仕事場にしていたマンションの売却と小さな山小屋の購入の過程で、地元の不動産屋とかなり親しくなった。たわいない話をするなかで、他所の人がこの地域の物件を欲しがる理由を教えてくれた。まず都会の夏の暑さが尋常でなくなり、涼しい場所が欲しいという人たち。次に地震、津波が起きたときの避難所求めてという方々。そして「僕には全く意味が分かりませんが・・・」と前置いて教えてくれたのは、スピ系といわれるスピリチュアルな事象を信じる人たち。「信じる」というのは言い過ぎかもしれない。いわゆる不思議な事象が好きな人たちと言った方がよいかもしれない。
富士山と八ヶ岳の権現岳を結んだ線は、日本のレイライン(聖地が一直線上に並ぶ現象、あるいはそのように結んだ「仮想的な直線」)のひとつだそうだが、その線が、私が住んでいる山梨県北杜市を通っているようだ。また南アルプスの甲斐駒ヶ岳と八ヶ岳の赤岳を結ぶ龍神レイライン上にも位置するらしい。
近くの「延命の湯」はパワースポットということになっていて、入浴すると“気”が満ちるという。八ヶ岳には伏流水が流れていて、そこここに湧水がある。湧水がある場所は当然ながら神社があり、そこはもちろん霊場である。湧水がある場所にいると、なんとなく清涼な気を感じるし、邪気が払われる気がする。滝も同様で、「吐竜の滝」が近くにあるのだが、ここで瞑想すると滅法気持ちがよい。巨大な龍の棲み処だと言う人もいる。UFOを見たという人たち、龍を見たという人たちにたくさん会った。視界が開けた山麓で、晴れた日にたくさんの龍が遊んでいるのを見たという人までいる。残念ながら私はどちらにもお目にかかっていない。興味はあるのだが。
この地域には大小様々神社がある。舟形神社という名前の神社がいくつかあるのだが、そのうちの一社には「アメノトリフネ」をつないだと伝承されている石がある。「アメノトリフネ」とは古事記に出てくる「天鳥船」で、まさに古代のUFOではないか。山はもともと山岳信仰の対象で、神様として祀られている。八ヶ岳も当然そうで磐長姫命と八雷神が祀られ、中世からは修験道の霊場としても知られている。そういうことも、不思議好きな人たちを魅了する地域でもあるのかもしれない。
正直に言えば、私ももともと不思議大好きで、そういう話には身を乗り出してしまう。この周辺は芸術家が多く移り住んでいて、二拠点として使う人も、移住した人もいるが、作詞家、作曲家、詩人、画家、造形家などいわゆる「クリエイティブな」仕事をする人が多い。私が10年前に初めてここに仕事場を構えたのも、詩人と作曲家の友人の勧めによる。住んでみたら、「え?私も近くにいるよ」と同業者に驚かれたりした。自分の中に降りていって集中しなければ、何も生み出せない仕事をしている者には、見えない存在の力が本当に助けてくれているのかもしれないと思ったりする。不思議好きでないという人たちも、うっすらと背中を押される感じがして、ここに拠点を持つのかもしれない。
スピリチュアリティとは、産業革命以来の科学偏重の世界にあって、合理性だけでは生きられないと考える人間が個人的に霊的なものにアクセスするようになったこと、体系的ではなく自由なあり方を指す。それに対してスピリチュアリズムとは「霊魂が存在するとし、肉体の死後も魂は生き続け、生者と死者は交信でできる」という思想だ。この考えに基づき19世紀以降イギリスを中心に霊媒を通した降霊会なども盛んに行われた。現代の日本で「スピ系」という場合、霊魂に留まらず、龍や天狗などの空想上の存在や、宇宙人、さらに八百万の神など、目に見えない存在全てとの交流を含んでいるスピリチュアリティというべきだろう。
「神々との会話」「悪魔との会話」という経典があることから、ブッダも目に見えない存在を認めていると考えている。「梵天」という存在がどういうものか私には分からないが、梵天に頼まれて布教を開始したのだから、梵天もいるのだろう。原始仏教のヴィパッサナー瞑想を修行する者として、目に見えない存在を容認することは間違いではないと思っている。
ただどうだろう、そのことに過度に興味をもったり、現実の事象を軽んじたりすることには抵抗がある。「そういうことはあるかもしれない」「そういう存在はいるかもしれない」と考えつつも、それを第一にして生きるのは違うように思う。霊媒師や占い師に依存して、どんな些細なことも聞いて行動するという人もいるが、やはり自分を明け渡すような生き方は抵抗がある。もし私自身に霊感があり、霊を見たりUFOと交信したり、龍がやってきたりしたとしても、自分で考え、自分で判断し、道を決めないと気持ちが悪い。
娯楽のひとつとするにしては、「見えない存在」は重く危険なものだとも思っている。決して軽んじること無く、見えないからこそ真摯に祈りを捧げ、尊重しなければならないと思う。そんな微妙なバランス感覚を大切にしながら、ここ八ヶ岳南麓で見えない存在と共に生きていきたいと思っている。