昔から、訳もなく寂しい、疎外感のようなものを何となく感じていました。どうしてこんなにしーんと寂しいのか? どうしてこんなにひがみたくなるのか不思議だったのですが、わからないままでした。母のことを思っても、母に不満はないはずでした。
「幼少期の愛着障害の問題がありませんか。本当にお母さんに不満はないのですか?」と先生に訊かれました。
瞑想していると、幼少期の忘れられない思い出が蘇りました。母と弟がいつの間にかいなくなり、私は、母が嫌っていた祖母(父の継母)の膝に抱かれてテレビを見ていました。私は置き去りにされてこれは大変!と駆け出し、弟にミルクをやっている母を見つけました。そして私もミルクをもらうのでした。ミルク代が嵩むので、母はこっそり弟にミルクをあげていたのでした。私は何も分からず、弟ばっかり可愛がられていると思っていました。その頃母は舅姑に大変いじめられていました。ぼんやりと分かっていましたが、寂しい私は祖母や近所のお婆ちゃんの所に遊びに行って紛らわしていました。
瞑想会の後、思い切って母に、「小さい頃弟ばっかり可愛いがられて、もの凄う寂しかってんで」と話しました。
「そら、すまんかったな。実はなあ、お祖母さんに懐くお前が憎らしかってん。虐待しそうやった」
母が涙ながらに話しました。私はびっくり!幼い頃の私は、聖母マリア様を見るように母を見ていました。母は平凡な人生経験も浅い女性であるというのに。
大好きなお母さん、想像できないほど辛く悲しい日々だったんだね。私を虐待したってかまわない、それでお母さんの気が晴れるなら……そんな気持ちが湧いてきて私は母を抱きしめていました。
言ってもらってスッキリし、得心しました。私の寂しい気持ちの理由が分かりました。いつの間にか寂しさを忘れていました。
「でもな、おかあちゃんも小さいとき寂しかってん。おばあちゃんが弟を産んだ後、歳の離れた姉さんの嫁ぎ先に預けられてて。小学校に入学するので家に戻ったけど、最初はなにか馴染めなくて、いつも一人で川を見に行ってたんよ……」
歴史は繰り返すのだと思いました。
「平等性に問題があったとしたら、自分も過去に人を差別し、平等に扱わなかったはずなのですが……」と先生。
しました!してます!お寺に生まれて、仏道を歩まずんば人に非ず、なんて感じでした。人の欠点を見つけ喜んで、人の不幸に同情しつつ自分の幸せを喜ぶ。人にしたようにされる、です。
母に命をもらい、父に人生をもらったような気がします。そして、私の悩みは親の悩みでもありました。
一日瞑想会で歩行瞑想を見て貰いました。「間の取り方がうまく出来ていませんね」と先生。後でどういうことなのか考えていました。間が取れてないって……。「これは瞑想が全部出来ていなかったんだ!!」「概念で瞑想しているんだ」と気付きました。「ああか?」「こうか?」と考えて感覚をちゃんと取れていなかった。また、ラベリングのあとで次の一歩に移る前に、一拍間を取るのを軽視していました。そう気付いてから、しばらくは感覚が良く取れました。注意されるとは良いものですね。
「セオリー通りにできているんだけど、瞑想する覚悟のようなものがねえ」。
最近の1Day合宿で先生に言われました。最後のまとめの時間で、他の参加者の方から、「わざわざ奈良から来られたんですか?どうして?」と聞かれ、「帰りにデパートにも寄れますし」と思わず答えました。照れ隠しの積りでしたが、「私は遊びで瞑想してる!」と思いました。やるぞという心構えは昔から無い。何となくやるのですが、真剣さは少ない。瞑想で流れが良くなると、快楽的なものに溺れていました。瞑想が趣味になり、遊びになっていました。苦しい瞑想を続けるか?やっぱり求めている快楽の方へ行くか?分からなくなって来ました。
「考えるより、身体に任せよう」と決めました。何も考えず、自然に任せました。すると、日常の瞑想が出来る時が増えました。感覚が少し鮮明になりました。50:50の取り方や中心対象への戻り方が甘かったとも気付きました。
要するに、身体は瞑想を止めなかったのです。びっくりしました!身体の選択に任せて瞑想を続けることにしました。しかし、気づきは直ぐに薄まり忘れてしまいます。いつまでも変わらないエゴの塊の私が、ドーンと居坐っているようです。ただ、嬉しいことに、家族が穏やかに、幸せそうになってきたのです……。
以上がボチボチ瞑想を続けている私の歩みです。また、今回この文章を書くことで、気づいたことや整理出来たことがいっぱいありました。機会を与えて下さって、感謝いたします。(完)

