🌄短い要約
★本文は、「倶生縁」と「相互縁」という二つの因果関係の違いを説明しています。
生命は、身体と心から成り立っています。
身体は四つの基本的な性質(硬さ・流動性・運動性・温度性)によって構成され、心は心そのものと、感受・記憶・意志などの心の働きが一体となって生じます。
倶生縁とは、原因と結果が同時に生じる関係です。
例えば、炎と光が同時に現れるように、四つの基本的な性質や心と心の働きは同時に生じます。
相互縁とは、同時に生じるだけでなく、互いに支え合う関係です。
四つの基本的な性質同士や心と心の働きは、それぞれが互いの成立を支えるため、相互縁となります。
一方、形や音などの物質的性質は四つの基本的な性質によって生じますが、逆にそれらを支えることはできません。
同様に、心から生じる身体の変化も心を生じさせることはありません。
このような関係は倶生縁には含まれますが、相互縁には含まれません。
つまり、同時に生じるものはすべて倶生縁ですが、その中で互いに原因となって支え合うものだけが相互縁です。
相互縁は必ず倶生縁でもありますが、倶生縁が必ず相互縁になるわけではありません。
この因果関係を正しく理解することで、心身は条件によって生じる現象にすぎないと知り、執着や誤った認識を離れて苦しみを終わらせる智慧へと至ることができる、と説かれています。
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🌄長い要約①
★本文は、倶生縁と相互縁という二つの「縁」を通して、ルーパ(物質)とナーマ(心)の構造、そして輪廻と解脱の方向性を示すことにあります。
まず生命は、四大(地・水・火・風)の性質が組み合わさって形成される物質的側面と、心と心所から成る精神的側面からなる集合体として説明されます。
ここでの「地・水・火・風」は、土や水そのものではなく、硬さ・凝集・運動・温度といった性質のことです。
これら四大は単独では生じず、必ず他の三つと同時に現れます。
炎と光が同時に立ち上がるランプの喩えを用いて、四大が互いを原因・結果として支え合いながら同時に生じることが説かれます。
この「同時に生じる」性質が倶生縁であり、「互いに原因にも結果にもなり合う」関係が相互縁です。四大同士は倶生縁であると同時に相互縁でもあります。
しかし、形・音・香・味などの二十四種の所造色は、四大に依存して同時に生じる派生的な物質であり、四大を支える力はありません。
四大がこれら所造色の原因とはなりますが、所造色は四大の原因にはなり得ないため、両者の関係は倶生縁にのみ分類され、相互縁には含まれないとされます。両親と乳飲み子の喩えにより、一方的に原因となる関係の性質が説明されます。
心についても、チッタは単独で生じるのではなく、触・受・想・思・一境性・命根・作意という七つの心所と必ずセットで生じる「エイトインワン」の集合体であると説かれます。
これを五蘊の観点から見ると、心は識蘊に、受は受蘊に、想は想蘊に、その他の心所は行蘊に分類され、これら四つの名蘊に物質としての色蘊を加えた五蘊が「生命」です。識蘊が原因で他の名蘊が結果となる場合もあれば、受蘊が原因になることもあり、どれが原因でどれが結果かは固定されていません。
四つの名蘊は互いに原因にも結果にもなり合いながら同時に生じるので、倶生縁かつ相互縁です。
一方で、心と心所が生じると、それに応じた心所生色も同時に現れます。
善い心によって顔色が明るくなり、悪い心によってくすむという例がそれです。
ここでは心と心所が、同時に生じる身体的現象の原因とはなりますが、その身体的現象が逆に心を成立させるわけではないため、この関係も倶生縁のみにとどまり、相互縁とは呼ばれません。
まとめとして、同時に生じるものはすべて倶生縁に含まれ、そのうち「互いに原因・結果となる力があるもの」だけが相互縁に分類されると整理されます。
相互縁が起こる時には必ず倶生縁も伴いますが、倶生縁が必ずしも相互縁を含むわけではありません。
倶生縁は範囲が広く「公益的」に一方的に支える縁、相互縁は範囲が狭く「互酬的」に助け合う縁として喩えられます。
