心が折れそう・・

 さあ、これからが大変でした。ひとり暮らしが不安なのです。両親とも看取り、未婚、子なし、天涯孤独になりました。「肉親の死」と12年ともに人生を歩んだ「パートナーを失う」という人生の大きなストレスイベントが1年のうちに2つ来た!大丈夫か、わたし?
 このころは苦しみが減ってラクになるどころか、50年分の「心の便所掃除」は、そんなに簡単に進みませんでした。全く見えなかった自分の心は「サティ」が入り、少しずつわかるようになってきたのですが、なおさらつらい。最初に出てきた甥っ子の新婦さんへの悪口は、やはり嫉妬のようでした。若く美しく礼儀正しく頭の回転も速く、離婚して子供がいてもまたすぐに結婚できるような「モテる」女に対する、出会いさえ難しくまったくモテなかった女の嫉妬。「顔はブスでも生き方は美しく」をモットーに生きてきたつもりだったのに。自分にがっかりでした。何よりまず、いい歳してみっともない。
 しかも、やればやるほど過去にしてきた過ちや嘘や、ちょっとした「腹黒い気持ち」が出るわ出るわ、日常ではサティが入ればたいていいつもろくでもない「不安」。ちょっとしたイラつきをよく観察してみると「プライド」「めんどうくさい」「ねたみ」、果ては「疲れた」「仕事辞めたい」…。もう、つらすぎて鬱状態です。
 考えてみれば、ずっと過重労働を続けてきました。自分で抱えきれないほどのストレスや仕事を、わたしもアルコールやランニング・ハイなどでつらさを麻痺させ、ごまかしながらやってきたのです。いわゆる「トキシック・ポジティビティ(プラス思考の罠)」でした。たしかに、仕事は楽しく、できることが増えるたびに充実感があり、感謝されるのもうれしい。仕事の楽しい部分ばかりを見るようにし、自分の心をじっくり顧みることはほとんどありませんでした。この「激流の中を常に全力で泳ぎ続けるような生活」に正面から気持ちに向き合うと、続けられなくなるとどこかでわかっていたからでしょう。しかし、そのように憂さ晴らしでストレスを忘れるようにし、「辛い、嫌だ」という感情を麻痺させれば、一時的には仕事はやり切れますが、楽しい嬉しい、やってみたいなどのプラスの気持ちも麻痺して感じにくくなります。辛くないように状況を改善させるよう考えたり動いたりということもやらなくなります。現実の状況としては辛くなるわけで、自分が何をしたいのか?何が楽しいのか?どうしたいのか?がわからなくなっていたのだと思います。
 そんな50年分のあれやこれやのマイナス感情も混じり、もう便器の汚れも固まってガビガビでしょうよ…。溜まったものに向き合うのもつらいけど、この人生の区切りでもはや逃げるわけにはいかない。いや、ここで逃げたら、この先幸せにはなれない気がする。死ぬときにたぶん「あの時、自分の人生をきちんと見ようとせず逃げたな」って思うでしょ!?死ぬときにみじめでみっともない気持ちになるのはヤダー。

  パニック発作寸前

 父が亡くなってから、疲れが出たのか体調もすぐれず、2024年の年明けからは体重は4㎏落ち、めまいや動悸、吐き気などの症状も出てきたことから、限界とみてこの時はもう仕事は大幅に絞らせていただいていました。精神科の先生にも相談し、「抑鬱状態」の診断で5月から抗うつ薬を飲み始めました。飲んだあと数時間は副作用の眠気と吐き気がひどかったのですが、夜寝る前に飲んで、徐々に慣らして何とかクリア。思考力は保たれている感じで、仕事も問題なくできるし、サティも入るので瞑想も続けていました。
 何とか仕事は継続できましたが、パートナーと別れた次の日にはさっそく過換気(過呼吸)、パニック発作を起こしかけました。おお、自分もついになっちゃったか。「ひとりでやっていけるか不安、つらい」「パニック発作寸前」とサティを入れ、へその下に両手を置いて、肩の力をへその下に落とすつもりでゆっくーり息を吐きます。この時は友人に教えてもらった、「小さい時の自分を抱きしめてあげる感じ」というイメージが役に立ちました。自分の中の小さいころの自分がいるというイメージで。泣いている小さいころの自分に「ごめんね、さんざん無理やがまんをしてきたよね。もう大丈夫だよ。大変なのは乗り越えたから。もう、これからは無理させない。仕事も減らしたでしょ?もう大丈夫。わたしがついて守ってるからね」そう言って、心の中で抱きしめて安心させてあげる。そして、「息苦しい」「目の前が暗くなりそう」など、その時の状態にサティを入れ続けました。これで何とかパニック発作には至らず済みました。

