地橋先生からのアドバイスを受けて、幼少期を振り返り得られなかった愛着に対する不満怒りにより愛着障害があることを痛感しましたが、自分だけが被害者で両親祖父母が悪いのか?そこを明確にする為に母親の幼少期も振り返りました。

◆母も被害者
 母親の実母は幼い頃に離婚して、母は後妻さんに育てられました。母親は長女だったので、その後、生まれた弟妹とは全て異母妹弟です。私が幼い頃に、母方の祖母は本当(血縁)の祖母ではないことは聞いて知ってはいましたが、母方の祖母や叔父叔母には可愛がってもらいました。ただ、少し祖母には遠慮する気持ちがありました。
 母の死後、叔母から聞いた話しですが、「母親が生き別れになった実母を訪ねて、幼い頃に隣町の実母に会いに行ったが、会うことを拒絶されて帰って来た。」と教えてもらった時に、さぞ母親は悲しかったろうと胸が痛くなりましたし、実母もさぞ会いたかったはずだが、色んな事を考え悩み苦しんだ上での決断だったはずと思い、胸が痛くなりました(わが子に会いたくない母親はいない)。
 母にはそんな経験があるからか、私を連れて母親の実家に泊まりに行き、夜寝る時に何故か押し入れの中に布団を敷いて私と一緒に寝ていました。義理の叔母に「お姉さん畳の上で布団を敷いて寝て下さい」と言われても、母は「私は押し入れの中がいい」と返答していました。幼心に「なぜ押し入れの中で寝るのだろう?変だなぁ?」と思いながら、母親と一緒に寝ていました。今思うとこれは母親が幼少期に実母と別れて会いたくても会えなかった愛着障害からの行動だったのではないかと思います。

【母親の幼少期の境遇のレポートに対しての地橋先生からのインストラクション】
 ・母親がもっとまともに優しく愛してくれたら……との思いがあったと思いますが、お母さんご自身も苦しい生い立ちを生き抜いてこなければならなかった被害者であり、温かい愛情をたっぷり受けることができなかった背景があったのてす。理想的な子育てのやり方が経験的に分からなかったのも当然のことでしょう。愛情の出力も他のどんなことも、自分が受けてきた通りのものを与えてしまうのは致し方ないことてす。世代間連鎖というものがどうしても起こってしまうのです。
 とインストラクションしていただきました。

 それで母親も自ら選んで幼少期の苛酷な環境に育ったのではなく、好き好んで幼少期の私に厳しい態度を取ったのではない。親もどれだけ苦しい幼少期から自我形成をして自分を生んで子育てをしてきたか?「親も被害者だ」と知ることが出来ました。
 父親、祖父母についてもそれぞれの幼少期があっての自我形成があるので、誰が悪いという事でなく誰もが被害者なのだと思えるようになりました。
 ただ、どうしても祖母が亡くなった時に母親に「おばあちゃんが死んで良かったね」と言ってしまった罪悪感が残っていました。

【地橋先生からのインストラクション】
 ・私達のどの瞬間の心も真実なのです。母親と接する時も、おばあちゃんと接する時も、上司や部下、恋人や友人と一緒にいるどの瞬間も本当の自分なのです。私達は状況によって、相手によって、その時その場のシチュエーションによって、反応も対応も態度もさまざまに異なる複数の人格というかキャラクターがあると考えるのです。(→分人主義)。暴力的で怒りっぽい人が孫娘に対しては信じられないほど優しくなったりするのです。エゴが一つと考えると矛盾だらけですが、誰でも複数のエゴを持っていて、そのどれも本物だという発想です。
 ・嫁姑の関係で辛く苦しい思いをしてきたお母さんの姿をつぶさに見てきたし、自分もその板挟みになってきたのだから、お母さんの立場になって考えれば、姑がいなくなったらもう苦しまなくてすむ、良かったね、と言って上げて何が悪いのですか?母を思いやる優しい男の子がいただけでしょう。
 同時に自分を愛してくれたおばあちゃんを喪ったことがどれほど悲しいことだったか、どちらも本当なのです。
 ・だから自分を責める必要はないし、そんなことを言った少年の心を私は赦してあげるべきだと思います。
 とインストラクションしていただきました。