最後に、この縁起の理解が輪廻と解脱に結びつけられます。五欲の対象を喜ぶ受蘊によって五蘊と諸対象への執着が増大し、「生物・自我だ」と誤認する想顛倒が輪廻を回転させ続けます。
逆に、欲楽の受を断ち、五蘊・六外所を無常・苦・無我と正しく観じて想顛倒を断ち切ることで、行蘊などのナーマ・ルーパの連鎖が断たれ、輪廻の歯車が止まり涅槃に触れることができると説かれます。
その教示を伝えるために、釈尊は倶生縁と相互縁を説かれたのだ、と結ばれています。
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🌄長い要約②
本文は、「倶生縁」と「相互縁」という二つの縁(因果関係)の違いを説明しています。
両者はよく似ていますが、「互いに支え合うかどうか」が重要な違いです。
まず生命は、物質的な身体と心の働きから成り立っています。
身体は四つの基本的な性質(硬さ・流動性・運動性・温度性)から構成され、心は心そのものと、それに伴う感受・記憶・意志などの心の働きによって成り立っています。
倶生縁とは、「原因と結果が同時に生じる関係」です。
例えば、ランプに火がつくと炎と光が同時に現れるように、四つの基本的な性質は常に同時に生じ、心もまた心の諸作用と同時に生じます。
このように、一方が原因となって他方を生じさせながら、両者が同時に存在する関係を倶生縁といいます。
一方、相互縁とは、「同時に生じるだけでなく、互いに支え合う関係」です。
文章では、三本の棒を上で結んで立てた例が用いられています。
一本が倒れれば他の二本も倒れるように、それぞれが互いを支えることで全体が成り立っています。
四つの基本的な性質同士や、心と心の諸作用は、このように互いに原因となり結果となる関係にあります。
しかし、同時に生じても相互縁にならない場合もあります。
例えば、四つの基本的な性質から形・音・香り・味などのさまざまな物質的性質が生じますが、それらは四つの基本的な性質に支えられて存在するだけで、逆に四つの基本的な性質を支えることはできません。
また、心から身体の変化や表情などが生じますが、それらは心によって生じるだけで、心そのものを生じさせる力はありません。このような関係は倶生縁ではありますが、相互縁ではありません。
つまり、「同時に生じる」という条件を満たせば倶生縁ですが、「互いに原因となり支え合う」という条件まで満たす場合だけ相互縁となります。
したがって、相互縁は必ず倶生縁でもありますが、倶生縁が必ず相互縁になるわけではありません。
最後に、この教えは単なる理論ではなく実践につながるものだと説かれています。
私たちは感覚的な快・不快に執着することで、自分や世界を実体あるものと誤認し、その結果、苦しみの連鎖が続きます。
しかし、心と身体が互いに条件によって生じる現象にすぎないと正しく理解すれば、執着と誤った認識を断つことができ、輪廻の苦しみから解放される道が開かれます。
このような因果関係を深く理解することが、智慧を育て、最終的な解脱へ向かうための重要な基礎であると説明されています。
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💎本文
6)サハジャータパッチャヨー(倶生縁)、7)アンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁)
⦿サハジャータパッチャヨー(倶生縁):同時に生じる原因となる法
⦿アンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁):相互に作用する原因となる法
サハジャータとアンニャーマンニャーの性質には大きく異なるところはありません。そのためサハジャータとアンニャーマンニャーを一つにまとめて説明します。
●ルーパ(色)とナーマ(名)の意味
生命は(1)パタヴィ(地)、テージョー(火)、ワーヨー(風)、アーポー(水)と言う四つのマハーダートゥ(四大界)からなるルーパ(色)、そして、(2)チッタ(心)、チェータスィカ(心所)と言うナーマ(名)の集合体です。
