それまでは得てきた仕事の知識や技術が空回りしてなかなか結果として現れなかったものが、瞑想の実践から、人生全般の流れが滞ることなくスムーズになったことによって、効果的に働きだしたのかもしれません。過ぎ去れば、全て必然、必要なこと、過去にした失敗の数々はすべて今の自分に生かされていると言えるのかも知れません。
そして、12月には過去最高の売上、通常落ち込む1月も何とか順調にやり過ごし、2月は稼働日の少なさも影響し多少の落ち込みがありました。しかし、3月には特需もあり、さらに最高の売上を記録し、お蔭様で現在も順調な売上で伸び続けています。
商売人としてお客様に喜んで頂くためには、研修や本で得た知識は確かに正しいことを言っているのかも知れません。しかし、上っ面のことをやっても一時的であり、継続しにくいものです。智慧として活かすためには、慈悲の心でお客様に接することによりはじめて、本心からお客様に喜んで頂けるのだと思えるようになりました。毎日お客様へお送りするハガキの一枚一枚に慈悲の瞑想の言葉を発するようにしています。
その成果なのかどうか、これまでの小手先のテクニックを弄することに四苦八苦せずとも、リピーターのお客様が増え、新しいお客様も増えて来ているように感じています。また、ブッダの教えは、経営の判断や日常生活での判断を行うときの大きな指針となるので、あれこれ悩むことも減りその分ストレスも軽減されます。会社を通して、本当の意味での世のため、人のために、我が身を捧げることの楽しみを享受出来る一歩を踏み出すことが出来た、と最近思っています。「私が、(本当に)幸せでありますように!」と慈悲の瞑想の冒頭の文章が始まるように、私からで始まる「幸せ」がなければ、人の幸せを願う心の余裕が育たないのだとわかり始めました。
家庭面においては、子供(男の子二人)に接する態度が変わりました。それまでは必ず叱ると同時に手が出てしまっていたのですが、今では声で叱るにとどまり、直接手で叩くことはほぼ皆無になりました。子供は親にとっての写し鏡だということを芯から理解することが出来るようになりました。親の怒りが子供の怒りとして現われる。子供の将来を憂うる前に、現在の我が身の心に気づくことがいかに大切なことであるか、ということに気づかされました。そして、それまでは、仕事の多忙さを言い訳に家のことはほとんどしなかった私も、お風呂やトイレの掃除、食器洗いなど、出来るだけ家事もするようにしています。
善行は、道端のゴミ拾い、近所の施設周りの草取りなど、出来る範囲で始め、定期的に寄付するなど、善行ノートをつけながら毎日続けています。善行を行うことは、自分の行動に対する確かな自信となる効果があると思っています。特に、仕事を行う上で、これだけのことを行っているのだから、良い成果が必ず現れるという確かな実感です。俗物的な考え方ですが、こう考えることによってモチベーションが上がります。そして、現象として良いことが起こった時ほど、意識的に、一層善行に励むように心掛けています。
まだまだ煩悩の塊の未熟な初心者ですが、出会って7カ月での体験を書かせていただきました。実感として、ヴィパッサナー瞑想の効果はとても速いと思っています。それは、私がヴィパッサナー瞑想の体験が進んでいるというのではなくて、今までに私が経験した研修やセミナーと比べて、その効果の出方がとても速いと感じています。そして、持続的です。また、会社の経営にはお金がつきものですが、お金の問題もすべて、人の心の問題に根差したことだと今さらのように実感している今日この頃です。
いくらかでも日々の仕事に活かせればというのは、本来の仏教の道を極めようとする方からすると、あまりに俗物的なのかも知れません。しかし、このことがきっかけで、ヴィパッサナー瞑想に出会えたことは、私にとって残された人生を全うするのに相応しい生きる拠り所になっております。
この時期に、この年齢で出会っていたからこそ、これからも一所懸命続けていこうという気特になれるのだと思っています。もし、これがもっと若い時ならば、飽きっぽく新しもの好きの私にとって、きっと一過性のこととしてやり過ごしてしまったかも知れません。この年齢で出会えたことに、とても縁を感じています。
今回、体験談を書かせていただく機会をいただきましたことに深く感謝いたします。ありがとうございます。
私の瞑想体験(旧「Web会だより」 改め)