*気づけば生きているのがずっと苦しかった
なぜだか分からないけれど毎日がずっと苦しく、生きているのが辛かった。いや、そう自覚することさえないままにずっと苦しんでいた。優秀になろうと勉強したり、良い生活や結婚を急いだり、家族にも友人にも会社にも体裁を取り繕ったり・・・。
いつから生きることが苦しくなったのだろう? 40歳を過ぎた今、ようやく考えるようになった。
振り返ってみると30代の頃は特に苦しんでいたと思い出される。その始まりは社会人になった頃か?いや大学生や高校生の頃も色々あったじゃないか、と思い返すうちにあれよあれよと幼少期まで遡ってしまった。そんな小さな頃から生きるのが辛いと感じていたことに気づき、今さら驚く。一体自分の人生に何が起きているのだろう?どうしてこんなことになったのだろう?人生って幸せなものじゃなかったのか・・・?
*いつの間にかできあがっていた生き方
思えば幼い頃から我が家は荒れていた。毎日のように両親は大喧嘩し、食器が飛ぶこともしばしばあった。父親は母や兄や自分に暴力も振るった。恐ろしくて、父が帰ってくると逃げ隠れするようになった。
幼い頃の母は優しかったが、荒れた心のはけ口か、或いは学歴が無かったという深いコンプレックスを晴らすためか、小学校に入った辺りから自分にとても強引な教育をするようになっていった。鬼気迫るように勉強をさせる母がいつからか怖くなり、顔が見られなくなった。
荒れている家庭の中で兄からも辛く当たられるようになり、居場所がなかった。恐怖と孤独を感じながら過ごしていた私は、子供ながらに何度も家出しようか、何度も自殺しようかと考えていた。
いつしか身を守るため、また愛情を惹くために、都合の良い優秀な子になるという生き方をするようになっていた。実に狡猾だった。必然的に成績優秀となり、まるで漫画に出てくる優等生のように、学校のテストでは100点しか取ったことがなかった。だがその優秀さを盾に身を守っているようで、その優秀さが檻となって自分を苦しめていた。
100点以下を取ることは、存在を保てないことと同義になってしまったのだ。100点しか取れなくなってしまった。人より優秀でなければ暴力と孤独が待っているという世界になってしまっていた。更には、人の役に立てるよう優秀になることが大切だという嘘の論理ができあがっていった。それは弱い生き物が必死で身につけた生き方であったが、それが自分自身を苦しめ続けるなどとどうして予見できただろう?いや予見していたところで一体どうしろと言うのだ?仕方なかったじゃないか……。
*苦しみに気がつかないまま苦しんでいた
社会人になっても、結婚しても転職しても、管理職になって活躍していても、ずっと苦しかった。だが苦しいという自覚さえもなく、ひたすら勉強し優秀なふりをし、仕事に躍起になり、もっと社会を良くすれば自分も満たされるのだと信じて心身を壊しながら過ごしていた。
そうしてようやく苦しい、生きづらいと自覚しはじめるようになった。スポーツに入れ込んでみたが、成果や体裁に追われているようで一向に楽にならなかった。酒や娯楽にも逃げ込んだが、来る日も来る日も渇き続けやはり何も変わらない。漠然とした正体のつかめない苦しみが相変わらず続いていた。
ようやく30代半ばを過ぎた頃に、「何かが根本的に、そう、根本的におかしい」と感付き始めた。問題は外ではなく、自分の内側にこそあるのではないか・・・?という気づきが始まった。
*苦の終わりの始まり
「自分の心の中の問題」、ということにはじめて意識が向くようになったある時、まるで惹きつけられるように瞑想の入門書を手に取って、なんとなく始めるようになっていた。1年ほど我流で続けるうちに「瞑想は何か意味がある、ちゃんと学びに行きたい、生き方を知りたい」と思うようになった。
そうして改めて瞑想の教えを探しているうちに地橋先生の著書、ヴィパッサナー瞑想、そしてブッダの教えにたどり着いたのはなんとも自然な導きだった。ここに確固たるものを感じ、これぞ歩むべきといえる道の端にようやくたどり着けたのだった。そしてようやく「苦の終わりが始まった」のだ。
*右往左往?
