだけであとは1人きりで行うので抵抗がありませんでした)。内観の後、1DAY合宿なら大丈夫かなと思い参加しました。翌年も1回だけ1DAYに参加しました。朝カルで法友の方々と徐々にお話するようになり、その方々のおかげで3年目には短期合宿に参加することができました。
自分の嫉妬心に気付きサティを入れられるようになると、何をするにしても怒られないようにいつも逃げ惑っている自分に気が付きました。
母はしつけに厳しい人でした。代々地主の古い家に育ったため、人から後ろ指を指されないようにすることが母にとっては大事なことだったようです。きっと母もかつて私と同じ恐怖におびえていたのではないかと思います。でも自分が親になったとき、それしかお手本がなかったので祖母と同じように私たち姉妹に口やかましく何事も注意するようになったのでしょう。
また、父が自分の好ましくないことをする人を痛烈に批判するのも恐ろしかったのです。反応系の修行をするようになってから、自分の心が「こわいよー」と叫び続けていることに気が付いていました。でも、何を恐れているのかわかりませんでした。嫉妬心のふたが開いてようやく、両親に嫌われないように怒られないように、消去法で行動を選択している自分に気が付きました。
両親に「してはいけない」と言われたことは、しないように努力し続けていました。「そういうことする人間は他人から相手にされない」と言われたので、恐怖もありました。でもその「してはいけないこと」をしている人は結構いて、嫌われるどころか周りの人たちから温かく受け入れられているところを何度も見てきました。その都度その人や周りの人に対して激しい憎悪と嫉妬を覚えていたのです。
「私はいろんなことを我慢して両親に言われた通りいい子にしているのに、誰も褒めてくれない。それなのにしてはいけないことをしている人が私よりも周りに受け入れられている。なぜ?どうして?ずるいよ」
怒られないために選択した行動は、自分の心に根差したものではなく、行動と心のギャップが自分を疲れされていたことにも気が付きました。
私にとって母は神様のような存在だったと思います。でも母は人間です。優しさの裏にしっかりエゴも隠し持っています。私も善行をするときしっかりその裏にエゴを潜ませていました。だから慈悲の瞑想に異常なほど抵抗感を持ったのだと思います。母も私も自分のエゴを正当化することをやめられないのだと思いました。
3年間朝カルの講座に通いながら修行を続け、長い間わからなかったことがわかりました。今は前より落ち着いて修行ができそうな気がしています。頭の中の過去の記憶の再生にとらわれ続けるのではなく、目の前の出来事をLiveで感知できるよう、毎日歩く瞑想、坐る瞑想、慈悲の瞑想を続けていきたいです。
私の瞑想体験(旧「Web会だより」 改め)