【プレージャータパッチャヨー(前生縁)、パッチャージャータパッチャヨー(後生縁)】
🎯短い要約
★二十四縁起のうち第十番「前生縁」と第十一番「後生縁」の解説です。
先に生じた法が後から生じる法を増強する「前生縁」と、後から生じた法が先に生じた法を支える「後生縁」が説かれます。
前生縁には三種あり、第一は対象による前生です。
形という対象が先に生じ、それを原因として見て知る心が後から生じます。
太陽が先にあり、その光によって私たちに「見る心」が生じる例えが挙げられています。
第二は依り所による前生です。
眼・耳・鼻・舌・身・心臓内の心基という六つの依り所の物質が先に生じ、心はそれに依存して後から生じます。
これは親が先にあって子が生じる関係に譬えられます。
第三は初学者向けではないため、説明は省かれています。
次に後生縁とは、先に生じた法を、後から生じる法が支え、増強する関係です。
例えば、身体を構成する物質が先に生じ、後から生じる心がそれを支えます。
前生縁では物質が心の原因となり、後生縁では心が物質を支える原因となります。
後生縁の例として、ハゲワシのヒナが挙げられています。
注釈書では、餌を求める意思がヒナの身体を支えると説明されます。
これについては、餌を食べずに意思だけで生き延びるという解釈と、親鳥が餌を与え、餌が得られない間は食べ物への欲求が生命を支えるという解釈があります。
後者の説明では、欲求を伴う意思が、先に生じた身体を後から支える点が重要となります。
これらの縁起の教えは、物質と心が互いに原因となり、支え合う関係を示しています。
さらに、私たちは次世代の若者を守り育て、善良な人間へと成長できるよう協力すべきです。
同時に、感覚の対象や心の基盤に魅了され、執着することから離れ、涅槃を目指すよう説かれています。
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🌄長い要約
本文は、仏教の哲学体系(アビダンマ)における二十四縁のうち、「前生縁」と「後生縁」を解説したものです。
前生縁とは、先に生じた法が、後から生じる法を増強する原因として働く性質です。
後生縁とは、後から生じた法が、先に生じた法を増大・増強させる原因として働く性質です。
★前生縁の三種
前生縁には、対象による前生、依り所による前生、そして依り所と対象を兼ねる前生の三つがあります。
対象による前生は、次のように説明されます。
形という対象を見ると、見て知る心(眼識)が生じます。
このとき対象が先に生じ、眼識はその後に生じます。
眼識が生じると、それに伴う心や心所、さらに名法・色法が次々と生じます。
つまり先に生じた対象が原因となり、後続の心を強めるのです。
例えとして、太陽が先にあり、その光に照らされて私たちに「見る心」が生じる場面が挙げられます。
依り所による前生は、眼・耳・鼻・舌・身、そして心臓内の心基という六つの依り所の物質が、見て知る心などより先に生じ、心がそれらに頼って後から生じる関係です。
意界や意識界も、先に存在する心基に依存して生じます。
これは、親が先に生じて子が生じる関係に譬えられますが、あくまで概念的な比喩です。
三つ目の依り所と対象を兼ねる前生は、アビダンマの基礎なしには理解しにくいため、初学者向けの本書では説明が省かれています。
★後生縁とハゲワシの例え
後生縁は、後から生じる心が、先に生じた身体の物質を安定させ、壊れないよう支える働きです。
心が生じなくなった死体がやがて腐敗する事実が、その例として示されます。
注釈書はこの理解のために、ハゲワシのヒナの例えを挙げています。ヒナの身体を、食べ物を待ち望む意思が支えるというものです。
昔の長老たちは、ハゲワシは巣に残したヒナに餌を与えず、翼が揃い自力で飛べるまで餌を食べないのに、待ち望む意思が命を支えるから死なない、と解説しました。
★大長老の見解
これに対し、ある大長老は、その解釈は誤解の可能性があると指摘しました。
要点は、ヒナの身体が先に生じ、餌を欲する欲求を伴う意思が後から生じて、その身体を支えるという関係です。
待ち望むことで寿命が伸びるのであり、先に命があり、待ち望むのはその後だと述べています。
さらに、ハゲワシは高い巨木に巣を作るため、餌やりの様子を観察しにくく、「与えない」という説が生まれたのだと推測します。
しかし研究者によれば、ハゲワシには喉袋があり、そこに餌を蓄えて巣に戻り、ヒナに吐き戻して与えます。生命は食物によって支えられるという原則からも、餌なしで生きるという話は信頼できません。