ルーパ(色)とは「変化し壊れてしまうもの」と言う意味です。変化し壊れてしまうのでルーパ(色)と言います。命のあるルーパ(色)であれ、命の無いルーパ(色)であれルーパ(色)は熱さ冷たさを始めとした原因により様々に変化します。それは自分自身であれ、周囲であれ念を入れてよく観察すれば見ることができます。
ナーマ(名)とは「対象がある方向へ心を向ける」という意味です。念を込めて観察して下さい。何らかの種類の対象に心が向いているのを見ることができます。体外の何らかの対象、あるいは何らかの思考にチッタ(心)が到達していることに思わず気づくでしょう。思考もアーランマナ(対象)です。思考をダンマーランマナ(法処)と呼びます。就寝中でさえもチッタ(心)は関連するアーランマナ(対象)の一つに向かいそこに留まります。この性質はアビダンマ(論蔵)教室に参加すればそこで学ぶだろうと思います。まだその時期ではないのでここではこれ以上の説明は控えます。
●四つのマハーダートゥ(四大界)で構成されているというのは
生命はそれぞれがパタヴィ(地)、アーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)という四つのマハーダートゥ(四大界)で構成されています。一方で本来の大地そのもの、本来の水そのもの、本来の風そのもの、本来の火そのものから成り立っていると考えがちですが、正しくは、地、水、風、火という四つのマハーダートゥ(四大界)が持つ性質が組み合わさって構成されています。本来の地、本来の水、本来の風、本来の火そのもので構成されているわけではありません。
パタヴィ(地)、アーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)という四つのマハーダートゥ(四大界)の性質を詳しく説明していると大事な部分にたどり着けない恐れがあるためこのくらいにしておきます。四つのマハーダートゥ(四大種)について知りたければアビダンマッタサンガハの注釈書442から448ページに詳しく書かれています。それを読んで勉強してください。
●ダートゥ(界)の意味
パタヴィ(地)、アーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)は四つのマハーダートゥ(四大界)とも呼ばれています。四つのマハーブータ(四大種)と呼ぶこともあります。
ダートゥ(界)とは自分の性質を自分で発揮できる法と言う意味です。自分の性質を自分で発揮できると言うのは、どのような状態であっても自分自身の特長、性質が明瞭に存在するという意味です。パタヴィ(地)にはカッカリと言う、硬さが明瞭に存在します。硬さと言うのは触れて操作することができるという意味です。大地はパタヴィダートゥ(地界)が最も優勢で、それにアーポーダートゥ(水界)、ワーヨーダートゥ(風界)、テージョーダートゥ(火界)が力弱く加わり集合するルーパ(色)の一つです。
このため大地は固まりになることもあれば粉末状になることもあります。堅固になることもあれば柔軟になることもあります。大地には硬さという性質があるので触れて操作することができます。水は本来アーポーダートゥ(水界)が最も優勢で、パタヴィダートゥ(地界)の力が弱いルーパ(色)の一つです。けれどもパタヴィダートゥ(地界)の硬さにより触れて操作することができます。
●マハーブータ(大種)の意味
マハーブータ(大種)の意味は「大きくて明瞭なルーパ(色)」です。パタヴィ(地)、アーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)と言う四種類のルーパ(色)は他のルーパ(色)よりも大きく、性質、特長も明瞭です。このためパタヴィ(地)、アーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)を四つのマハーブータ(四大種)とも呼びます。
●四つのマハーブータ(四大種)がサハジャータ(倶生)となる様子