とはいえ、瞑想実践の道は真っ直ぐでは決してないものだった。
すぐに瞑想の仕方に迷いが生じ、瞑想やブッダの教えに関する本に手を伸ばすようになる。しかしブッダの教えは深遠ながらも決して長大ではないので、何冊か当たればじきに一つの教えに収束して「本はもういいや」となる。今度は、やっぱり体験的な理解こそ大切だと認識し直して瞑想実践に臨んだり瞑想会に参加したりするが、しばらく続けるとやはり疑念や迷いが生じ、学び直したくなる。この繰り返しだった。一見、瞑想実践と本による教学の間で右往左往しているだけではと不安になる瞬間もあった。
さらには、「真摯に瞑想に励んでいる殊勝な人物」になったのかといえば、残念ながらそうはならなかった。瞑想をやっていることが真面目な人間であるかのようで、それを人に吹聴したくなったりする。そして忙しく騒がしい世の中の風潮や、うまくいかぬ社会や貪瞋痴でできた宗教に対して失望や嘲りの心が生じることを、今度はそれをサティが捉えて見過ごさない。苦に向き合うための瞑想なのに、新たに慢心が生じ心が乱れ汚れるという、それが自分の実際だった。
それどころか、日常のあらゆる場面で欲、苛立ち、慢心が巻き起っている 我が人生の実態に気づいていき、瞑想を始める前より今の方が辛いと感じる瞬間さえあった。
*感覚の観察の日々、時折進む苦の理解
それでも瞑想を続け、日々自分の内面に気づきながら過ごしていると、日常のあらゆる場面において痛いとか熱い寒いといった「感覚」と、嫌だとか恐ろしいといったような「反応」が瞬時に起きていることが徐々に分かってきた。人生の悩みや不安についてさえ、何らかのイメージ=感覚と、不安や恐れといった感情=反応が生じていて、瞬時かつ連鎖的に起きているが厳密にはそれらは違うことが分かってくる。そうすると、感覚が生じた時ではなく、反応してあれこれ感情や妄想が動いたときこそが苦しいのだと特定され、さらには、いたずらな反応さえしなければ、周囲の物事が不快でも、世の中や人生が満たされていなくても、ただちに苦になるわけではないのだと理解されてくる。
それなら、不運な家庭に生まれても、身近に不快な人が居ても、仕事が山積みになっていても、体に不調があっても、生活費の残高や老後資金の数字が目に入っても、いたずらに反応しさえしなければただの事実として傍観するように受け入れ認める余地があるのではないか……?
こうして、何の意味があって歩く瞑想やら呼吸の瞑想で感覚の観察をやっているのだろうと思う日々の中で、希にほんの一瞬だけ「この為か!?」と予感めいたものが走る。
*曲がりくねった一本道
こんなふうにして、苦は反応から始まるという教えの意味が我が身のこととして体験され、智慧が一気に深まる瞬間が時々あった。また気づきや智慧を自分なりに感じた後にブッダの教えを学び直すと、その深い教えが自分が感付いたことを整理し後押ししてくれるようだった。
そして瞑想と智慧の深まりを時折体感すると、右往左往しているのではなく、蛇行してはいるが確かな一本道を地道に歩んでいるのだと理解された。1年過ぎ、2年過ぎ、徐々にではあるのだが、焦らずに結果がやってくるまでただ瞑想していれば良い、と思えるようになっていった。瞑想を習い始めた頃、地橋先生に「まあ、そう難しいことは考えないで、ただ瞑想に臨みなさい」という趣旨の事を諭されたことがあったが、今こそその意味が明らかになっていく。(つづく)