5.第5日目
この日はブッダが入滅を宣言されたヴェーサーリに向かいます。第5日目から7日目までは、インドのビハール州という地域であり、この州は2016年から州内への酒の持込・飲酒が法令で禁止されています。官憲は外国人に対しては賄賂を渡せば見逃してくれるそうですが、現地住民に対しては社会基盤維持の為、酌量の余地なく逮捕するなど厳しい運用を行っているとのことです。
途中、ケーサリアというところに立ち寄りました。ここはブッダが入滅宣言の地ヴェーサーリから涅槃の地クシナーラーに向かう最後の旅の際に、ブッダが立ち寄ったところです。ケーサリアは、語感がケーサプッティヤーから変化した可能性があります。その場合、ケーサプッティヤー村というのが経典の有名な一節に出てきます。ケーサプッティヤー村には各宗教の人達がやってきては、各々の教えの正当性を主張していました。その為、村人達は何が正しいのか分からなくなっていました。そこにブッダが現れ、村人達が各々の教えを疑うことは正しいと言います。人が言ったから、伝統や聖典に書かれているからと言って鵜呑みにせず、きちんと自分で物事を確認することの重要性をブッダが説いています。
現在のケーサリアは、周りに民家も無いところにあり、小山のような大きいストゥーパがただあるのみです。ちなみに、このストゥーパは世界最大の大きさです。ここでもストゥーパの周りを1周しました。
次にレリック・ストゥーパというところに行きました。ブッダがラマバール・ストゥーパで荼毘に付された後、ブッダの骨は8つに分けられました。その内の1つがリッチャヴィ族に譲り渡されました。このレリック・ストゥーパはリッチャヴィ族が受け取ったブッダの骨を安置していると言われています。現在は雨風を避けるように御椀型の屋根が設置されています。ここでも1周しました。
それからヴェーサーリに向かいました。ヴェーサーリは八大聖地の一つであり、ブッダが入滅を宣言された場所です。経典ではブッダはご自身で寿命を決めることができるとされています。ただし不老不死という訳ではなく、身体は老い衰えた状態で寿命が延びるそうです。
ブッダはヴェーサーリの地で、アーナンダ尊者にブッダの寿命を延ばすか否かを暗に問いかけます。アーナンダ尊者は、以前にも似たような別の会話をブッダと話したのを覚えていました。その為、このときのブッダの隠れた意図を見抜くことができず、ありきたりな回答を行います。そしてブッダはアーナンダ尊者に退席するよう命じます。その後、悪魔(ヤーマ)が現れ、ブッダに涅槃を勧めます。ブッダはヤーマに従ったという訳ではありませんが、最終的に涅槃を宣言されます。
その直後に天変地異が起こりました。何事かと驚いたアーナンダ尊者がブッダのもとに駆け寄ります。ブッダが天変地異はブッダの生誕、成道、涅槃の宣言、涅槃に入ったときに起こるものだとアーナンダ尊者に答えます。即座に状況を理解したアーナンダ尊者がブッダに宣言の取消をするよう懇願します。しかしブッダは、一度放棄した寿命の力は二度と戻らないことをアーナンダ尊者に伝えました。
現在のヴェーサーリは、大きなアーナンダ・ストゥーパがあり、アショーカ王の石柱も設置されています。石柱の上には獅子が完全な形で残されており、現存するものでは唯一の完璧な獅子の形の石像です。ここでも聖地をぐるっと周りました。
その後はガンジス川を渡り、パトナという地方都市に宿泊しました。
6.第6日目
この日は竹林精舎で知られるラージャガハに向かいます。途中、ナーランダー大学に立ち寄りました。
ナーランダー村に大学が設立されたのは、智慧第一と言われたサーリプッタ尊者の故郷であったのが理由と言われています。大学と言っても、現在は遺跡群で世界遺産になっています。西遊記で有名な三蔵法師も実際に学んだとされ、桁違いの頭脳でなければなかなか入学できなかったそうです。ナーランダー大学はかなり広大な遺跡群で、全てを発掘できておらず、未だに全容解明はできていません。敷地内にはサーリプッタ尊者の大きなストゥーパがあります。また三蔵法師が瞑想で使ったと言われている小部屋もありました
次に、八大聖地の一つで竹林精舎で知られる、ラージャガハに行きました。ここはコーサラ国と並ぶ大国であったマガダ国の首都で、国王であるビンビサーラ王はブッダと旧知の仲でした。王は竹林精舎を寄進し、祇園精舎と並ぶ教団拠点の一つとなります。
現在のラージャガハの入口には竹林が植えられており、竹林精舎の名を裏切らないものでした。しかし昔からこんなにうまく竹が生えていたのかなと疑問を持ちました。竹林精舎内は一部工事が行われており、おそらく管理者が巡礼者の為に気をきかせて、綺麗に植えてくれたと思いました。また竹林精舎の中には池が佇んでいます。聖地にくると1周していましたが、ここにはストゥーパはないため1周するものがなく、来た道をそのまま帰りました。
竹林精舎の近くには七葉窟があります。ブッダが涅槃に入られてから3か月後に、ブッダの教えを確認する為に500人の阿羅漢が集まりました。これを第一結集といい、七葉窟で行われました。バスの車窓から見たのですが、洞窟らしきいくつかの穴は分かりましたが、どれが七葉窟かよく分かりませんでした。
それからビンビサーラ王の牢獄址に行きました。王にはアジャータサットゥ王子という息子がいました。王子はデーワダッタにそそのかされて、父親を引退させ王の座に座ります。それだけではおさまらず、父親を牢獄に入れてしまいます。しかし、牢獄でも父親が生気を保てた理由の一つが、歩きの瞑想でした。そこで父親の両足を切断し、これが原因で前王は死んでしまいます。ビンビサーラ王のように国王でありながら預流果に覚るというのは、非常に恵まれたような気がしますが、このような寂しい運命をたどるのは何か釈然としない感じがしました。
現在の牢獄址はほとんど何もなく、レンガが四方に積まれているだけのものです。今の姿は、悲しい逸話と対照的で、これも無常の一つなのかと勝手に思いました。
次に霊鷲山(りょうじゅせん)に行きました。ここはブッダが登った山で、デーワダッタがブッダを死に至らせようと石を投げ落とした逸話が残されています。大乗仏教ではブッダが法華経を説かれた地とされています。実際に歩くと約15分で山頂に到着します。辺りの風景を一望でき、眺めが良いところです。少し自由時間があったので、しばらく座ってサティを入れてみました。
バスで移動し、夜にはブッダガヤーに到着しました。ブッダガヤーの大菩提寺(マハーボーディ・マハーヴィハーラ)は外部からのライトアップ鑑賞のみでしたが、明日内部に行くことができると思うと、心が楽しくなってきました。
この日の聖地巡りが終わり、ブッダガヤーのホテルに宿泊しました。夕食にホテルでスジャータの粥が出されたので食べてみると、ミルク粥で結構美味しかったです。
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