(1)
★同じものを見ているのに、拍手喝采で絶賛する人もいれば、罵詈雑言を吐き散らす人もいる。
 あるがままに、ただ存在している世界から、無数の脳内認知ワールドが生まれてくる……。
 鯨が見ている世界もあれば、ダニが知覚している世界もある。
 あるがままに如実知見する瞑想が、迷いを解放に導く……。

(2)
★たとえ妄想の嵐が鎮まり、空っぽになっても、知識も経験も情報も何も仕込んでいない心に智慧が生じることはない。
 本能や遺伝子に組み込まれた知恵は、生存競争に勝ち抜くためのものばかりだ。
 貪って、怒って、柔らかくて小さな幼獣を我が子の餌食にしながら、生存を最優先する命のいとなみ。
 他の生命に苦しみを与えながら生き残ろうとする発想が、未来の我が身に苦をもたらす構造。
 一切皆苦の構造から解脱しようとする仏教は、世の流れに逆らう……。

(3)
★欲望と欲望が力で淘汰される生命の世界で、その欲望を自ら抑止する脳が搭載されたのは、群れを形成する必然に由来したのだろう。
 個体の欲望と怒りを制限するシステムがなければ、狼もゴリラも蟻も蜂も人類も…群れの統制が取れなくなる。
 貪瞋痴を抑止する脳は、生命の本質に根差している。
 戒の起源……。

(4)
★人間関係も孤独も将来不安もどんな人生苦も、瞑想に集中し、思考モードを離れれば、どうでもよくなるだろう。
 だが、瞑想が終わって日常意識に戻れば、心の反応パターンも元の木阿弥になる。
 深層から心を組み換える修行には、人生全体の総力戦を覚悟しなければならない……。

(5)
★深い禅定状態にも、完璧にサティが入り続けるマインドフルネスにも、終わりがある。
 思考モードが戻れば、喜怒哀楽も欲も怒りも自己チューも回帰してくる凡夫の悲しさ。
 本能を司る脳が残っているのに、煩悩滅尽状態が維持される聖者の不可思議……。
 量り知れない涅槃の衝撃力……。