*気づきの深まりが浮き彫りにする苦の正体
瞑想だけでなく日々行なっているジャーナリング(頭の中にあることや感情をひたすら紙に書き出す「書く瞑想」)も大いに内面の気づきを深めてくれた。生活や仕事に追われる中で様々な悩み・不安・不満が巻き起こるが、何について苦しいのか、何を思っているのかは、案外すぐ分からなくなる。仕事のプレッシャーがきついのか、それとも家族や同僚・上司からの評価を気にしているのか、部下から良い上司と言われたいのか、あるいは将来や老いが不安なのか・・・。
何はともあれペンを持って白紙に臨むと、ぼやっとしていた内面の悩み苦しみがつらつらと書き出されて自分の外側に移動する。すると心の内側の重荷が降りて落ち着くだけでなく、客観的に整理したり苦しんでいることを自覚し直したりできるのだ。
かくしてジャーナリングと瞑想によって気づきを深める日々が、徐々に苦の輪郭をはっきりさせていった。かつては漠然と苦しく生きづらいと感じていたが、とうとう自分の苦の正体が、幼少の頃より優秀で良い人でなければならない人生を作り上げたことであったと明らかになった。さらには優秀で良い人でありたい、そうでないと恐ろしい、どうにか幸せになりたい、という煩悩に基づいた「自我」が根深く存在し、絶え間なく苦を産み出し続けていることが浮き彫りになっていった。そうか、だから自分は苦しかったのか、そういうことだったのか……!?
*内観に飛び込んでみる
ところが、苦の存在と原因が分かっても次に待っていたのは「分かったところで解決できない、今日もやっぱり苦しい」という冷酷な苦の続きであった・・・。改めて人生の苦にぐったりさせられていたそんな頃、瞑想会に参加し地橋先生に自我の問題を解決するにはどうすれば良いかと相談したところ、先生は「それなら内観です」と即答なさった。
内観というものは外部との連絡を絶った個室に1週間こもって父母にしてもらったことなどを内省する合宿、という程度のことは知っていたが、「え・・・内観?ほんとに意味あるんですか?」と正直疑問を感じた。いやそれより1週間休みを作ることが面倒なので行かない言い訳を作りたいのだ、とすかさずサティが入る。
やれやれこの怠け心の素早さよ・・・。しかし先生があれだけズバッと言い切るのだからまず間違いはなかろうし、この際修行になる事は何でもやってみよう、むしろ今行かなかったら一生行かないだろう、と観念した。そして瞑想会の帰りの電車の中ですぐ内観をネット検索し、「仕事の工面は後で考える!ためらうなかれ、エイヤッ!」と申し込みメールを送ってしまった。送ってすぐ後悔もしたが、それでも内観に飛び込んだこの「エイヤッ!」は私の人生におけるファインプレーであり、一つの転機となった。
*父の苦しみ、母の苦しみに気づく
内観合宿でも案の定、怠け心が生じたり居眠りしたりもしたが、それでも1週間も籠もって続けていると徐々に内観が深まっていった。そしてある時、父や母が必ずしも悪い面だけではなかったことに気づく。また冷静に振り返ると膨大な時間とお金を注いで自分を育てていたことにも気づく。 そうやって感謝の気持ちが生じてからもなお内観を続けると、ある瞬間、父も母も自分と同じように苦しんでいたのではないか?自分を苦しめながらも、自分と変わらぬほど深く苦しんでいたのではないか?という驚愕の気づきが生じた。 そうだ、間違いない。戦後の貧しさの中で育ち、学校や会社では人と比較され、経済発展に沸き立つ社会に飲み込まれ、子供と家を持ってお金持ちになるのが正とされた人生。祖父母や親戚からもそういう価値観で見られ、その視線に苦しんだことだろう。そんな状況下では、父はしゃかりきに頑張って仕事をして一家を養うことで存在を示し、母は教育によって父や親戚や近所に自分の存在を示す生き方しか出来なかったのではなかろうか?自分が苦しい生き方を余儀なく選んでいったように、母も父もそれぞれ苦しい生き方を選ばされていた。そしてうまくいかぬ人生にもがきながら父は妻や子に肉体的な暴力を振るい、母は我が子の心を無視して教育という形での暴力を振るってしまった。それでも心は何一つ安まらなかったはずだ。そんな過去をもって生きている今も、老いながら自分の犯した業に苦しみ続けているだろう・・・。
*父と母を赦す