梵天は法悦を糧としますが、人間にとって法悦は食物にならないとも述べられます。
したがって例えの本意は、餌が得られない日が一日、二日と続いても、餌を望む欲求と意思が原因となってヒナの命を支える、という点にあります。
★両者の相違
前生縁では、色(物質)が原因で名(心)が結果です。
後生縁では、名が原因で色が結果です。
この因果の方向の違いが両者を分けています。
★釈尊の意図
終盤では、世代間の責務に触れられます。
大人は次の世代の若者を、善良で規範を守る人間に育てなければならず、若者もまた大人と協力して国を支えるべきだとされます。
そのうえで、釈尊が前生縁を説いた意図が示されます。
それは、六つの対象と六つの依り所に魅了され、執着することから離れ、涅槃だけに喜びを見いだすよう促すためでした。
後生縁についても、心や心所に惹かれず執着しなければ、輪廻から逃れられます。此岸という生存を捨てることで、彼岸である涅槃に触れられると、釈尊は衆生に注意を促されたのです。
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10)プレージャータパッチャヨー(前生縁):先に生じ、後から生じる法が増強する原因として作用する法
11)パッチャージャータパッチャヨー(後生縁):先に生じた法が増大、増強するように、後から生じて原因として作用する法
●三つのプレージャータ(前生)
プレージャータパッチャヨー(前生縁)には、①アーランマナプレージャータ(所縁前生)、②ヴァットゥプレージャータ(事前生)、③ヴァッターランマナプレージャータ(事所縁前生)、の三つがあります。
形という対象であるルーパーランマナ(色所縁)を見た時、見て知る心であるチャックヴィンニャーナ(眼識)というチッタ(心)が生じます。形という対象であるルーパーランマナ(色所縁)とチャックヴィンニャーナ(眼識)というチッタ(心)、この二つのうち、形という対象であるルーパーランマナ(色所縁)が先に生じます。見て知る心であるチャックヴィンニャーナ(眼識)というチッタ(心)がその後に生じます。チャックヴィンニャーナ(眼識)というチッタ(心)が生じると直ちに、チャックヴィンニャーナ(眼識)というチッタ(心)に伴って生じるチッタ(心)、チェースィカ(心所)、名法、色法が次々と生じます。ですから、形という対象であるルーパーランマナ(色所縁)が先に生じ、それが原因となって、続いて生じるチャックヴィンニャーナ(眼識)というチッタ(心)、そしてそれに伴って生じるチッタ(心)チェースィカ(心所)という名法が強力になります。ルーパーランマナ(色所縁)という原因によりチャックヴィンニャーナ(眼識)という結果が生じます。
この性質をプレージャータパッチャヨー(前生縁)「先に生じ、後から生じる法が増強する原因として作用する法」と呼びます。この性質をアーランマナプレージャータ(所縁前生)と呼ぶこともあります。
もっと良く分かるように例えを挙げて説明します。太陽と私達とどちらが先に生じるかと言うと、まず太陽が先に生じます。太陽が放つ明かりが原因となり私たちを照らします。そして私たちに「見て知るチッタ(心)」が生じます。この性質をプレージャータパッチャヨー(前生縁)と呼びます。アーランマナプレージャータ(所縁前生)と呼ぶこともあります。
●ヴァットゥプレージャータ(事前生)について
チャックヴァットゥという眼、ソータヴァットゥという耳、ガーナヴァットゥという鼻、ジヴァーヴァットゥという舌、カーヤヴァットゥという身体、ハダヤヴァットゥという心臓の内部、これらを総称して六つのヴァットゥルーパと呼びます。六つのヴァットゥルーパは見て知るチッタ(心)などの前に生じます。見て知るチッタ(心)などは六つのヴァットゥなどを頼りにしてその後に生じます。見て知るチッタ(心)などが生じるように、先に生じている六つのヴァットゥルーパが原因として働きかけます。この性質をプレージャータパッチャヨー(前生縁)と呼びます。ヴァットゥプレージャータ(事前生)と呼ぶこともあります。
善いアーランマナ(所縁)であれ、不善なアーランマナ(所縁)であれ、アーランマナ(所縁)を受け入れるマノーダートゥ(意界)、受け入れたアーランマナ(所縁)を知るチッタ(心)であるマノーヴィンニャーナダートゥ(意識界)、心臓内の一部にあるハダヤヴァットゥ(心基)というルーパ(色法)に依存して生じます。