オイルランプに火を灯す時、小さな炎が生じると同時に炎の光が生じて来ます。同様に、パタヴィ(地)が生じると、アーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)がパタヴィ(地)とともに同時に生じます。アーポー(水)が生じるとパタヴィ(地)、ワーヨー(風)、テージョー(火)がアーポー(水)とともに同時に生じます。四つのマハーダートゥ(四大界)の中の一つが生じると、他の三つのマハーダートゥ(大界)が、最初に生じる一つのマハーダートゥ(大界)とともに同時に生じます。
原因であるパタヴィ(地)が生じると同時にアーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)という結果が、原因であるパタヴィ(地)とともに同時に生じます。このように、結果であるアーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)が、原因であるパタヴィ(地)とともに同時に生じるように、原因であるパタヴィ(地)が働きかけて結果をもたらします。こうした原因と結果が同時に生じる性質をサハジャータパッチャヨー(倶生縁)、「同時に生じる原因となる法」と呼びます。
パタヴィ(地)、アーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)という四つのマハーブータ(四大種)は、パタヴィ(地)が原因であれば残りの三つが結果となり、アーポー(水)が原因であれば残りの三つが結果となり、ワーヨー(風)が原因であれば残りの三つが結果となり、テージョー(火)が原因であれば残りの三つが結果となります。四つのマハーブータ(四大種)は、どれが原因でどれが結果であると決めることができません。四つのマハーブータ(四大種)全てが原因になったり、結果になったりしています。
原因として働きかける元となるのが原因の法、原因として働きかける対象となるのが結果の法であると理解し、憶えておく必要があります。
●四つのマハーブータ(四大種)がアンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁)となる様子
木の枝を三本、上部を結わえて、平らな地面の上に立てたとします。このように上部を結わえた三本の木の枝の内の一本がずり落ちると残りの二本の木の枝もずり落ちてしまいます。木の枝三本全てが地面の上に立てるためそれぞれの枝が原因と結果として相互に働きかけています。
三本の木の枝のように、原因であるパタヴィ(地)も自分だけでは安定しません。原因であるパタヴィ(地)が安定して存在するように、結果であるアーポー(水)、ワーヨー(風)、テージョー(火)も、原因であるパタヴィ(地)に対し、逆に原因として働きかける必要があります。このように一つ一つが互いに原因として働きかけている性質を、アンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁):相互に作用する原因となる法と呼びます。
●サハジャータ(倶生縁)にはなるけれどもアンニャーマンニャー(相互縁)にはならない場合の様子
四つのマハーブータ(四大種)が生じる場合、四つのマハーブータ(四大種)と同時にウパーダールーパ(所造色)が生じます。ウパーダールーパ(所造色)とは、マハーブータ(大種)に依存して生じるルーパ(色)という意味です。四つのマハーブータ(四大種)に依存して生じるウパーダールーパ(所造色)というのは、形、音、臭い、味を始めとした二十四個のルーパ(色)のことです。四つのマハーブータ(四大種)と二十四個のウパーダールーパ(所造色)は同時に生じます。四つのマハーブータ(四大種)が、二十四個のウパーダールーパ(浄色)と同時に生じて、二十四個のウパーダールーパ(所造色)の原因となります。「サハジャータパッチャヨー(倶生縁):同時に生じる原因となる法」とはこの性質のことです。二十四個のウパーダールーパ(所造色)について詳しく知りたい方はアビダンマッタサンガハ注釈書のルーパ(色)の項をご覧ください。
<訳者注釈>
