(承前)
 地橋先生からのインストラクションで、「怒りの根源は幼少期の愛着障害にあると思われるので勉強するように。」とアドバイスいただき、愛着障害の本を読み、幼少期を振り返りました。

幼少期の振り返り
 自分が生まれた時の家族構成は、曾祖母・祖父母・両親・まだ嫁いでいなかった叔母の7人家族でした。曾祖母は私が1歳になるかならないかの頃に亡くなり、私が生まれて2年後に弟が生まれ、叔母は私が幼稚園の頃に嫁ぎました。祖父母は海苔の養殖、あさりの採取で収入を得て、父は会社員、母は祖父母の手伝いをし、冬は牡蠣の打ち娘(牡蠣のむき身作業に従事する者)で収入を得ていました。そんな経済環境の中、祖父母は朝早くから海に出て、海苔やあさりを採取して、海苔の加工やあさりをむき、むいたあさりをリヤカーに載せて隣町まで売りに行っていましたし、嫁いだ叔母達も手伝いに来ていました。母親は家業の手伝いは勿論ですが、祖父母の食事や洗濯、父の世話、家事全般をこなしていました。
 この様な状況だったので、母親も忙しく、愛情を受けたという記憶はほぼありません。祖父は寡黙なタイプでしたし、明治生まれの男だからか、存在はしているが接触という面ではあまり記憶がありません。祖母は私が内孫の男の子で跡取りの孫ということで、凄く可愛がってくれました。後年弟から、「おばあちゃんの兄貴に対する可愛がり方は、自分や他の孫たちとは全然違っていた」と言われました。父親は口数少なくて、怒られた記憶もないし、可愛がられた記憶もほぼありません。言えば、放っておかれた感じです。
 この様な、同居家族との関係の中、自分にとって悲しかったこと、気を使かわなければいけなかったことは、母親と祖母の関係です。俗にいう「嫁姑問題」です。表立って喧嘩をするわけではないのですが、母親と祖母は仲が悪く、仲良くしているところを見たことはありません。話をするにしても、事務的な感じの印象しかなく、両者が他の人と話をしている感じと、当人同士が話をしている感じは、幼い私が見ても明らかに違うとわかりました。
 よく祖母が私に昔話風にして、「酷い母親がいて子供を山において帰る」と言う内容の話を聞かされました。酷い母親とは私の母親であり、山に置いて行かれる子供は私であるということだと、子供心に薄々わかりました。
 そんな嫁姑関係や家業や家事の忙しさで、母親もイライラすることが多かったと思います。よく私は怒られていました。タイミング悪く私が母親に怒られているところを祖母が目撃して、「怒るなんてそんな酷いことしなさんな」と言って祖母が私を母親から引き離しました。母親は黙ってその場を去りましたが、子供心に、「これはいけない、やばいことになった」と思いました。案の定、その後母親が現れて、「あんたのせいで祖母にあんなことを言われた」と言われて、引きずり回されました。よく母親に怒られてはいましたが、そこまでの仕打ちは受けたことはありませんでした。
 兎に角、母親と祖母の二人に関しては、母親に対しては、自分が祖母と仲良くしているのを見せてはいけない、気づかせてはいけない。祖母に対しては、自分が母親と仲良くしているのを見せてはいけない、気づかせてはいけない。と警戒するようになっていました。
 そして、母親と祖母が「どう思っているか?何を考えているのか?」を気にするようになっていました。
 そんな祖母も私が小学生5年の時に癌で亡くなりました。亡くなる前に、いとこ達で病院にお見舞いに行きましたが、そこには別人の様に顔色が悪く痩せた祖母がベッドに寝ていました。誰かに言われて祖母の足を摩ってあげましたが、祖母は何も喋ることはなく、ただ別人の顔で私を見ていました。もう、喋る気力もなかったのか、祖母が私に喋りかけてくれない悲しさと、もしかして嫌われた?という不安。そんな混沌とした気持ちだったのを覚えています。
 可愛がってくれ、一度も怒られたことのない祖母が亡くなったと知らせが届き、当然悲しかったのですが、そんな時に母親にこんなことを言ってしまったことが今でも忘れられません。
 「おばあちゃんが死んでよかったね」
 祖母が亡くなったから母親は楽になる! もうどちら(母親と祖母)にも気をつかわなくてもいい! そんな気持から口をついて出てしまったのか? もしかしたら、両者(母親と祖母)に挟まれ苦しんだ怒りからか? 母親からの返答はありませんでした。理由はなんであれ、言ってはいけないことを言ってしまったと、今でも後悔しています。
 中学生になった頃、反抗期になる時期でもあったとは思いますが、母親にきつい言葉をかけるようになりました。何故かしら苛立って腹立たしく母親に反抗していました。弟からは「あの頃の兄貴はおふくろに対して酷い言葉を浴びせていた」と言われました。思い返せば、弟が母親にきつい言葉をかけるのを見た記憶はありません。高校生、大学生の頃は、中学生の頃の様なきつい言葉を浴びせることは無かったのですが、心はやるせない寂しさに包まれた感覚がつきまとっていました。大学を卒業して就職・結婚と歩みましたが、素直に母親に接することはできませんでした。親孝行してあげないといけないと思いながらも、素直に言えない、何か気持がぎこちない、そんな感覚でした。
 この様な幼少期の家庭環境や親子関係を経て、母親に対する怒り(優しくして欲しかった)・父親に対する怒り(祖母と母親に挟まれた自分を何とかして欲しかった)・祖母に対する怒り(母親に優しくしてあげて欲しかった)・祖父に対する怒り(家族の関係を何とかして欲しかった)等が根底で巣くっていて、愛着障害が心の反応パターンを作り上げていると納得するに至りました。
 それから、幼少期に愛情を得られないことによる影響(愛着障害)がいかにその後の人生に影響を与え続けるものかということも痛感しました。(続く)