 これまで祖母に申し訳なく、また自分に情けなく思い続けていた罪悪感と、忸怩たる思いが初めて赦してもらえたのだと思えました。
 この様に幼少期の過去を振り返ることにより、愛情を求めていながら得られなかった不満と怒りが蓄積され、心の反応パターンが形成されていった。それ故に幼少期から漠然とした不安・悲しみ・寂しさが今でも続き、あらゆる場面で発現する怒りの根源となっている事に得心がいきました。
 原因は解りました。では、どの様にしたら問題(幼少期からある不安・悲しみ・寂しさを起因とした怒りの根源)を改善することが出来るのか?心の拠り所となる愛情を求めたかった両親とも他界しました。両親と話をして心のわだかまりを解くことは出来ません。そのことを地橋先生に問いかけました。

【地橋先生からのインストラクション】
 ・愛着障害の問題は、安全基地(揺るぎない信頼関係で結ばれた安心安全の拠り所となる対象)になってくれる人を見つけて心底から安心できる体験をすることが大事です。
 ・良き伴侶に恵まれれば、その伴侶が安全基地になってくれたりするのですが、そのような縁に恵まれない人もいます。そのような場合には「プリズン・ドッグ」というNHKのドキュメンタリーをご覧になるとよいでしょう。
 とインストラクションしていただきました。

【プリズン・ドッグとは】
 犬を用いて行われる刑務所内での更生プログラムで、凶悪事件を犯した二十歳前後のアメリカの少年たちが刑務所で虐待や飼育放棄などによって保護された犬のお世話やトレーニングを行い新たな飼い主を見つけることや、セラピードッグや介助犬として社会で活躍することができる手助けをし、少年達は無条件に犬たちに愛情を与え、犬から愛情を感じることで人間らしさを取り戻し、他者を思いやる気持ちが芽生えるようになる。さらに犬のお世話やトレーニングについて同じプログラムを受ける仲間とアドバイスしあうなどして協調性や絆が生まれる。

 プリズン・ドッグを見て、犬(生命)を一生懸命に愛し世話をして信頼関係が作られれば、人は変わることが出来るのだと感動しました。

◆怒りの克服の方向性
 インストラクションを通して長年の問題(怒り)の原因とその解決策を提示していただきました。

◇怒りの原因
 ・愛着障害による幼少期からの満たされない気持ちを根源として、心に反応パターンが構築された。
◇怒りの解決策
 ・五戒、慈悲の瞑想、懺悔の瞑想を徹して行い、怒らない決意を固める。
 (文言だけを唱えるのでなく、五戒などは単純な禁止事項だけに止まらず、それぞれの戒がどのような意味を含んでいるのか発展させていく等)
 ・徹底した因果論の納得、その為にも教学を深めることの継続。
 ・内観に行き視座を転換させてエゴを克服する。

 まだ内観にも行ってはいませんし、五戒にしても何とか戒には触れない様なレベルで、慈悲の瞑想も親しい生命範囲ぐらいなら対象に出来る程度です。懺悔の瞑想にしても完全に自分が悪かったと思えない対象もありエゴが拭えない程度です。いわゆる、まだまだ道半ばの状況なのですが、それでも長年の問題の原因と解決策を提示してもらった喜びと安心感の証が体調面に現れました。幼いころから便が緩くずっとそれが当たり前でしたが、問題の原因と対策のインストラクションを受けてから軟便が改善しました。記憶にある限り長期に渡り軟便で無くなった事は初めてです。
 ただし、自分の悪いところは、解決策がわかるとそれに安心してしまい、気が緩む傾向があることです。そこに注意して提示していただいた解決策を日々実行して、内観にも行き心の反応パターンを改善させて、ヴィパッサナー瞑想による心の清浄道の完成に向けて努力精進していきます。
 長々となりましたが、私のつたない幼少期からの人生経験と苦悩に関するレポートが参考になる方がいらっしゃれば幸いです。
 また、この様な法施の機会を与えて下った地橋先生に感謝いたします。 合掌