2025年の7月号をもちまして「ちょっと紹介を」の連載を終了とさせていただきました。長きにわたって筆を執っていただいた前編集長に心よりの感謝を申し上げます。
さて、今月号より新たな連載『瞑想 山小屋だより』がスタートいたします。筆者の恭子さんは、ファスティングなどにも取り組み、タイの森林僧院で約一ヵ月の瞑想修行を複数回おこなったりされている、グリーンヒルの中でも最も熱心な瞑想者のひとりです。そんな恭子さんが、本格的に瞑想に取り組むために、都会を離れ、八ヶ岳に庵を結ばれました。慌ただしい生活の中で、なんとか瞑想する時間をひねり出している僕にとっては、羨ましい限りです。では、その第1回「八ヶ岳の森林僧院」をお届けします。
八ヶ岳の森林僧院
山の朝は早い。5時には目が覚めてしまう。東京だとあと2時間は寝ているというのに。特にこの八ヶ岳エリアだけが早く日が昇るわけではないのに、どうしてだろう。多分山の気や、動物、木々、鳥たちが起き出す気配、または眠りにつく気配にこちらの気が影響されるのかもしれない。
軽く朝食を取ったら散歩に出かける。六門解放の歩く瞑想だ。坂道なので上がったり下ったり、足元も悪いし、草や木の根につまず躓きそうになるし、雨の後などは泥濘になる。淡々とアスファルトの道を歩いていた時とは別の緊張感がある。泥濘には大きな二つに割れた蹄の跡を見たりする。
偶蹄目、これは多分イノシシ。横に二つ縦に二つの足跡は多分ノウサギ。人には滅多にすれ違わない。鶯の声、カラスの声、名前も知らない様々な鳥の声。林を抜ける風の音。はるか遠くに車の音。「聞いた」「見た」「ひっかかった」「着」。でも時々美しい景色や音に心を奪われていることにも気づく。
この山小屋に引っ越してきたのは1ヶ月前の6月始めのことだ。それ以前は東京の杉並区に40年近く住んでいた。生まれたのもそこだから、時々出たり入ったりはあったものの、ほぼ70年近くを東京で暮らしてきたことになる。移住を決めた理由はひとつではないけれど、大きな理由のひとつは「瞑想をちゃんとやりたい」ということだ。
瞑想をするハードルを下げる。心が強い方々はどんな環境でも、どんな生活でもできるのだろうけれど、私のように周囲に流されやすく、暑さ寒さにくじ挫けやすく、雑音にすぐに気が散り、人間関係で気持ちが揺れてしまう人間は、まず環境を強引に整えてしまう方がいいと考えた。何しろもう残り時間は僅かしかないのだ。命はあったとしても元気でいないと良い瞑想は難しい。
実は、意外とこの決意は簡単だった。去年の暮れには決心して準備を始めていた。この山小屋と巡り合って手にいれたのは、もっと前の秋のことだ。最初はウィークエンドに山小屋として使うつもりだった。それなので実に小さい山小屋で、家の重心にチェンマイのお寺で頂いた仏像を置くと、まるでクーテイのような家なのだ。「ここで暮らしてもいいのではないか?」と思ってからはすぐに移住する気持ちが固まった。しかしそこからが大変だった。こんなに大変とは思ってもみなかった。
家を立てて40年弱、子育てをして、仕事もしていた家だった。捨てても捨てても物が出てくる。溜めこんだ物はまるで贅肉のようで、体や心に纏わり付く澱のように感じられた。それは単に「物」ではなくて、「物」に纏わる「プライド」であったり「愛しい思い出」であったり、要するに「執着」なのだ。「物」が捨てられないのではなくて、問題は「物」の裏側にしっかりと張り付いている感情の方だった。
自分の身体から引き剥がすように「物」を捨てていった。だんだん身軽になっていくと、自分が何者でも無くなっていく心もとなさが募っていった。自分が「こういう者だ」と何で思えたのだろう。そもそも何者でもなかったのに。「物」を捨てていくうちに、だんだん清々しい気分にもなっていった。その昔、ブッダに付き従って、出家した弟子たちは、糞掃衣と托鉢の鉢ひとつでその後の人生を生きた。すごいことだと改めて思う。まだまだ欲にまみれた私は、7割は処分できたものの結局色々なものを山小屋に持ち込んでしまった。まだまだである。
山小屋暮らしでは、他者の気配や音が無い。車の音もほとんどしないし、灯りも無いから夜は真っ暗。風の音、雨の音、鳥の声が聞こえるだけ。これがどれほど瞑想修行にプラスの環境か、住んでみるまで想像できなかった。やはり意思の弱い修行者には、外側の環境を整えること、内側の環境つまり健康やトラウマの解消が大切だと感じている。とは言うものの、この10年東京で、大家族で暮らし、騒音に悩まされながらも、毎日少しずつでも瞑想を続けてきたからこそ今があるのも確かなことだ。与えられた場所で淡々と瞑想を続けることでしか、先には進めない。
歩きの瞑想をしていたら足元を大きなトカゲが猛スピードで横切った。潰しそうになって蹈鞴を踏んで「わ!」と叫んでいた。偉そうなことを書いているが、トカゲを見た時から、つまず躓きそうになって叫んでしまうまで、Satiは全く入らなかった。「Satiが入らなかった」とSatiを入れた。本当にまだまだである。