7.第7日目
 朝食でもスジャータの粥を食べて、ホテルをチェックアウトしてからオートリキシャ(インドの三輪タクシー)に乗って、ブッダガヤーに向かいます。ブッダガヤーは四大聖地の一つで、ブッダが覚りをひらかれた地であり、最も活気ある場所です。
 ブッダが覚りに至るまでの逸話があります。村の富豪の夫人であったスジャータ夫人は長年、子供に恵まれませんでしたが、神々に祈りをささげてようやく子供を授かりました。そして神々への感謝を込めて、粥を作りました。この粥は、インドで神々の化身とされている牛の乳と米を白檀で炊いた特別な粥です。ちなみにコーヒーミルクで知られる会社のスジャータは、このスジャータ夫人が由来です。
 ブッダはサマタ瞑想や苦行を究極のレベルまで行っていましたが、覚りの境地を得ることができませんでした。苦行から何も得られないことを完全に理解したブッダは、それまで行っていた苦行を捨てました。その後、スジャータ夫人の召使がブッダを発見し、スジャータ夫人に報告します。スジャータ夫人は「私の希望が叶いました。あなたもこの食事を召し上がって、ご自分の希望が叶いますように」と、この特別な粥をブッダに勧めます。覚る直前のブッダにスジャータ夫人が食事の布施をしたことは、涅槃に入る直前にチェンダが食事を布施したことと並び、最高の布施とされています。
 粥を49口に分けて召し上がったブッダは、体力が回復します。その後、ガヤーの森に行きました。今回の瞑想で覚れるまで決して動かないと誓いを立てます。そして菩提樹の下でヴィパッサナー瞑想を行い、最終解脱に至ります。その後49日間、ガヤーの森に滞在されます。49という数字が2回出てきますが、大乗仏教で人が亡くなってから49日で法要を行うのは、これらが由来とも言われています。
 現在、ブッダガヤは整備されていて、街の名称になっています。その中で、ブッダが覚りをひらいた場所を中心とした関連施設が聖地としてのブッダガヤ、とされています。聖地としてのブッダガヤは全面土足禁止で、入口前で靴を預ける必要があります。また各国の巡礼者を見ていると、両腕でかかえるような大きなお供え物を持って入口に入っていくのが、多々見受けられました。自分も少しだけどお供えしたいと思い、入口前で物売りから小さな花を購入しました。
 午前7時過ぎにブッダガヤに入場しましたが、すでに大勢の巡礼者が詰めかけています。逸話ではブッダは覚ってから49日間、ガヤーの森に滞在しましたが、1週間ごとに森の中を移動していました。移動した場所はチェーティヤと呼ばれ、聖なる場所という意味です。チェーティヤは1週間ごとに変わり、第一から第七のチェーティヤまでがあります。
 最初に大菩提寺の周りを一周しました。第一のチェーティヤはブッダが覚ったとされる金剛宝座と菩提樹であり、大菩提寺を時計回りに周っていくと見えてきます。菩提樹のところで献花を行いました。次に第三のチェーティヤであるチャンカマナが見えてきます。チャンカマナはパーリ語で経行(静かに瞑想しながら反復歩行すること、歩きの瞑想)という意味です。
 その後、大菩提寺内部の金色のブッダ像に礼拝しようと並びました。そこでチベットの僧らしき人物が女性と口論となり、警備員に引き出されそうになっていました。聖地の中心で、お互いに怒りをむき出しにしているとは情けないと思いました。サティを入れることもなく、私の中で「音→怒鳴り声→聖地での無礼→情けない」という反応が、瞬時に立ち上っていました。その一方で、私が同じ状況ならば、「ぶつかった→怒り→聖地での無礼→イライラ(無言の怒鳴り声)」という瞬時の反応になっていたかもしれません。いついかなるときも、ありのままに感じる難しさと、反応系の修行を克服しなければならないことの重要性を感じました。
 ブッダガヤでも、旅行会社が手配した比丘がお経をあげてくれました。比丘のお経はサールナートと同じ感じでしたが、青空の下、ブッダガヤで座っているだけで心が澄んだ感じになります。それからツアーで坐禅の時間となったので、日本から持ってきた坐布で瞑想を行います。周りの喧騒が五感を通じて入ってきますが、不快な思いが生起されません。ここでは、あるがままを受け入れることができました。ツアーの坐禅の後に比丘に財施を行いました。比丘が受け取ったときに何も言わなかったので少しがっかりしましたが、ブッダガヤという最高の聖地で善業を行ったのだと自分を納得させることにしました。
 この後、ムチャリンダの池に行きました。第六のチェーティヤがムチャリンダです。ブッダがムチャリンダにいた際、インド全土で大雨が降っていました。ブッダが雨に濡れないように、コブラがブッダに巻き付いて、ブッダの身を守っていました。このコブラがムチャリンダ龍王(インドにおける蛇神の諸王)で、場所のこともムチャリンダと呼ばれました。ムチャリンダの場所は現在と異なる場所にありましたが、後世の人々が大菩提寺近くに池を作り、ムチャリンダの池と定めました。池の中央にはブッダとコブラの像が置かれています。私は、チューティヤの場所を変更してしまうのはどうかと思いましたが、ブッダガヤ内をコンパクトに周ることが出来るので、細かい疑問を気にしても仕方がないとも思いました。
 ここで団体行動がいったん解散となり、ブッダガヤ内で約20分間の自由時間となりました。このとき瞑想するか、ブッダガヤの中を散策するか悩みました。ブッダガヤには7つのチェーティヤがあり、第一・第三・第六のチェーティヤは行きましたが他のチェーティヤに行くのであれば、この自由時間を使うしかありません。半分を散策に使い、半分を瞑想に使うことも頭をよぎりました。しかし中途半端な時間ではどっちつかずになる可能性があります。観光に来たのではなく、瞑想を深める為に来たという原点を思い出し、全ての時間を瞑想に使うことにしました。
 先ほどツアーで坐禅していた場所が空いていたので、再び座りの瞑想を行いました。すると周りのドラやお経の声が騒音で聞こえますが、ほとんど気にならないくらいとても暖かい感じがしました。先ほど以上に心地良さを感じ、一日中瞑想していたいと思いました。あっという間の瞑想時間でしたが、これだけでも日本からわざわざ来た甲斐があったと感じる、今回で一番の思い出となりました。
 ブッダガヤに一日滞在したいという気持ちを残しながら、次にスジャータ・ストゥーパに向かいます。ここはスジャータ夫人の村で、ブッダに食事の布施を行ったことで、ストゥーパが残されています。ちなみにスジャータ夫人の親族は全員出家した為、財産は全て教団に布施されました。ここでもストゥーパを1周しました。
 この後はブッダガヤ市街地の仏像を販売しているお店にいきました。すでにルンビニで購入していたのですが、ブッダガヤで良いものがあれば、追加で購入してもいいかなと思いました。仏像は精緻に彫られており、品質はかなり良いものでしたが、お店と価格が折り合わず、購入を断念しました。

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