「父の商売」事件に、母は動転して実家に助けを求め、母の実家が借金を返済したのですが、その後、生活は一気に困窮。母は、いつも暗い顔で溜息をつきながら、家計簿をつけていました。食事も貧しくなり、あるとき、母が「あなた達に食べさせるものが、もうこれしかない」と言って差し出した小さな玉子焼きが、今も忘れられません。そのとき、「貧乏はイヤだ!!(怒り)」、「もっとお金さえあれば!!(欲)」と、強烈に思いました。次いで、「その原因を作ったのは父だ!」と<認識>したのです。
 以後、私は、父に事あるごとに辛く当たるようになりました。
 その数年後、今度は、「父の株式投資」事件が起こりました。父は、勝手に自宅の土地と建物を担保に銀行から借金をして、株式投資を始めたのです。さらに数年後、その損失が数百万円に上ることが判明。
 このときもまた、慌てふためいた母が、実家の叔父と相談しました。ところが、今回は、母の実家ではなく、当時社会人として既に働いていた私が、貯金を取り崩して、父の借金を全額返済することになったのです。が、借金返済後、父から謝罪の言葉や借金返済の意思表示はなく、私は、そんな父に激しい<憤り>を感じました。
 そして、借金返済の後、二度にわたって、弟が自殺未遂をしました(「弟の自殺未遂」事件)。
 ところが、内観が進むにつれて、一転してこのような事件が次々と起きたカラクリが、見えてきました。
 一つ目は、「愛情飢餓」です。内観でまず注目したのは、父が会社員だった頃、仕事で上司と衝突して左遷された父が、浮気を繰り返していた時期があったことです。
 「父の商売」事件は、この「父の左遷」事件、「父の浮気」事件の後に、発生していたのです。
 つまり、当時、小児喘息で病弱だった私が、本来父に流れるべき母の愛情まで<独占>していたことにより、父は、徐々に「愛情飢餓」状態に陥っていたのです。
 そうだったのか・・・。父は、「“やる気がなくて”、成果が出せない」のではなく、「愛情飢餓ゆえに“やる気が出せなくて”、成果が出せなかった」のだ。この<真実>を知って、私は愕然としました。
 二つ目は、私の<欲>と<怒り>に駆られた言動です。例えば「オーブンレンジ」事件。当時社会人だった私が、家のためにオーブンレンジを買ったときのこと。そのレンジを嬉しそうに見ている父を見て、私は<怒り>を覚え、父に「お父さんが経済的に頼りないから、私が(代わりに)こういうことをするのだ」と言い放ったのです。
 内観でこの事件を思い出したとき、実は、こうした私の<欲>と<怒り>の言動こそ、父に、「家族の信頼を得るために、もっとお金を!」という思いを引き起こし、それが「株式投資」事件につながったのだと、その因果関係が分かったのです。
 その瞬間、私は、慟哭しました。 「父が悪い、という<認識>は、間違っていた。本当に悪いのは、この私の方だった。私の<欲>と<怒り>が、父を「株式投資」に向かわせ、その事件のストレスが、弟を自殺に追いやったのだ。私は、何てことをしてしまったんだろう!これを、一体どうやって償えばいいんだろう!」
 <懺悔>の嵐が、私の心を襲いました。しばらくして<懺悔>の嵐が収まると、心が静かに定まりました。
 「私は、これまで、“求める人”そして“奪う人”でしかなかった。これからは、“与える人”になろう」
 そして、最後には、こんな<欲>と<怒り>にまみれた愚かな私を見捨てず、終始、愛情とやさしさ、思いやりを与え続けてくれた父や母、弟に、<感謝>の思いが、どっとあふれました。そして、その瞬間、ハッと気づいたのです。
 「そうか…。私があの家に生まれたのは、私にはないやさしさや思いやりを、父や母、弟から学ぶためだったんだ・・・。ありがとう。本当にありがとう。おかげで、私は、生まれ変わることができました」
 あるがままの今の自分を観るサティの瞑想と、過去の事実をありのままに観ることで、猛省を促し、過去の感情への執着から解き放つ、懺悔の瞑想・・・。両者を見事に併せ持つ、「ヴィパッサナー瞑想」という偉大なシステムに導かれ、これからも、心の清浄道を歩んで行きたいと思います。