断食について先生にお話を伺ってきましたが、今回が最終回です。最初は、このコーナーにハウツーものみたいなものがあってもいいだろうと思い、ダイエットのコツを訊くようなつもりではじめたのですが、(いくぶん予感はしていたものの)最後は仏教の根底に流れる問題にまで話が及びました。お楽しみいただけたら幸いです。
榎本 修行時代に短期断食を1年に50回もやられたそうですが、そんな無茶苦茶というか、常人には考えられないような断食をなぜ、どういう理由があっておやりになったのか改めてお聞きしたいです。
地橋 レベルの高い瞑想をしたければ、そうなるだけの条件を組み込まなければならない。体調が意識の透明感に及ぼす影響は決定的だから断食マニアになった、というのがシンプルな回答ですね。
榎本 シンプルというのは、もっと深遠というか、高度な答えもあるのですか?
地橋 私だけかもしれませんが、修行というものは自分からやるというよりは、やらされるものだという感覚があります。在家者は皆、この世の娑婆世界を修行場に選んで、人生苦という修行をやらされているのではないか、と。
榎本 なるほど。何事も因縁による、ということですね。
地橋 仏教の業論の立場からは、われわれが日々経験している事象はすべて、因果応報、自業自得のプロセスだということになります。誰も、蒔いた種を刈り取りながら修行させられているのではないか、と。
榎本 当人は修行しているつもりはないけれども……。
地橋 そう。私は根っから修行が大好きなので、自分からいろいろ修行してきたつもりでしたが、本当はやらされてきたのではないか。断食の場合も、最初のキッカケは、昔、実家に帰ったとき、家族4人が同じ食事をしたのに、なぜか私ひとりだけが水のような下痢をして何も食べられなくなってしまい断食状態に入らされてしまったんです。
榎本 ほお。
善知識
地橋 私は若い頃から「家庭の医学」や医学事典を座右にしていましたから、すぐに調べて、見よう見まねの断食をやってしまったのが初めでしたね。
榎本 普通は医者に行くのではないですか?
地橋 父親が医者嫌いで、大抵の病気は自分で調べて対処していたのを小さい頃から見ていたせいでしょうね。私も、例えば初めて胃痙攣が起きたときも、アパートの自室で得体のしれない激痛と恐怖に七転八倒しながら「家庭の医学」を本棚から引っ張り出し、病名の見当をつけて独りで対処してましたね。
榎本 やっぱり、普通じゃないですね。(笑)
地橋 断食も、その後ほどなく経営者で瞑想者で学識のある断食のプロのような不思議な人に出会って意気投合し、徹底的に教えてもらいました。
私の人生では、その時々に必要な善知識というか先達がどこからともなく現れて、学ぶべきこと学び、やるべきことをやるとバトンタッチするように次の善知識に引き継がれていくような不思議な流れがありました。
榎本 それは、過去世でも瞑想者を助けたり導いたりしていた業の結果である、ということになるのですか。
地橋 因果法則を無視して物事がデタラメに起きることはないので、今世での原因が見当たらない出来事は過去世に求められるだろうと考えますね。証明が難しいので、妄想の域を出ませんが。
断食の哲学
榎本 断食をやるとクリアーな意識状態になり、瞑想が進む一助になる、ということは解りました。断食の意義は、その他にも何かありますか?
