4.第4日目
この日はブッダが涅槃に入られたクシナーラーに向かいます。インドから来た道を戻り、インドに再入国します。バスで約7時間ほど走って、四大聖地の一つであるクシナーラーに到着しました。
経典では、ブッダが入滅を宣言されてから、大勢の人々がブッダとの最期の別れの挨拶を行う為に、ブッダのもとへ集まってきました。そのような中、ダンマーラーマという比丘はブッダに挨拶へ行かずにいました。それがブッダの耳に入り、その比丘を呼びなさいとブッダは言われました。比丘はブッダのもとに行き、ブッダは来なかった理由を尋ねます。比丘はブッダが涅槃に入る前に最終解脱に達したいと答えます。その言葉を聞き、ブッダは賞賛しました。
この逸話でも示されているとおり、ブッダはヴィパッサナー瞑想を行い、覚りをひらくことが最も重要であることを述べています。そして死の直前に不放逸で励みなさいと言った最期の言葉を、今後の修行で常に忘れないようにしたいと感じました。
クシナーラーには大涅槃堂とニルヴァーナ・ストゥーパが隣接しています。大涅槃堂には横たわった大きな仏像があり、ブッダが涅槃に入られた直後を示しています。またニルヴァーナとは涅槃の意味です。
大涅槃堂では、旅行会社の手配でインド生まれの比丘にお経をあげてもらいました。お経はパーリ語で読み上げられ、タイでお経をあげてもらったときと似た感じがしました。タイではお経をあげる前に比丘にお布施をするのが慣例ですが、ツアーの面前でそういう訳にもいかず、終わってからお布施をお渡ししました。比丘が受取るのではなく、タイと同じ様に私の為に簡単なお経をあげてくれたのが、うれしかったです。
少し驚いたのは、女性がその比丘に触れたにも関わらず、比丘が全く気にしていないことでした。上座部仏教の戒律では女性が触れるのは禁止されているはずですが、観光客に慣れ親しんでしまっている比丘に違和感を感じました。ここで疑念が出そうになりますが、聖地で比丘にお布施した行為は善業だと自分を納得させました。
その後、ニルヴァーナ・ストゥーパを周りました。ブッダが涅槃に入られた当時、ストゥーパの近くに沙羅双樹の樹木があったそうですが、現在はその面影もありません。沙羅双樹とは、2本の沙羅の木という意味です。ブッダが涅槃に入られた際は、季節外れにも関わらず沙羅の木が満開になったと言われています。
クシナーラーの近くにはブッダが涅槃に入る直前に休んだ場所があり、マータクワル祠堂として現存しています。ニルヴァーナ・ストゥーパからマータクワル祠堂までは徒歩で行きましたが、その間に幼稚園児と小学1年生ぐらいの物乞いの少女が歌いながらずっと付いて来ました。インドでは貧富の格差が大きく、特にこのウッタル・プラデーシュ州や隣のビハール州は、インド国内でも最も開発の遅れた地域の一つと言われています。観光客が行くところには必ずと言っていいほど、街頭の押売りと物乞いがおり、言い寄ってくる場面に何度も遭遇しました。
通常の観光客の視点であれば、押売りや物乞いは相手にしないところです。しかし今回は聖地巡りで来ています。慈悲の瞑想の視点で考えれば、目の前の苦しんでいる人々を助けないのはどうなのか、と疑問を感じました。しかし小銭をあげても、彼らの根本的な解決にはほど遠い状況です。この気持ちについてどう行動したかは、第7日目のブッダガヤで後述します。
次にブッダの火葬が行われた荼毘塚のラマバール・ストゥーパに行きました。経典ではブッダが涅槃に入った後に大勢の人々が葬儀の準備を整えました。ブッダを白檀の薪で火葬しようとしたところ、火が点火されません。立会者の一人であるアルヌッダ尊者が神通力で確認したところ、神々がブッダの後継者であるマハーカッサパ尊者が荼毘塚に到着するまで点火させないよう取り計っていることが分かりました。
後継者のマハーカッサパ尊者ですが、以前からブッダの後継者と目されていた逸話があります。在家生活からの離別を決意した直後に、道でブッダと出会います。富豪の生まれであるマハーカッサパ尊者は、出家前に自分が来ている豪華な衣類をブッダにお布施します。そしてブッダが着ている糞掃衣をくださいと申し出ます。ブッダは最初注意しますが、マハーカッサパ尊者は再度申し出てブッダはそれを了承します。単に衣類を物々交換しただけですが、経典ではブッダが自分の衣を他人に渡したのは、マハーカッサパ尊者だけとされています。このことはブッダの後継者になるという重大な意味が含まれていました。
ところでブッダの弟子には十大弟子と呼ばれる阿羅漢がいます。十大弟子の中でも、サーリプッタ尊者とマハーモッガラーナ尊者は教団の2トップといえる存在です。2トップの中ではサーリプッタ尊者が先任とされています。しかし、両尊者はブッダより先に涅槃されます。そしてブッダ涅槃後に、教団のNo.3であるマハーカッサパ尊者が後継者になりました。No.3が後継者になったというのは分かるのですが、ブッダに会ったときに既に後継者と目された逸話を聞くと、2トップの両尊者が生きているときに後継者というのは予言ではないかと思いました。原始仏教では基本的に予言は否定される為、話の矛盾を感じました。ただ別の見方をすれば、過去世からの計り知れない善業が帰結して、ブッダの後継者となったとも考えられます。いくら自分の頭で考えても、自分には正解は出せないと感じました。経典等を読んでいるときでも、このような疑問点はいくつか出てきますが、最後は自分自身で体験するしか正解にはたどり着けないのではと思いました。
このストゥーパを周っているときに、托鉢している比丘に出会いました。午後に托鉢している比丘は初めて出会ったので、路銀が尽きたのか、エセ比丘なのか等と邪念が次々と出てきましたが、善業の為だと思って布施しました。
聖地巡りの後、クシナーラーのホテルに宿泊しました.(続く)
地図:アイコンをクリックすると、写真を見ることができます