*二十四個のウパーダールーパ(所造色)
(1)パサーダールーパ(五浄色)
①チャック(眼)
②ソータ(耳)
③ガーナ(鼻)
④ジヴァー(舌)
⑤カーヤ(身)
(2)ゴーサラルーパ(五境色)
⑥ルーパ(色)
⑦サッダ(声)
⑧ガンダ(香)
⑨ラサ(味)
*ポーッタッバ(触):地、水、風の三大種と同じなので所造色には含めない。
(3)バーヴァルーパ(二性色)
⑩イッタッタ(女性)
⑪プリサッタ(男性)
(4)ハダヤルーパ(心色)
⑫ハダヤヴァットゥ(心基)
(5)ジーヴィタルーパ(名色)
⑬ジーヴィティンドゥリヤ(命根)
(6)アーハーラルーパ(段食色)
⑭アーハーラカバリカーラーハーラ(食色)
(7)パリッチェーダルーパ(限界色)
⑮アーカーサダートゥ(虚空界)
(8)ヴィンニャーッティルーパ(二表色)
⑯カーヤヴィンニャーッティ(身表)
⑰ヴァチーヴィンニャーッティ(語表)
(9)ヴィカーラルーパ(五変化色)
⑱ラフター(軽性)
⑲ムドゥター(軟生)
⑳カンマンニャター(適業性)
(10)ラッカナルーパ(四相色)
ウパチャヤ(集積性)
サンタティ(相続性)
ジャラター(老性)
アニッチャター(無常性)
四つのマハーブータ(四大種)が二十四個のウパーダールーパ(所造色)に対し、同時に生じる法としての原因となりますが、逆に、二十四個のウパーダールーパ(所造色)は四つのマハーブータ(四大種)が生じる原因とはなりません。何故原因にならないのかと言うと、二十四個のウパーダールーパ(所造色)には四つのマハーブータ(四大種)の原因となる力が無いからです。四つのマハーブータ(四大種)と二十四個のウパーダールーパ(所造色)はアンニャーマンニャー:互いに原因となったり結果となったりすることはありません。四つのマハーブータ(四大種)だけが一方的に二十四個のウパーダールーパ(所造色)の原因となります。両親は乳飲み子に対しあらゆる面で原因となり結果をもたらしますが、乳飲み子は両親に対し原因となったり、結果をもたらしたりする力はありません。
そのため、四つのマハーブータ(四大種)と二十四個のウパーダールーパ(所造色)が原因となり結果をもたらすサハジャータパッチャヨー(倶生縁)の中にだけ分類されています。アンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁)の中には分類されていません。なぜアンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁)の中に分類されていないかと言うと、四つのマハーブータ(四大種)だけが二十四個のウパーダールーパ(所造色)の原因として作用しますが、逆に二十四個のウパーダールーパ(所造色)が四つのマハーブータ(四大種)の原因として作用することができないからです。
●集合体としてチッタ(心)が生じる様子
チッタ(心)は単独で生じるのではありません。チッタ(心)は少なくとも、
1)パッサー(触):アーランマナ(対象)とチッタ(心)を遭遇させる働き、
2)ヴェーダナー(受):感受、
3)サンニャー(想):記憶、
4)チェータナー(思):関連するチッタ(心)、チェータスィカ(心所)がそれぞれの働きを実行できるように促す働き、
5)エーカッガター(一境性):チッタ(心)を集めて一つの対象に向かうように促す働き
6)ジーヴィティンドゥリヤ(命根):年齢(ないし)生じて来た法、性質が壊れないように、制御し、保護し、守る働き
7)マナスィカーラ(作意):心に取り込む(あるいは)チッタ(心)とアーランマナ(対象)が寄り添うように促す働き
以上の七つのチェータスィカ(心所)がチッタ(心)とともに生じます。チッタ(心)と言うのはエイトインワン(八つ入りのパック)のようなもので、少なくとも八つの成分の集合体です。
<訳者注釈>
*ここで示されている七つのチェータスィカ(心所)はどのようなチッタ(心)でも必ず一緒に生じます。これをサッバチッタサーダーラナチェータスィカ(共一切心心所)と呼んでいます。
●チッタ(心)、チェータスィカ(心所)をグループにまとめると