アーランマナ(所縁)を受け入れるマノーダートゥ(意界)、アーランマナ(所縁)を知るチッタ(心)であるマノーヴィンニャーナダートゥ(意識界)、ハダヤヴァットゥ(心基)と言うルーパ(色法)、この三つの中でハダヤヴァットゥ(心基)というルーパ(色法)が先に生じます。マノーダートゥ(意界)とマノーヴィンニャーナダートゥ(意識界)は先に生じているハダヤヴァットゥ(心基)というルーパ(色法)に依存して後から生じます。ハダヤヴァットゥ(心基)というルーパ(色法)がマノーダートゥ(意界)とマノーヴィンニャーナダートゥ(意識界)が生じる原因となります。この性質をプレージャータパッチャヨー(前生縁)と呼びます。ヴァットゥプレージャータ(事前生)と呼ぶこともあります。
より分かりやすくするため例を挙げて説明します。ヴァットゥプレージャータ(事前生)は親と子供に似ています。親と子供のうち、親が先に生じます。先に生じている親が原因となって子供が生じます。親に似ているハダヤヴァットゥ(心基)というルーパ(色法)が原因となって子供に似ているマノーダートゥ(意界)とマノーヴィンニャーナダートゥ(意識界)が生じます。この性質をプレージャータパッチャヨー(前生縁)と呼びます。ヴァットゥプレージャータ(事前生)と呼ぶこともあります。
パッターナパーリ(発趣論:二十四縁起)の中でお釈迦様はこの性質を仔細にかつ包括的に説かれています。この本は初歩の方が対象なのでこれくらいにしておきます。ヴァッターランマナプレージャータ(事所縁前生)は説明するのが難しいです。説明したとしてもアビダンマ(論蔵)の基礎を学んだことがないと理解出来ないと思います。ここでは初級として説明しているので、ヴァッターランマナプレージャータ(事所縁前生)については説明しません。
●パッチャージャータパッチャヨー(後生縁)について
パッチャージャータパッチャヨー(後生縁)とは、先に生じた法が増大、増強するように、後から生じて原因として作用する法です。
例を挙げて説明します。私たちの身体に存在する物質、私たちに生じているチッタ(心)、この二つのうち身体に存在する物質が先に生じます。チッタ(心)は後から生じます。
先に生じている身体を構成する物質が安定して存在し壊れないようにするため、後から生じるチッタ(心)が原因となって働きかけて支えます。考えてみてください。チッタ(心)が生じなくなった死体を想像してみてください。間もなく身体は腐敗して壊れてしまいます。このような性質をパッチャージャータパッチャヨー(後生縁):先に生じた法が増大、増強するように、後から生じて原因として作用する法、と呼びます。
●ハゲワシのヒナの例え(注釈書)
パッターナ(二十四縁起)の注釈書に、パッチャージャータパッチャヨー(後生縁)の性質を理解するため、例を挙げて説明しています。「ハゲワシのヒナの身体に、食べ物を待ち望むチェータナー(意思)が原因として作用するようなものである」と書かれています。注釈書の作者が示したハゲワシのヒナの例とその意味を昔のセヤードー達が解説しています。
●セヤードー達の解説
ハゲワシは巣を作って餌を探します。餌を探して食べるのはほとんど自分のためです。巣に戻っても残されたヒナには1日4回程度しか餌を与えません。ハゲワシは哺乳動物ではありません。
ヒナは毎日餌をもらえるわけではありませんが死にません。何故かと言うと、「親鳥が帰れば自分たちに餌を運んでくれる、餌を食べられる」という食べ物に対する意思(チェータナー)が原因となって作用し支えるからと説明されています。食べ物に対する意思(チェータナー)とは食べ物を待ち望む、渇愛を伴った意思(チェータナー)です。この意思(チェータナー)はパッチャージャータパッチャヨー(後生縁)の一部を構成しています。
ハゲワシのヒナは翼が揃い、自分で飛べるようになって初めて餌を探し出して食べます。自分で餌を探すことが出来ない間は、餌を食べません。このように、翼が揃う前には餌を得ることはできないのにハゲワシのヒナが死なないのは、食べ物に対する意思(チェータナー)が原因となり支えるからであると昔の大セヤードー達が解説しています。
●パーモゥッカチョウッ大セヤードーの見解
パーモゥッカチョウッ大セヤードー・ドクターナンダマーラビワンサは、注釈書に書かれたハゲワシのヒナの例えについて、昔の大セヤードー達が前述のように解説したことについて「有り得ない。間違って理解されている可能性がある」と、パッターナ(二十四縁起)、第八章、パッチャージャータパッチャヨー(後生縁)の項について指摘されました。
