(承前)
「私」の引き算
 ある日、ふと昔の不快な出来事を思い出しました。数年前、ある人にちょっと失礼なことを言われた時のことです。
 「そういえば、あの時あの人は私にこう言ったんだっけ……」
 すると 当時の情景がまざまざと甦り、何やらムカムカと腹立たしい気分になりました。
 私はちょうどその時、自我や無我についての本を読んでいたので、「そうだ、私という言葉を消して言い直してみよう!」。そう思いついた私は、頭の中で文章を書き直しました。「あの人は私にこう言った」というのを、「あの人はこう言った」と、「私」を削除してみました。
 すると、「あら不思議……!」、全然腹が立たないのです。そしてこちら側は、「何を言うかはその人の自由だから、別に…………」という気分になってしまいました。
 「あの人はあの時こう言った」
 ただそれだけです。どうと言うこともなく、まったく怒りの感情が出てきません。
 「私」という一文字を削除しただけで、嫌な出来事の記憶はただのニュートラルな過去のデータの一つになってしまいました。
 「これは使えるかもっ!!!」と、それ以来このやり方を愛用しています。
 たとえば、私の料理を家族が残した時には、「私が折角作った料理を家族が残した!!!」と思えば腹も立つでしょうが、「家族が料理を残した」と言い換えると腹が立ちません。お腹があまり空いてなかったのか、量が多すぎたのか、他の何かかな……?と軽く流すことができます。「家族は料理を残した」ただそれだけです。
 挨拶して無視された時も、「あの人は私に挨拶しなかった」ではなく、「あの人は挨拶しなかった」それだけ。私の声が聞こえなかったのかもしれないし、挨拶が苦手な恥ずかしがり屋さんなのかもしれないし。腹はまったく立ちません。
 足を踏まれたとしても、「あの人が、私の足を踏んだ!」ではなく、「あの人は踏んだ。痛み」でおしまいです。
 よくよく考察してみると、頭の中で 「私が〜!」「私の〜!」「私に〜!」と叫んでいる時はぷんぷんモードになっていたことがわかってきました。
 「怒っているのはつまりは『自我』なんだ。『私』のひと言を取っちゃえば自我の奴は出て来られなくなるんだね、ウシシシシシ……」
 以来、私はこの方法で怒り撃退生活を送っています。
 長年複雑に絡み合ってしまっているような複雑な問題には効き目は落ちますが、日常の些細な出来事には絶大な効果ありです。
 ご興味があったらぜひ一度試されたらいかがでしょうか。

さんちゃん すごいね!
 私には、「この人もしかしたらすごい人なんじゃないか!!!」と、密かに思っているお笑い芸人がいます。その名は明石家さんま!!
 たまたま見たテレビ番組で、さんちゃんはこんなことを言っていました。
 「すごく腹が立つことありますか?」と言う質問に、
 「ないないない。人に対して嫉妬心がないから。自分も過信してないし。なんやねんこいつ、と思うことはあるけど、すぐ『こいつアホやねんな』と思う。人に腹を立たす奴ってアホ。人に怒らす奴ってアホ」
 「ふーん、人に腹を立たせたり怒らせたりするのって、アホかぁ……。ちょっと面白い考え方だけど、慢だなぁ」と、最初は思いましたが、「いや待てよ、これはもしかしたら仏教的にすごく当を得ているのでは?」
と思い直しました。
 アホ……これを仏教用語に置き換えると、無明、貪瞋痴の痴……・でしょうか。ということで、「こいつアホやねんな」を仏教語に翻訳すれば、「この人は無明の闇に覆われ、貪瞋痴の三毒がかなり回ってしまっていますねぇ」となります。
 人間社会で暮らしていれば、時として嫌な人に出会うことがあります。そんな時、仏教を知る前の私は「怒り心頭!」「ぷんぷんぷん!」となっていましたが、今は、ちょっと深呼吸して考えます。「この人、毒がかなり回っちゃてる……」
 そして、因果法則に則って如理作為を試みます。
 「今腹を立てると私の心が汚れます」→「心が汚れるといつまでも輪廻の輪を苦しみながら回り続けることになります」
 仏教娘の私がプンプン娘の私にこう問いかけます。
 「本当にこんなことで輪廻の輪っかを回り続けるつもり?」
 「今怒ると、この人がアホ(無明)なことが原因となって、今度はあなたが永遠に苦しみ続けると言う結果になるけれど、それでいいの? それ、何だかおかしくありませんか?」
 「アホなのはこの人なのだから、輪廻の輪っかをクルクル回るのはこの人一人で充分なのでは? なぜあなたまで一緒にクルクルしようとするの?」
 「今、腹を立てると言うのはそう言うことですよ。せっかくがんばって毎日瞑想修行を続けているのに、その苦労も水の泡になってしまいますよ!」
 「あなたが苦しみ続けるに値する価値が、この三毒に侵されたアホの人に本当にあると思うのですかぁー?」
 「今怒ってこの先も苦しみ続ける、あなた、本当にそれでいいんですか?」
 プンプン娘はしばし絶句、「そっ、それはちょっとぉ……」と答えます。
 「だって腹を立てるとそうなりますよ。それでいいこと何もないでしょ。それなのに何故あなたは怒りたがるのですか?」
 プンプン娘はまっとうな怒る理由をみつけることが出来ません。時には、「そう言えば、何で怒りたいのか自分でもよく分からない」と言ってしまう時もあったりします。こうしてだいたいはすごすごと引き下がっていきます。
 このようにプンプン娘を説教しながら私は暮らしています。
 たまにはプンプン娘に一本取られることもありますが、こちらも負けじと頑張っています。いずれはめんどうくさい説教などがなくても、「怒り」と一言で消えてくれるようになるいといいな、と思います。しょっちゅうお説教するのもやっぱり面倒なんで……。
 他にも、さんちゃんは、
 「(腹は)立たない立たない。腹を立てる器でもない。そんなに偉くない。腹立って怒りたい人は偉いと思ってるんじゃないの、自分のこと」と言ったり、「俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いている人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や」とも言っています。まさに慈悲の心ではありませんか。
 最近ではとうとう「ワクワク死にたい」と言い始めました。
 「おっ!」と思う発言の多いさんちゃん。もしかしたら、修行僧だった前世があるのでは?とつい思ってしまいます。
 でも、おしゃべりなさんちゃんには、黙って瞑想する生活はかなりキツかったろうな……。
 ついでながら、さんちゃんのインタビューはyou tubeでも見ることができますので、ご興味ある方はどうぞ。(完)