それからブッダガヤには日本寺があり、大仏が建立されているところに行きました。現地にある大仏は大乗仏教のものであり、日本と変わらない姿です。どこか異国での懐かしさを感じさせます。その後、日本寺の本堂に行く途中に、日本寺が運営する慈善活動の学園がありました。たまたま、そこで働いている方と目があったのです。軽く会釈したのですが、何か力になればと思いました。インドに来てクシナーラをはじめ物乞いの人々に何かしなければならないと感じていましたが、物乞い個人個人にお金を渡しても更生にはならない気がしました。インドの物乞いは組織化されており、それをとりまとめるボスのような者が、分け前を取ってしまうのだそうです。このような状況の中、頑張っている施設であれば、布施する価値があると思いました。
ツアーでは日本寺は自由散策となっていましたが、日本寺の僧侶の方が偶然本堂に来られました。有り難いことに突然来訪した我々ツアー客の為に、日本寺の歴史等の講話とお経をあげて下さりました。しかし僧侶と一緒に般若心経を唱えているうちに、心の奥でイライラが出てきました。原始仏教の瞑想を深める為にインドに来たのに、何故ここで大乗仏教の般若心経を唱えなければならないのかという内面的な怒りです。日本人僧侶の親切心に感謝する一方で、他宗派を否定する傲慢な考えがこのとき同時に生じました。布施したい気持ちは強くある一方で、比丘に布施をするのであれば原始仏教に基づくべきだと思い、学園への寄付に丸を付けず、わざわざ「四資具(衣・食・住・薬)」と封筒に書き、まとまった額の布施をお渡ししました。表層では日本人寺の僧侶に深い感謝を込めて布施を渡す一方で、僧侶に対しこれが原始仏教の正統な布施のやり方なのだと獅子吼する思いが心の深層でくすぶっていました。冷静に考えれば、僧侶に四資具をすること自体は良いことですが、それを相手に認めさせたいということとは別物です。また、布施を物乞いや慈善活動の子供達の為にという思いは完全に消え去っています。これでは怒りモード全開で、劣善そのものです。表面的にはとても良いことをしましたが、内面的には非常に後味の悪いものでした。
昼頃にブッダガヤを出発し、バラナシに向かいます。バラナシまでは約260kmで、約10時間と一日で最長の移動です。夜にバラナシに到着し、市内のホテルに宿泊しました。
8.第8日目
早朝、バラナシのガンジス川の沐浴見学に行ってきました。今回のツアーの中で、唯一の仏跡以外の観光地です。参加自由だったので、参加せずにホテルの部屋で歩きの瞑想と座りの瞑想により多くの時間を使うことも考えましたが、せっかくインドに来たので仏跡以外の観光地に行っても損はないと思い、参加しました。
インドのヒンドゥー教ではガンジス川は聖なる川とされており、朝日が昇る前に川で沐浴するのが良いとされています。どこでも沐浴すれば良い訳ではなく、川が合流する場所が望ましいなどヒンドゥー教の教義があるそうです。ベナレスは沐浴に適した場所とされており、同時にベナレス最大の観光地とされています。早朝から観光客が続々と集まってきます。沐浴見学と言いつつも、観光客の方が多数で、インド人の沐浴者はそれほど多くはありませんでした。ガンジス川ではツアーが準備した船に乗り、ガンジス川の様子を一望できました。またガンジス川は火葬を行う場所でもあります。撮影は厳禁ですが、実際に火葬する場所まで船が近づき、死について考えさせられました。