「パッチャージャータパッチャヨー(後生縁)を理解するには、ハゲワシのヒナの五蘊に、食べ物を待ち望む、渇愛を伴ったチェータナー(意思)である、とされています。注釈書の著者の言葉です。パッチャージャータパッチャヨー(後生縁)の理解としては、食べ物を待ち望むアーサーチャンダ(欲求)を伴ったチェータナー(意思)がハゲワシのヒナの身体を助け支えたとされています。」
「それではどのように理解すれば良いかと言うと、ハゲワシのヒナが生まれます。ハゲワシのヒナの身体が先に生じます。食べたいというアーサーチャンダ(欲求)がその後に生じます。食べたいというアーサーチャンダ(欲求)が、先に生じたハゲワシのヒナの身体を支えます。このような意味です。」
「これについては、様々な意味が提示されています。文献に書かれている意味を知識として憶えてください。文献に異なる解釈が提示されていることが時々あります。理解しなければならないのは食べ物を待ち望むアーサーチャンダ(欲求)を伴うチェータナー(意思)が後から生じて、先に生じているハゲワシのヒナの身体を支えるということです。待ち望むことにより寿命が伸びているということです。待ち望んでもまだ餌を得たわけではありません。待ち望むことにより寿命が伸びています。先に寿命が生じ、待ち望むのはその後です。」
「ここで一つの解釈をお話します。どのような解釈かと言うと、ハゲワシのヒナの身体を、餌が欲しいと言うアーサーチャンダ(欲求)を伴うチェータナー(意思)が支えます。ハゲワシのヒナたちは翼ができる前、巣の中で過ごしている間は自分で餌を探し出すことはできないと言われています。親鳥は他の鳥たちのようにヒナの口に餌を与える習慣はありません。親鳥が巣を飛びたち、また巣に戻って来るとヒナたちは餌をねだります。翼が揃って自分で餌を探して食べられるようになるまでは餌に対してアーサーチャンダ(欲求)を伴うチェータナー(意思)がヒナの身体を支える、と説明されています。」
「この解釈が正しいかどうかは動物のことを学べばわかると思います。ハゲワシは餌を探してヒナに与えることはしないと言うのは正しいでしょうか、間違っているでしょうか。現代はハゲワシについて系統的に研究する人たちがいます。ハゲワシは丈の高い巨木に巣を作り、卵を産みます。このため彼らがヒナにエサを与えるかどうか確かめるのは困難です。なぜ困難かと言うとハゲワシがエサをクチバシにくわえて運ぶのを見ることが無いからです。シラサギの場合は魚を口にくわえて運ぶ姿が見られます。クチバシからクチバシへとエサを与える様子を見ることがあります。ハゲワシの親がヒナのところへ行き口移しでエサを与えるのを見ることはほとんどありません。大変丈が高い木に住んでいるからです。そのため先ほど紹介した意味、解説が提示されたのです。」
「けれどもハゲワシについて博学な研究者達は以下のように言っています。ハゲワシには喉袋があります。それを見たことがある人々が注意喚起しています。
ハゲワシは食べたエサを全て飲み込むわけではありません。首に喉袋があり、飲み込んだ餌はそこに入ります。クチバシの部分に餌を咥えることはありません。そのような状況で飛び立ちます。巣に戻ると飢えたヒナたちの元へ行き、クチバシを開けてエサを与えます。ハゲワシはこのようにして喉袋に蓄えたエサを戻してヒナに与えます。ハゲワシはこのようにしてヒナに餌を与えます。」
「そうであればハゲワシは餌をヒナに与えることはない、と言うのは正しくありません。見方を変えれば餌を食べずに生き延びるのは簡単ではありません。どのような生命であれ食物を食べずに命を長らえると言うのは信じられません。どのような生命であれ食べものから離れて存続することはできません。あらゆる生命は食物により支えられている(サッべーサッターアーハーラティティカー)と言われています。けれどもここで言うアーハーラ(食物)とは人間の食物だけではありません。梵天は食物を食べません。何を食べるかと言うとピーティ(法悦)を食べて生きています。梵天はピーティ(法悦)を糧として生きています。人間の中にもピーティ(法悦)で元気になったと言う人もいますが、本当のところピーティ(法悦)は食物にはなりません。実際、食物を食べなければ生き続けることできません。」
「ハゲワシの場合も餌を食べることなく生きていけるという話はありません。ハゲワシは他の鳥と同様に親鳥が餌を探してきてヒナに与えるという説の方が、信頼性が高いです。ハゲワシはヒナに餌を与えません、成長して自分自身で飛び回って餌を見つけて食べられるようになってから餌を食べます、そこまで成長するために命を保つのは餌を欲しいと言うアーサーチャンダ(欲求)が支えるからであるという説明は一面では正しいかもしれません。しかし俗世間の観点から見るとあまり信頼できるとは言えません。先ほどお話ししたことは正しい可能性があります。ハゲワシはヒナたちのために餌を探します、そして喉にある喉袋に餌を蓄えます。巣に戻ると親鳥は口を開けます、ヒナたちは嘴で親鳥の喉袋から餌を掘り出して食べます。」