地橋 思想的には、断食の「引き算」の考え方が原始仏教的ですね。
榎本 引き算ですか……。そういえば『瞑想のご利益』の2回目だったかで、欲望や怒りや執着を手放していく引き算の思想に言及されていましたね。
地橋 身体の断食があり、心の断食があり、情報の断食があります。妄想を手放す。苦の種になる煩悩を手放す。スマホから、ネットから、生成AIから、朝から晩まで、情報を取りまくって、情報の洪水で頭がパンパンになっているのだから、余計な情報を引き算する。インプットを止めれば、既存の情報が脳内発酵を始めるんです。
榎本 ショーペンハウアーも強く乱読を戒めていますが、僕自身は乱読する傾向があるので耳が痛いですね。
地橋 乱読だけでは脳内渋滞を起こす。感動した本を繰り返し読め、というのが昔から私の持論でした。悪食に相当するクズ情報は脳内メタボというか、明晰な智慧の発現を妨害するでしょう。生成AIだってクズ情報を読み込ませると途端に精度が落ちるのですから、「情報断食」には意味があるのです。
パソコンの断食
榎本 パソコンの「デフラグ」や「ガベージコレクション」というメンテナンスは断食を思い起こさせますね。PCを使い続けているとハードディスクのデータが断片化して処理速度が悪くなるのですが、操作を止めてPCをアイドル状態にしておくと、バックグラウンドで散らばったデータが再配置されて自然に最適化されていくんです。
地橋 つまり、外部からの入力を断ち、<何も食べない>でいると、PCの内部でも整理や解毒が始まると。(笑)
榎本 整理が「デフラグ」で解毒は「ガベージコレクション」です。使い終わって不要になったメモリ領域を回収し、再び利用可能な状態に戻す機能です。
地橋 大隅教授の「オートファジー(自食作用)」とそっくりですね、インプットを止めると自己修復がはじまる…。
榎本 先ほどの情報系も同じではないでしょうか。
地橋 情報断食の場合は、脳のなかで「デフォルト・モード・ネットワーク」が活性化します。
榎本 デフォルト・モード・ネットワーク?
アイデアの源泉
地橋 脳が特定の課題に集中していないときにはたらくのが特徴で、例えば、〆切りに追われていたり接客中なんかは、脳のリソースはその仕事に集中します。反対に、庭を見ながらコーヒーを飲んでいるときなどは、これといったタスクがないのでデフォルト・モード・ネットワークがバックグラウンドで稼働するんです。
榎本 すると、どうなるんですか?
地橋 噛んだり飲んだり咀嚼に使われていたエネルギーが、今度は消化吸収に回されるみたいなことが起きます。(笑)
榎本 それを脳の話で言うと?
地橋 脳が外界の情報処理やタスクから解放されると、リソースが内的処理に使われるんです。「あれはこういう意味だったのか」と過去の経験を整理したり、「あの人の本音はやっぱり…」と人の心を推し量ったり、いろんなことをやるのですが、すごいのはアイデアが閃いたり創造性開発の源泉になることですね。
榎本 先ほど先生が「脳内発酵を始める」とおっしゃったようなことですか?
閃きの背景
地橋 そうです。典型的なのは、アルキメデスが王冠の比重問題を必死で解こうとしたがダメなので、いったん問題から離れてお風呂に入ってお湯がこぼれた瞬間、閃いて「ユーレカ!」と叫んだみたいなやつですね。
榎本 それを最近では「降ってくる」ともいいますね。多くの歴史的大発見はだいたいそのパターンじゃないですか。……数学者のポアンカレが関数の証明に行き詰まって、遠足に出かけようと馬車に乗ろうとした瞬間、突然答えが降りてきたとか……。
地橋 ケクレのベンゼン環構造とか……。
榎本 アインシュタインも特許局で単調な事務作業をしていたとき、一般相対性理論の最初の思考実験が閃いたと言いますね。
地橋 ポイントは、デフォルト・モード・ネットワークが活性化するのは、脳がアイドリング状態の時だということです。①データを精査する→②熟考する→③問題から離れる→④閃く→という智慧の流れの③で、デフォルト・モード・ネットワークが大きな働きをしているということです。
榎本 僕も瞑想中の閃きをメモに取らないと後で忘れてしまうんですが、散歩してると不思議に思い出せる。これもデフォルト・モード・ネットワークの働きだったということですね。
地橋 そういうことです。しかし問題もありまして、これが過活動状態になると堂々めぐりの反芻思考というか、ネガティブ思考で鬱になったり、逆に記憶や時間感覚や自己意識が崩壊する認知症ではデフォルト・モード・ネットワークが極端に低下してるんです。
榎本 やはりバランスですね。
地橋 ともかく今、申し上げたいことは、身体もPCも脳も、過剰な入力は自己組織化を妨げるのではないかということです。
食事を摂らなければ身体の自浄作用が始まるし、アイドリング状態にするとパソコンの散らかった状態が整ってくるし、課題に取り組んでいない脳から閃きが出やすくなる。
榎本 なるほど。生物学も、情報科学も、脳科学も、構造的同一性があるのではないかと……。
地橋 そう。断食は「栄養の空白」、PCは「処理の空白」、脳は「課題の空白」です。システムの自己組織化を貫いているのは「引き算の思想」なんですよ…。
掴むな! 気づけ!