  苦も変滅する

 こんな感じで過ごしていましたが、冬になり、2025年の2月になった時に、突然職場で頼りにしていた看護師長さんが辞められたのをきっかけにして、よく眠れなくなりました。その日の日付を間違うということがあり、大きなミスが起こるのを恐れて休職を願い出ました。父と同じく、鬱で仕事ができなくなり休職になってしまったわけです。
 しかし、思いがけずこれがたくさんの気づきにつながりました。まず、十分休み、朝から2-3時間じっくりと瞑想をするようになって、悲しみやつらさが徐々になくなっていきました。慈悲の瞑想をすると温かい気持ちになり、慈悲の瞑想をしている最中の平穏で安らいだ心の状態こそが幸せってことかな?と思うようになりました。さらにこの頃、瞑想中に「腹を立ててるな」「怒ってるな」と気づいたときに「ダメだ」と無意識のうちにダメ出しして自分の感情を抑え込んだり切り替えたりしていたのに気づきました。いい悪いなしに一旦受け入れて、「ふーん、そういう気持ちになってるのね」と認め、そのまま放っておくようにし、おおきくストレスが減ったような気がします。自分を責めて感情を抑え込み、余計に疲れていたようでした。
 休職して間もなく、兄夫婦が気づいて様子を見に来てくれるようになりました。話を聞いて食事に呼んでくれたり、兄はライフワークとしてやっている「ひきこもり」のボランティア、義姉は看護師で得たものを生かして支援してくれ、ありがたいことでした。また、様子を察した友人たちもさりげなく気を使ってくれたり、「アダルトチルドレンかね?しばらくは自分の心が喜ぶことをやるようにしてみたら?」と言って楽しいことを教えてくれたり誘ってくれたりと、人の温かさ、ありがたみを感じることができました。
 今までは「自分で何とかしなきゃ、何とかならないでしょうよ」と思って生きてきましたが、人は現代ではお金があればひとりで生きていけるけど、やっぱりひとりでは幸せにはなれない。困ったときに他の人が助けてくれるのって、こんなに幸せなのかと思いました。しかも、自分には歳をとっても助けてくれる人はいないだろうと思っていましたが、意外にも心配してくれる人がいて、なんだかこの先もやっていけそうな気がしてきました。そして、このころからやっと「ああ、こうしたいな」と感じられるようになり、自分とアクセスできている、自分が自分である(=自分の言動が、自分の気持ちをそのまま表している)という実感が戻ってきたのです。
 時々は、ひとりでいることがつらくて怖くて、これからどうなるんだろう?という気持ちにはなりました。寂しかったり、みじめだったり。そんな時は、じーっとつらい気持ちをサティを入れながらそのまま感じていました。すると、どうでしょう。強い感情の波は、数分で消えていくようになりました。ああ、今までずっと逃げるように避けるようにしてきたけれど、つらい気持ちって、味わっていいんだ。そして、ずーっと続くものではないのね。
 驚いたのは、休職中はコーヒーやお酒やカフェインが含まれるお茶、お菓子、口を紛らわすためのガムなしで過ごすことも簡単にできてしまうことでした。そして、ひとり暮らしがだんだん楽しくなってきました。まず、時間を気にせず食事を楽しんでいいから、存分に「おいしいわー」と堪能できる。そうすると作るもの楽しいのです。今まであまり行けなかった直売所に行って新鮮な野菜を買うと、安いしおいしいし楽しいのでした。掃除や整頓も、少し元気になってくると、やればそれだけ気持ちよく過ごせる空間になるのでそれなりに楽しい。
 そして、医師として働くのが人生で最重要、無理してでも働くのが当たり前、と考えて生きてきたため仕事への過剰適応を招いてきたこと、適切な形で自分の労働環境の調整ができない未熟な自分に気づきました。母への無念の思いから訪問診療医になり、コロナ禍で頑張らねば、仕事くらいしかできない自分の価値なんてあるのか?という思い込み。仕事への過剰な執着が、限界を超えた働き方をして自分を追い詰め、過労を招き、パートナーをもアルコール依存に追い詰めた大きな原因だったのではないだろうか。破綻し、長期にわたって仕事から離れることになったからこそ気づけたことでした。幸いなことにぎりぎりのタイミングで交代していただける新しい先生(医師)が来てくださったのも大きな幸運でした。