エイトインワンであるチッタ(心)をグループ(蘊)にまとめると、チッタ(心)がヴィンニャーナッカンダ(識蘊)、ヴェーダナー(受)というチェータスィカ(心所)がヴェーダナーッカンダ(受蘊)、サンニャー(想)というチェータスィカ(心所)がサンニャーッカンダ(想蘊)、残りの50個のチェータスィカ(心所)がサンカーラッカンダ(行蘊)となります。これらは四つのナーマッカンダ(名蘊)です。
<訳者注釈>
*チッタ(心)は89、ないし121あります。
*チェータスィカ(心所)は全部で52あります。
*上記の四つのナーマッカンダ(名蘊)にルーパッカンダ(色蘊)すなわち物質としての身体を加えて五蘊(パンチャーッカンダ)と呼びます。生命は五蘊の集合体です。
●ナーマ(名)がサハジャータパッチャヨー(倶生縁)となる様子
チッタ(心)が生じると、チッタ(心)とともにチェータスィカ(心所)が生じます。チッタ(心)が原因、チェータスィカ(心所)が結果です。原因であるチッタ(心)が生じると同時に、結果であるチェータスィカ(心所)が生じるようにチッタ(心)が働きかけます。燈明に火を灯すと、燈明の火と同時に光が生じます。サハジャータパッチャヨー(倶生縁):同時に生じる原因となる法とはこのような意味です。
ウィンニャーナッカンダ(識蘊)が生じると同時にヴェーダナーッカンダ(受蘊)、サンニャーッカンダ(想蘊)、ティンカーラッカンダ(行蘊)という三つのナーマッカンダ(名蘊)もヴィンニャーナッカンダ(識蘊)と同時に生じます。ヴィンニャーナッカンダ(識蘊)が原因で、ヴェーダナーッカンダ(受蘊)、サンニャーッカンダ(想蘊)、サンカーラッカンダ(行蘊)が結果です。原因であるヴィンニャーナッカンダ(識蘊)が生じると同時に結果であるヴェーダナーッカンダ(受蘊)、サンニャーッカンダ(想蘊)、サンカーラッカンダ(行蘊)という三つのナーマッカンダ(名蘊)が生じるように、原因であるヴィンニャーナッカンダ(識蘊)が働きかけます。燈明の炎が生じると同時に光が生じるようなものです。サハジャータパッチャヨー(倶生縁):同時に生じる原因となる法とはこのような意味です。
<訳者注釈>
ヴィンニャーナッカンダ(識蘊)はチッタ(心)のことです。
ヴィンニャーナッカンダ(識蘊)、ヴェーダナーッカンダ(受蘊)、サンニャーッカンダ(想蘊)、サンカーラッカンダ(行蘊)という四つのナーマッカンダ(名蘊)の中でヴィンニャーナッカンダ(識蘊)が原因であれば、残りの三つが結果です。ヴェーダナーッカンダ(受蘊)が原因であれば、残りの三つが結果です。サンニャーッカンダ(想蘊)原因であれば、残りの三つが結果です。サンカーラッカンダ(行蘊)が原因であれば、残りの三つが結果です。四つのナーマッカンダ(名蘊)の内どれが原因でどれが結果になるかは決まっていません。四つのナーマッカンダ(名蘊)全てが原因になったり結果になったりします。結果を出すように作用するのが原因の法、結果が出るように促されるのが結果の法であると理解し、憶えてください。
●ナーマ(名)がアンニャーマンニャー(相互縁)となる様子
チッタ(心)も単独で生じることはできません。このためチェータスィカ(心所)がチッタ(心)に対しアンニャーマンニャー(相互縁)、すなわち互いに双方向で原因になったり結果になったりする必要があります。ヴィンニャーナッカンダ(識蘊)も単独で生じることはできません。ですからヴェーダナーッカンダ(受蘊)、サンニャーッカンダ(想蘊)、サンカーラッカンダ(行蘊)がヴィンニャーナッカンダ(識蘊)に対しアンニャーマンニャー(相互縁)、互いに双方向で原因になったり結果になったりする必要があります。木の枝を三本、上部を結わえて、平らな地面の上に立てたとします。このように上部を結わえた三本の木の枝の内の一本がずり落ちると残りの二本の木の枝もずり落ちてしまいます。木の枝三本全てが地面の上に立てるためそれぞれの枝が原因と結果として相互に働きかけています。この喩えのように相互に原因として働きかける状態がアンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁):相互に作用する原因となる法です。