ホテルに戻って朝食を食べた後、サールナートに移動します。サールナートは初転法輪の地とされ四大聖地の一つで、ブッダが初めて説法をされたところです。ブッダは覚ったあと、誰に覚りの境地を教えようかと考えとところ、無色界禅定を教わった二人の師に伝えようと思いました。神通力で調べたところ、お二人とも亡くなっていることが分かった為、次に以前一緒に修行していた5人のもとに行きました。その5人はブッダが王子時代の縁者たちで、ブッダが覚るのを見届けるために出家していました。ブッダが苦行を止めたときに失望し、5人はブッダのことを仲間だと思わないよう、申し合わせていました。しかしブッダが来ると、各人が申し合わせを破り、ブッダの足を洗うなど世話をしてしまいます。そしてブッダとの歓談が始まります。5人はブッダと対等の言葉を使いますが、ブッダが5人と同格に扱われることに反対します。ブッダが覚ったことを伝えても5人は納得しません。そこでブッダが嘘をついたことがあるかと5人に問います。当時、釈迦族は高潔な民として知られていました。その中で最も信頼の高い王子が嘘をつく等、今までありませんでした。5人ははっと気づき、ようやくブッダの説法を聞くことに合意します。
私は最初、この5人はブッダが覚ったと言っているのに何故信じないのか、ブッダが今まで嘘をついたことは無いと言って、初めて気づくのはブッダに大変失礼だと思いました。しかし「ブッダの聖地」を読み返していくうちに考えが変わっていきました。
覚っているとブッダが言っても、根拠がなければ鵜呑みにしないという5人の理性の重要性がここで述べられています。5人がゴータマ・シッダッタ王子を尊敬していて、本人が覚ったと言ったから信じる、では根拠になりません。5人がゴータマ・シッダッタ王子が今まで嘘をついたことがないことを理解し、本人が覚ったと言ったから信じることで初めて根拠となります。
世の中には、権威や著名だから納得してしまう場合が多くあります。しかしケーサプッティヤー村の逸話のように人が言ったから、伝統や聖典に書かれているからと言って鵜呑みにせず、きちんと自分で物事を確認することと同様に、この5人がその重要性を伝えてくれているのだと思いました。
サールナートには阿羅漢たちの小さなストゥーパがいくつもあります。ブッダが、覚りに達した人々の骨はちゃんとストゥーパを作って安置するよう示されたことで建てられました。また高く大きなストゥーパがあり、これはブッダが初転法輪をされた場所で、静かにたたずんでいます。ここでも1周しました。
その後、サールナートの近くにあるムーラガンダクティ・ヴィハーラ(転法輪寺)に行きました。ここは日本人がフレスコ壁画を描いたところで有名です。戦前のものですが緻密に描かれており、ブッダの一生を絵画から学ぶことができます。
昼食をホテルで食べた後、バナラシから国内線に乗る為に空港に向かいます。エアインディアは搭乗1時間前の締め切りですが、1時間前にファイナルコールと言われ、催促されます。いくらなんでも早すぎると思いつつも、なんとか搭乗します。すると出発の40分前に航空機が離陸しました。普通は予定時間より遅れることはあっても、時間前に飛び立つことを経験したことがなかったので、エアインディアの対応に驚きました。その後、夜にデリーで成田空港行きの国際線に乗り継ぎました。
9.第9日目
早朝に成田空港に無事到着し、自宅に帰りました。振り返ってみると、身体的には結構疲れた一方で、聖地巡りに思い切って行くことができて良かったと思っています。
ブッダが「信仰心のある良家の子には、次のような四つの、見るべき、畏敬の念を起こしうる場所があります」と言って、四大聖地を挙げられています。ブッダは「私を拝みに来なさい」と言っているのではなく、「これらの場所にちょっと来て、ゆっくりして、実感してください」という気軽な感じで提案しています。
もしヴィパッサナー瞑想を通じて仏教に関心を持ったのであれば、行く価値はあると思います。最近の書籍や映像で現地の様子は分かるようになっていますが、ブッダガヤの瞑想の様に現地に行ってみて初めて感じることのできる、あの暖かさを是非実感してほしいと思います。
今回の聖地巡りのご報告が、皆様の今後の修行にお役に立てれば幸いです。
出典:ブッダの聖地(サンガ文庫)
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