ヴィバッサナー瞑想に出会い実践に着手したものの、貪瞋痴の煩悩、特に瞋(怒り)の制御が思うようにいかず思い悩んでいた時に、グリーンヒルのHPで地橋先生講師の朝日カルチャーセンター「ブッダのヴィバッサナー瞑想」オンライン講座が始まる事を知り申し込みしました。

◆長年の問題(怒り)へのフォーカス
 事前に質問を送り、それに対して地橋先生がインストラクションしてくださるスタイルを基本として、私の場合は「怒り」の問題が中心議題となりました。

【私からの質問】
 「職場で同じ失敗を繰り返す人に怒ってしまいます。怒らない様にするにはどうしたらよいでしょうか?」

【地橋先生からのインストラクション】
 ・因果論の理解を徹底的に深める(→怒れば自分のカルマが悪くなる)。
 ・基本的に腹が立つのは、プライドが傷つけられた時と思い通りにならない時であり、エゴ感覚がある限り怒りは出てしまうので、そのことを自覚すること。
 とのインストラクションをしていただきました。

 それを基に職場に臨みましたが、怒ってしまうシチュエーションになると怒っていることに気づきはするが、止めることが出来ず結局怒り続けていました。
 次のオンライン講座でそのことを質問しました。

【地橋先生からのインストラクション】
 ・いくらサティを入れても怒りが止まらないのは本気で止める気がないからではないか。容認する心がある限り、怒りの抑止は難しい。
 ・一瞬のサティよりも怒りの妄想の方がはるかに強烈なので怒りが止められない状態。
 ・今自分は怒っているという客観視は出来ているので20~30点程度のサティはあるものの、怒りの対象化ができていません。
 ・怒りや嫌悪が立ち上がりやすいプログラムを書き換えないで、サティだけで止めることは前回のレポートからも多分出来ないでしょう。
 ・本格的に視座を転換させる修行をしないと怒りの構造は変わりません。
 ・「これから怒らないようにしよう」といった程度の決意では反応系のパターンは変わらないので、1週間休みを取って内観の修行をすることをお勧めします。
 ・瞑想の現場でサティを深めるという問題ではなく、反応系の修行を優先すべきということ。
 とのインストラクションをしていただきました。

 これまでの人生「怒り」で失敗することが多かったので、何とか怒りを克服したくアドバイスを求めていましたが、怒りとは別の問題についても質問をしました。私は別の問題と考えていましたが、実はこれこそ怒りの根源だったのです。

【私からの質問】
 「幼いころから寂しく、何か満たされない漠然とした気持ちがあり、この歳になっても続いています。若い頃は心身ともに活力があり、仕事に対するバイタリティーや趣味に没頭することで、そういう気持を抑えこむことができていましたが、年齢とともに体力も衰え、仕事に対しての出世欲や趣味に没頭する気持が薄れてきました。それによって幼い頃からあった漠然とした不安、寂しさが出てくることが増えてきており、日々苦しみを感じてしまいます。
 特に一人で家にいる時は顕著に続きます。あるがままに自分の気持を観るのは心随観なので観ようとしますが、漠然とした不安、寂しさから逃れたい気持が強く、観ることを拒んでしまいます。なぜこの様な漠然とした不安、寂しさが起こるのでしょうか?何を起因としてこの様な幼い頃からある気持が今でも続くのでしょうか?」

【地橋先生からのインストラクション】
 ・このことは、今まで申し上げませんでしたが、直感的にこれが怒りの根源であり深い根っこにあるものと思っていました。「愛着障害」だと思います。
 ・もし赤ちゃんが普通に優しいお母さんに育てられたら、どんなことがあっても自分は見捨てられないし、必ず守られていて大丈夫だという心からの安心感が母子関係の最初期に形成され、情緒の基盤となります。
 ところが諸々の理由でそうはならなくて、例えば、お母さんが病気だったり、虐待の環境があったり、あるいは仕事がとても忙しくて接触がなかったり等々。それで子供との愛着が形成されない場合、どうしてもネガティブな気持ちが赤ちゃんの方に生じます。これが心の奥底にある怒りの根源となります。
 ・本来的な親子関係に展開せず、幼少期に不満と怒りが集積されていくと、自分への不遇な対応に対する根本的な怒りが諸々の場面で表出されがちなのです。これを「愛着障害」と言います。
 ・まず「愛着障害」のことを勉強してください。自分の心の反応パターンがどのような歴史で形成されてきたか。なぜ漠然とした淋しさがつきまとうのか。些細なことでキレやすくなるのはなぜなのか。いろんなことが読み解けると思います。
 ・本当に根源的に怒りを乗り越えられる可能性は、今差し掛かってきたと見ました。こういうレポートが出てきたと言うことは、一番大事な奥の院に入ってきたと思われます。
 ・この愛着の問題、ネガティブなかつての環境そのものは変えられないが、認知を変えることはできます。過去を受け容れることが上手くいかなければ、私にサポートできることはします。何があったかわかりませんが、もし幼少期にネガティブな環境があったなら、それは輪廻転生論を使って過去世の業の結果が人生の最初期に引き継がれたという理解をします。現象世界は自業自得の構造なのだから仕方がないのです。不善業の結果は苦受を受ける法則、善いカルマの結果は楽受を受ける法則です。
 だから自分が人生の最初期に何の責任も無いのに苦を受けたとしたら、それは過去世の業の結果と考えて怒りを手放し受け容れる発想をするのが仏教です。受け容れられれば怒りが終るし、受容できなければこれからもその怒りが続くのです。
 ・因果論、業論を徹底していくと、どれほど不遇でネガティブな幼少期の環境も受け容れていくことが出来るはずです。それを今まで私は何人もサポートしてきました。自分のエゴの発想では上手くいかないでしょうが、仏教の力を使えば発想の転換が可能になります。こうしたサポートをすることによって、とても難しい問題ですが乗り越えられた方は何人もおります。
 ・これは、今世でやるべき最大の仕事ではないかと私は思います。やり遂げることができれば、人生の最期に、今世は成功した生涯であった、良い人生だった、と言って死ねるというか、再生していくことが出来ると思いますので、頑張っていただきたいと思います。
 とインストラクションしていただきました。

 怒りの根源が幼少期の愛着障害であるというインストラクションに、納得する気持と情けない気持ちの両方がありました。家庭環境を振り返れば、決して満足のいく情態ではなかったので、なるほどと思いつつ、大人になっても子供のころの影響を引きずるなんて情けないとも思いました。
 先生の懇切丁寧なインストラクションに感謝し、この愛着障害を克服することは「今生での最大の仕事」との言葉に問題の重要性を感じ、また「サポートはします。」との言葉に感激し、アドバイスいただいた「愛着障害」を勉強し自分の幼少期を振り返ることにしました。(続く)