●ナーマ(名)がサハジャータ(倶生縁)になるけれどもアンニャーマンニャー(相互縁)にはならない様子
チッタ(心)、チェータスィカ(心所)という四つのナーマッカンダ(名蘊)が生じると、同時にチッタジャルーパ(心所生色)も生じます。チッタジャルーパ(心所生色)というのはチッタ(心)が原因となって生じるルーパ(色)という意味です。チッタ(心)が生じると、チッタ(心)が原因となってチッタジャルーパ(心所生色)が生じます。善いチッタ(心)であれば善いチッタジャルーパ(心所生色)が生じ、善くないチッタ(心)であれば善くないチッタジャルーパ(心所生色)が生じます。ですから善いチッタ(心)がある人は顔色が良く、穢れなく、輝いています。善いチッタ(心)がない人は、顔色がくすんでどんよりしています。サハジャータパッチャヨー(倶生縁):同時に生じる原因となる法とはこのようなものです。
チッタ(心)、チェータスィカ(心所)というナーマッカンダ(名蘊)がチッタジャルーパ(心所生色)も同時に生じるように原因として働きかけますが、チッタジャルーパ(心所生色)はどうかと言うと、チッタ(心)、チェータスィカ(心所)というナーマッカンダ(名蘊)に対し原因として作用することはありません。どうして原因として作用しないかと言うと、チッタジャルーパ(心所生色)にはチッタ(心)、チェータスィカ(心所)というナーマッカンダ(名蘊)に原因として働きかける力が無いからです。このためチッタ(心)、チェータスィカ(心所)というナーマッカンダ(名蘊)とチッタジャルーパ(心所生色)はアンニャーマンニャー(相互縁)、互いに原因として働きかける関係にはなっていません。ナーマッカンダ(名蘊)のみが一方的にチッタジャルーパ(心所生色)に対し原因として働きかけます。両親は乳飲み子に対しあらゆる面で原因となり結果をもたらしますが、乳飲み子は両親に対し原因となったり、結果をもたらしたりする力はありません。
以上より、チッタ(心)、チェータスィカ(心所)というナーマッカンダ(名蘊)とチッタジャルーパ(心所生色)とは原因結果の観点からはサハジャータパッチャヨー(倶生縁)にのみ分類されます。アンニャーマンニャー(相互縁)には分類されません。チッタ(心)、チェータスィカ(心所)というナーマッカンダ(名蘊)だけがチッタジャルーパ(心所生色)に一方的に原因として働きかけます。チッタジャルーパ(心所生色)がチッタ(心)、チェータスィカ(心所)というナーマッカンダ(名蘊)に原因として働きかけることはありません。
アビダンマ(論蔵)についての基礎知識がないと理解できずに目が回ってしまうかもしれません。このためサハジャータ(倶生縁)とアンニャーマンニャー(相互縁)の相違点を説明します。
●サハジャータ(倶生縁)とアンニャーマンニャー(相互縁)の相違点
相互に原因となったり結果となったりする場合でもそうでない場合でも、同時に生じたら、サハジャータパッチャヨー(倶生縁)に分類されます。サハジャータ(倶生縁)の力により原因として作用すると言います。四つのマハーブータ(四大種)とウパーダールーパ(所造色)、四つのナーマッカンダ(名蘊)とチッタジャルーパ(心所生色)などがこれに該当します。
相互に原因となったり結果となったりすることが可能であればアンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁)に分類されます。アンニャーマンニャー(相互縁)の力により原因として作用すると言います。四つのマハーブータ(四大種)はそれぞれが相互に原因となったり結果になったりします。四つのナーマッカンダ(名蘊)もそれぞれが相互に原因となったり結果になったりします。
アンニャーマンニャー(相互縁)が生じる度にサハジャータ(倶生縁)も生じます。アンニャーマンニャー(相互縁)の性質には、常にサハジャータ(倶生縁)の性質が加わります。一方でサハジャータ(倶生縁)が生じたからと言って必ずしもアンニャーマンニャー(相互縁)が生じるわけではありません。サハジャータ(倶生縁)の性質に常にアンニャーマンニャー(相互縁)の性質が加わるわけではありません。アンニャーマンニャー(相互縁)の性質が加われる部分にだけ加わります。
