(承前)
 そんな時に、母の日と私の誕生日がやってきました。日にちが近いため一緒にお祝いをする予定でしたので、私はお花とケーキを手に、家に帰ってきました。
 それなのに母はおらず、父が暗い顔をして座ったのです。事情を聞くと、力を振り絞って鍋を握り、私が好きな筑前煮を作ってくれていましたが、些細なことで父と口論になってしまい、具材がゴロゴロ入った重いお鍋を投げ捨てて、薬も荷物も持たずに家を飛び出していったそうです。薬を飲んでも痛くて仕方がなく、歩くのもやっとな身体です。連絡も一切取れなくなり、どこで倒れてもおかしくない状態だったので、警察沙汰になりました。
 翌日、無事に母が帰ってきました。私は仕事から帰り、ベッドに臥している母のもとに行くと、「もう誕生日、祝ってあげられないのに。ごめんね。ごめんね」と母は静かに泣いていました。「大丈夫だから、そんなこと言わないで」「もう無理なんだよ」。
 母も、私も、父も、苦しかったです。
 その翌週に入院となりましたが、その壮絶な1週間が母と家で過ごす最後の時間でした。
 入院してから1ヶ月、病気になってから3年後の初夏、母は亡くなりました。
 本当に、最後の誕生日になってしまいました。

 母が苦しんでいる間、私も何もしなかったわけではありません。心も身体も小さくボロボロになっていく母に、私ができること。自分を救ってくれた瞑想を、母のために私が誘導をしながら一緒に行いましたが、ちょっと遅かったようでした。少しは足しになったかも知れませんが、もう少し早ければ。

 病気一つしないほど元気だった人が、病に侵され、あっけなく、亡くなってしまう。
 母は、自分を否定ばかりしていて、どれだけ私たちが励ましても、全て跳ね除けてしまう。どんどん自分で自分の首を絞めているようでした。

 もし、母が病気になった自分も、変わってしまった姿も、それでいいと。うまく動けなくて、人の力を借りることも、それでいいんだと。受け入れることができていたら、もう少し早くその心の土台を育むことができていたら、もう少し家族ともうまくやれていて、幸せな時間が増えていたかもしれません。
 いつ何が起きるかわからない、もしかしたら短い人生かもしれない。でも、その生きる時間を少しでも笑顔で、幸せで生きるには、どんな自分でも、それでいいんだと、受け入れる自己受容がとても大事だと、あらためて感じました。
 それは、当事者も、支える家族も同じです。それぞれに自分を受容できるからこそ、お互いを受容して前に進むことができます。

 母のように、自分を苦しめながら亡くなる人を減らしたい。そして、支える側も一緒に幸せであってほしい。私がそうしていたように、もう少し心の扱い方を分かっていたら。でも、私のやっていた瞑想だとその自己受容の要素が足りない、まだ力不足であることを痛感していました。

 再びかつてのように、貪るようにその方法を探し始めて行き着いた先が、やはり瞑想です。今度はイメージ瞑想ではなく、マインドフルネス瞑想でした。当てのない航海の先に見つけた宝箱のようでした。

 マインドフルネス瞑想に出会って、ただ何かを信じるのではない、嫌なものを無理やり消したり蓋をしたりするものではない、ありのままに事実を受け入れるとても逞しいものだと知り、自分ではどうにもならないものをゆるす、委ねる感覚が生まれてきました。
 イメージ瞑想ではわからなかった、自分の全てと周りで起こる出来事や全てをそのままにゆるしてあげられる感覚を知ることができました。

 そのまま魅了され、勉強を続けていく中で素敵な出会いが重なり、地橋先生の存在を知りました。マインドフルネス瞑想の源流であるヴィパッサナー瞑想と原始仏教の智慧に触れることで、より私の人生のテーマである限られた人生を楽しく生きる人でいっぱいにしたい。それは小手先にポジティブなものを見続けていくものとしてではなく、ネガティブなもの・苦しみも人生のとても大切なエッセンスとしてきちんと認めていく、それすらも楽しめる心を育みたい、自分の心の奥底にある考えととても共鳴しました。

 ただ座ることが瞑想ではなく、生活全てがかけがえの無い自分の糧となる経験になります。起きた事実自体に意味はなく、意味づけをしている自分に気づくこと。全ての行動や気持ちにサティをとにかく入れ続けると、何にも揺らがない、どっしりと「見る側」の自分が生まれてきます。見る側に回ると、視野が広がりました。時間的にも空間的にも、広がりが生まれる。長い歴史の中のこの1秒を生きている自分、地球全体のこの1平方メートルのなかに生きている自分、その中で湧き上がる心の動きや思考は、どんなものだとしてもなんて可愛らしいものなんでしょうか。そんな広い世界にいる人は、みんな置かれている場所や経験してきたこと、持っているものが違う。でも同じように体を持っていて、喜びや悲しみを感じていて、一人では生きていけないという点で、みんな同じ。一人一人の尊厳を認め、自分も人も大切に生きるために、ヴィパッサナー瞑想と原始仏教の厳しくも優しい学びは、私の大きな助けとなっています。

 地橋先生との出会いを頂いてからまだ1年も経っておりませんが、学びと実践のタッグで、かつて誰かに任せていた舵を自分の手に取り戻して、でも無理にハンドルを切るのではなく、海の波に揺られ委ねながら、私の時間を生きられている実感がどんどんと強くなってきています。そして、不思議とその波も平穏になってきています。カヌーのような素朴な舟に変わりはないですが、いつの間にか、それを取り繕うような外装は剥がれ落ちていたようです。自分の不器用さ、わがままなところ、覆い隠したくなるような心の動き。全部が愛おしいです。

 果たして、今後瞑想を続けていくなかで、病や他の予期せぬ出来事に出会ったとして、ブレずにいられるかはわかりません。
 心が折れる前の自分や病気になる前の母が瞑想を知っていたら、救われていたかどうかはわかりません。でも、こうして短いながらも続けている中で、きっと大丈夫だろうと思える心の土台ができてきていることが、何よりの証拠だと思っています。

 まだまだ未熟で自己統制とは程遠いところにいますが、これまでの全ての経験を糧に、相も変わらず不器用な自分と共にどっしりと、わたしの生きる目的を果たす航海を進めていきたいと思います。一緒に学び、舟をこぐ仲間がいることが何よりも大きな支えです。

 どうかこの瞑想がたくさんの方に届きますように。
 瞑想ではなかったとしても、自分と世界をゆるして生きる心と平和が広がっていきますように。
 生きとし生けるものが、幸せでありますように。
 みんながみんなの幸せを、願えますように。(完)