「それでは先ほど説明した例えは何を語っているのかと言うと、動物が食べ物、栄養を恒常的に摂取するというのは大変難しいということです。鳥の種類によっては餌を得られるかどうか大変心配し気を使います。餌を食べられないことも多いかと思われます。親鳥は巣の外に出て餌を探します。餌が見つからない時には食べたいと言うアーサーチャンダ(欲求)とともに、餌を得ることを願いながらハゲワシのヒナたちは一日、二日と待ち続けることもあろうかと思われます。原因と結果として食べたいというアーサーチャンダ(欲求)が支えることでヒナたちは命を長らえ生き続けると言うことができます。餌を全く食べないという訳ではないと思われます。」
パーモゥッカチョウッ大セヤードーの説明のように、ハゲワシは翼が揃って飛べるようになるまで餌を食べず、チェータナー(意思)の支えにより命を保つというのは間違っていると思われます。ハゲワシのヒナは毎日決まって餌を食べることはありません。一日であれ、二日であれ餌にありつけない日々があろうかと思います。このように餌が得られない日に、餌が食べられないけれども死なないのはアーハーラ(食物)を望むチェータナー(意思)が原因となって支えるからであると思われます。
パッターナパーリ(発趣論:二十四縁起)では、どのルーパ(色:物質)が壊れず長く存続するように、どのチッタ(心)が原因として作用するか、支援するかについてお釈迦様が詳細かつ広範に説明しています。この本は初学者を対象としているのでこのぐらい説明しておけば良いと思います。
●プレージャータ(前生)とパッチャージャータ(後生)の相違
★プレージャータ(前生):ルーパ(色)が原因、ナーマ(名)が結果です。分かりやすく言うとプレージャータパッチャヨー(前生縁)に従ってルーパ(色法)がナーマ(名法)の原因となる性質です。
★パッチャージャータ(後生):ナーマ(名)が原因、ルーパ(色)が結果です。分かりやすく言うとパッチャージャータパッチャヨー(後生縁)に従ってナーマ(名法)がルーパ(色法)の原因となる性質です。このような相違があります。
●大人と次世代
私たちは、私たちの次に大人になる世代の若者を、人間として生まれて、人間として成長するように、皆で協力して守り育てなければなりません。性格が善い若者になるように皆で協力して守り育てなければなりません。人間としての責務を果たし、人間としての規範を守る善良な人間、優れた人間になるように協力して守り育てなければなりません。そうであれば、次に大人になる世代の若者が、先に年配になった大人たちと協力して、善い国になるように、国自体を守り支えなければなりません。
俗世間の六つのアーランマナ(所縁、対象)、六つのヴァットゥルーパ(事色)から離れるように努力して下さい
目で見る形という所縁(対象)、ルーパーランマナ、耳で聞く音という所縁(対象)、サッダーランマナ、鼻で嗅ぐ臭いという所縁(対象)、ガンダーランマナ、舌で味わう味という所縁(対象)、ラサーランマナ、身体で感じ取る接触という所縁(対象)、ポゥッタッバーランマナ、心で感じ取る思考という所縁(対象)、ダンマーランマナという、俗世間の六つのアーランマナ(所縁、対象)、そして、セックヴァットゥ(眼事)、ソータヴァットゥ(耳事)、ガーナヴァットゥ(鼻事)、ジヴァーヴァットゥ(舌事)、カーヤヴァットゥ(身事)、ハダヤヴァットゥ(心基)という六つのヴァットゥルーパ(事色)に魅了され、それを好み、心が奪われ、執着することから離れられるように努力しなければなりません、涅槃という対象だけに喜びを感じるようにしなければなりません、と衆生に知らせたいとの思いでお釈迦様はプレージャータパッチャヨー(前生縁)を説き、注意を促されました。
後から生じるチッタ(心)、チェータスィカ(心所)と言う名法が支え、助けることにより、また原因として作用することにより、先に身体に生じている(大種色)は安定して存在することができます。チッタ(心)、チェータスィカ(心所)という名法に惹かれ、魅了され、執着しないようにすれば、生存の繰り返し、輪廻から逃れることができます。此岸と呼ばれる生存を捨てることで、彼岸と呼ばれる涅槃に触れることができます、と衆生に知らせたいという思いからお釈迦様自らパッチャージャータパッチャヨー(後生縁)を説かれ注意を促されました。
サンガの言葉