サハジャータ(倶生縁)が関連する範囲は広く、アンニャーマンニャー(相互縁)が関連する範囲は狭いです。サハジャータ(倶生縁)の性質は強力に見えます。アンニャーマンニャー(相互縁)は狭くて入り組んでいるように見えます。サハジャータ(倶生縁)は公益事業従事者のように見えます。アンニャーマンニャー(相互縁)は営利事業従事者のように見えます。公益事業従事者は相手が自分に対して手助けするかしないか気にすることなく出来る限り相手を手助けします。営利事業従事者の場合は自分が手助けしたら相手も自分を手助けし、自分が手助けしなければ相手も自分を手助けしないという関係になります。
親友が集まっているとします。その中の一人が他の親友たちにご馳走します。相手が自分に見返りとしてご馳走してもしなくても彼はその親友たちにご馳走します。これがサハジャータ(倶生縁)の性質です。また別の一人が他の親友たちにご馳走します。相手が自分にご馳走したらその相手に自分もご馳走します。相手が自分にご馳走しなければその相手には自分もご馳走しません。これがアンニャーマンニャー(相互縁)の性質です。サハジャータ(倶生縁)とアンニャーマンニャー(相互縁)の間にはこのような違いがあります。
●祖国ミャンマーが時代に即し発展するために
私たちはミャンマー国民としてミャンマー国内にサハジャータ(倶生縁)、一緒に住んでいます。私たちはアンニャーマンニャー(相互縁)、お互いにミャンマー国民であるとの自覚を高め、一人一人が人種、宗教の違いを乗り越え、身体の行為、口の行為、心の行為としてのメッタ―(慈)を具える必要があります。
そのように人づきあいし暮らせば私たちの周囲の人たちも静かで穏やかになります。私たちの国も静かで穏やかになります。周囲の人たち、国家が静かで穏やかになれば人事、経済、健康、学問などあらゆる面で発展し国家は繁栄します。私たちも心身ともに豊かに暮らすことができます。私たちは世界の中心となり、おお、あれがミャンマー人たちだと称賛を受け国家も繁栄するだろうと思います。
●サンサーラ(輪廻)を経めぐる
五欲の対象を喜ぶヴェーダナーッカンダ(受蘊)が生じることにより、記憶であるサンニャーッカンダ(想蘊)などの四つのカンダ(蘊)、ルーパ(色法)とナーマ(名法)が生じ、増大します。次いで生命でもなく、自我でもない、アニッチャー(無常)、ドゥッカ(苦)、アナッター(無我)に過ぎない五蘊、六外所(六つの対象)を、生物、人間、神、自我であると誤解し、誤って認識するサンニャーヴィパリータ(想顛倒)が生じます。このように誤った認識、サンニャーヴィパリータ(想顛倒)が生じ、ヴェーダナーッカンダ(受蘊)、サンニャーッカンダ(想蘊)などのカンダ(蘊)、アーヤタナ(12所)が間断なく生じて、サンサーラ(輪廻)の輪が止まることなく回転を続けます。
●サンサーラ(輪廻)を断ち切る
五欲の対象を喜ぶヴェーダナーッカンダ(受蘊)を断ち切ることができれば、サンニャーッカンダ(想蘊)などのルーパ(色法)とナーマ(名法)を断ち切ることができます。次いで生命でもなく、自我でもない、アニッチャー(無常)、ドゥッカ(苦)、アナッター(無我)に過ぎない五蘊、六外所(六つの対象)に対し誤って認識するサンニャーヴィパリータ(想顛倒)を断ち切ることができれば、サンカーラッカンダ(行蘊)などのルーパ(色法)とナーマ(名法)を断ち切ることができます。そうすることでのみサンサーラ(輪廻)の歯車の回転が止まり一切の苦しみから離れてニッバーナ(涅槃)に触れることができます。お釈迦様はこのことを私たちに伝えるためサハジャータパッチャヨー(倶生縁)を説かれました。
アンニャーマンニャーパッチャヨー(相互縁)もサハジャータパッチャヨー(倶生縁)に似ています。両者の性質が大きく異なるということはありません。まだ初歩の段階なのでこのくらい憶えておけば十分だと思います。いずれ系統立てて学ぶ機会があれば明確に知ることができると思います。
サンガの言葉