地橋 私がタイのお寺で最初に師事したのは、名僧アチャン・ターウィでした。瞑想者も在家の信者も各人各様にさまざまな苦しみや悩みごとを訴え質問するのですが、アチャンの答えはいつも「Don’t cling! Be aware!」と決まっていました。
榎本 「掴むな、気づけ」と。
地橋 ええ。黙って聞いてあげて、最後に同じ一言で誰も納得し、自分で問題解決をしてしまう。
榎本 ほお。
地橋 私も構造分析をしてみましたが、「掴むな! 執着するな!」の一言は、全ての苦しみの根本原因である「渇愛」を起こすな、という意味なのです。瞑想が進まない、職場の不満、男女関係、将来不安、家族との軋轢、怨み、劣等感…。どんな悩み苦しみも全て同じ構造で発生しています。
榎本 執着が苦しみを生んでいるのだと。
地橋 そうです。自分の思いどおりにしたいが、そうはならない。執着を捨てれば楽になれるのに、手放せない…。これが苦の構造なのです。
榎本 それでも、やっぱり夢は叶えたいし、好きな人に愛されたいし、瞑想はもっと進ませたいですねえ。(笑)
地橋 (笑)。残念ながら、この世は物理法則と因果法則で展開しているので、思いどおりにしたければ、カルマを整え、そうなるだけの原因を組み込むしかありません。
榎本 悪を避け、善をなし、徳を積みなさい…と。(笑)
地橋 (笑)。そういうことです。「Don’t cling!」の一言で、皆、ハッとするんですね。盲点になっていた「執着」という角度から、自分に矢印を向けるんです。すると「Be aware!」が心に刺さって、来し方と現状をスルスルとメタ認知で眺め始める…という巧みな指導法だったんですね。
榎本 素晴らしい。偉大な指導者はあまり多くを語らないで気づかせてしまう。ただ、僕も教える立場になったりもするんですが、語らないとわかってくれないことが多くて、悩んでしまいますね。
煩悩の断食
地橋 世俗の幸福原理は「足し算」です。価値あるものを多く持てば幸せになれるという錯覚です。しかし、それは幻想であり、マーラ(悪魔)が仕掛けた罠なのです。人は所有しているものに縛られて苦しみ、欲しい、欲しい、と盲目的に求めて苦しみます。苦の原因は「渇愛」という名の執着である、と四聖諦では説かれています。「足し算」ではなく、「引き算」こそが解放への道なのです。
榎本 だから、食べずに、断食しなさい、と。(笑)
地橋 (笑)。そうです。心に充満している煩悩を引き算するんです。欲望も、怒りも、嫉妬も、物惜しみも、手放して引き算すれば、「大いなる楽しみを得るのだ」とブッダは説いています。
榎本 先生はさまざまな思想や宗教に触れるなかで、原始仏教を最終的に選ばれましたが、荘子もお好きですね。道教にも引き算の思想がある気がしますが。
地橋 老子から多大な影響を受けて自らタオイストと称した加島祥造の詩集『求めない』を、私はダンマトークで何度も取り上げました。「求めない」という引き算の思想が一貫して語られているからです。「求めない―、すると、それでも案外、生きてゆけると知る」。「求めない―、すると、いまじゅうぶんに持っていると気づく」。「求めない―、すると、今ある自分をそのまま見始める」…。
榎本 …いいですね。僕は不勉強でその詩集は読んでいないのですが、「渇愛を手放すと解放される」という仏教的引き算の思想と同じものが根底に流れている感じがします。
地橋 という訳で、断食の思想は、余計なもの、不浄なもの、不善なるもの、諸々の煩悩を引き算して、苦しみの解放の究極、解脱に直結する行法だということになります。
榎本 体の断食から始まった話はついに解脱にまで発展してしまいました。どうもありがとうございました。(終)
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