こうしてみると父母の苦は、もはや生きた環境や時代背景から必然的に生じた苦であり、因果の流れに沿った不可避なものではないか。別に父や母が悪いわけではないのだ、父も母も望んで自分を苦しめたわけではないのだ・・・!そう気づいた時、私の中に「これ以上父母が苦しむことを望まない」という強い思いが自然と湧き起こった。さんざん私を苦しめ、こんな人生の源流である父と母ではあるが、その二人もそれぞれもっと上流から来る苦の流れに呑まれてもがいていた哀れで小さな命だったのだ。 かくして私の中に、父を赦そう、母を赦そう、という心が生じた。こう思うに至ったのは、内観に意義を感じて望んだ2度目の内観合宿の終盤だった。
*因果の流れでできあがっている自分
そして同時に知る。私もまた父と母から生じた苦の流れ、因果の流れでできあがっている。私の苦しい今の人生は全く必然の結果であった、と。私はいつも怯え優秀なふりをして体裁を守っているが、実際はそうするしかなかった哀れで小さな命だったのだ。
*自分を赦す、そして生じた諦観
私は因果の流れに揉みくちゃにされながらもがいている哀れで小さな命。何ら自立してもいない。何ら優秀でもない。いつも心の中に欲や怒りや慢心といった不善心が生じていて、いつも苦が存在していて、感情も思考も思い通りにできない。私はそんな私の正体を赦すようになった。そして「なんだ、自分とは、人生とはこういうものか」という諦めにも似た心境で事実を受容するようになった。かつて地橋先生が「自分を知ってがっかりする」と仰っていたが、それがこれか。・・・「諦観」。いやそれは自分だけでなく人というもの全てに関する「諦観」だった。
*諦観から生じる安心
しかしその諦観はどこか安心感もあった。自分が苦しんでいたことや原因がようやく分かったという安心、苦しかったのは至って自然であると理解された安心だ。そして今はこうやって不善心を抱え難渋しながらも瞑想を続けていけば、それで充分であり、人生はこれで良いのだ、生きているだけで充分なのだと分かって安心したのだ。
*安心から生じる慈悲
また自分の苦と不善心の正体を知ると、人も同じように苦しんでいるのだ、皆辛いのだと理解され、慈悲の念も自然に湧いてくるのだった。私を苦しめた両親も、妻も友人も、会社の人や社長も、世の中も、みんな自分と同じように苦の中でもがいている。恐れ、焦り、貪りながら幸せになりたいともがいている。その様が見えるようになり「ああ苦しかろうに、さぞや苦しかろうに」と心が痛むようになった。
幸い自分は瞑想とジャーナリングと内観によって気づきを深め、苦を知ることで、いくらか楽になることができた。今度は周囲の人達にも心の安らぎをもたらしてあげたい。しかし苦は人の内面深くに根付いていて、本人が苦に気づき手放していくのを見守るしかない。そういう新たな苦に向き合い、ただその人達の隣で「気づき」を深める生き方を示すのが、自分の慈悲の施だと思うようになった。
*そして安寧の始まり
かつては我が身のための「利己的な利他」で狡猾に動いていたが、今は本質的な同機が違う。ただ淡々とニュートラルな感情を保ったまま、物事がうまくいき、皆が楽になりますように・・・と願いながら思考し行動するように変わってきた。物事がうまくいかなくても「ああそういうものか。仕方がない。では、次のことをやろう」と淡々と受け入れ手放すことができるようになってきた。多忙で暴風雨のような人々の中でも、ひとり無風地帯にいるような、あるいはガラス越しに眺めているような感覚でいられることが増えてきた。 体裁を取り繕ったり、優秀であることで自我を保とうとしていた自分は居なくなりつつある。良い生活や娯楽で憂さ晴らししていた日々は去りつつある。もはやどこかに行かなくても、何を得なくても、何を為さなくても、ただ生きて、ただ死んでいけばいい。そんな充足感が時折湧いてくるようになってきた。なるほど、このようにして生きることも死ぬことも苦ではなくなっていくのか・・・。 今なお忙しさや欲や不安に呑まれる日の方が多いが、それも日に日に薄れていくのだろう。そのことが分かってきたので焦らない。今はただブッダの教え、地橋先生のご指導に沿って淡々と瞑想実践を積むのみ。いつかこの苦がすっかり消え失せ、智慧と慈悲がこの心身から溢れ出し、その恩恵が私の周囲の人に及ぶ日まで。(完)