2020年暮れのこと、93歳の母の自宅介護、二人目の孫の出産、体調を崩した姪一家を引き取って世話、などなど、獅子奮迅(と自分では思っていた)の毎日を送っていたなか、右肩の痛みが日々増してきた。
肩凝りの酷いもの…と思っていたが、夜も眠れぬ痛みとなって、また挙げた腕が自分の意思とはかかわりなく「パタン」と落ちてしまうに至って、しかたなく近くの整形外科を受診した。
できるだけ、病院に行きたくない、薬は飲みたくない、ということで今まできてしまった。
「おそらく肩腱板断裂でしょう」と言われて、精密検査。そして手術のできる地域の中核病院へ紹介された。
病院の専門医の意見で、即刻入院手術を決めた。
笑顔の医師は「内視鏡で手術するので危険は少ないですし、体への負担も少ない。上腕骨にアンカーを打ち込み、切れた腱を糸で引っ張ってきてつなぐ手術です」と説明されたので、簡単な手術なんだと安心した。
「全身麻酔で、術後も首からカテーテルで局所麻酔を続ける」という説明に「?」ちょっと大げさだな、と思ったことと、術後2ヶ月外転送具で固定、その後半年かけてリハビリ、通院終了まで約1年というのはずいぶん長いな、とは思ったのだが。
手術後、その痛みに七転八倒することになるとは、全く思っていなかった。
手術入院となって、私はむしろワクワクしていて、「これこそ天が私にくれたギフト!家事も仕事も全部忘れて、瞑想に打ち込む機会をいただいた!」と喜び勇んでいた。
上げ善据え膳、24時間自分の時間、期間も10泊11日とは、グリーンヒルの瞑想合宿と同じ日程ではないか!
さあ。やるぞ…と思い、この入院中に何か修行上でも画期的な何かを掴むことができるのではないか、とすら思っていた。
ということで、12月2日、PCR検査を済ませて意気軒高で入院。個室だったので、瞑想にちょうど良い環境がそろった。
入院当日は、地橋先生の「Satiという名の動物」に徹するつもりで、医師と看護師との会話以外はSatiを入れ続けることができた。
翌日、手術を待つ間も、運ばれて行くときも、全身麻酔で意識を手放す時まで六門開放型のSatiを入れていた。しかし辛うじて修行と言えるのはここまでだった…。
麻酔から覚めてからの痛みは激しく、「痛み」「痛み」「激痛」「波状」「痺れ」「激痛」…というばかり。そのうち「痛い」「痛い」「痛いはSatiではない、と思った」「激痛」となり、脂汗を流し、痛みのあまり過呼吸になる状態に、Satiを入れることで疲労困憊してしまった。
それでも手術当日はまだ体力があって、何とかSatiをつないでいたのだが、翌日からは気力体力共に落ちて、集中力が無くなってしまった。
そういう中でつくづく思い知ったのは、今までの1Day合宿で何度も繰り返してきた「喫茶の瞑想」や「食事の瞑想」「排泄の瞑想」などはできるということだ。(食事や喫茶ができたわけではないけれど、そのノウハウで)
脳内に自然とできていた回路だけが非常事態のときにも役に立つ。体に染み込んでいなければ、いざという時には役に立たない。
少しも進歩していないのでは?と思ってきたけれど、目に見えないところで積み上がっていたものは確かにあったのだということだった。
頭で理解していたことは役にたたない。淡々と体で覚えたことだけが役に立つ。
私は本を読むことが好きで、瞑想の本や原始仏教の本を読んで納得した気になっていたけれど、追い込まれたときには全く役に立たなかった。
ピアノの演奏などで「頭が真っ白になっても、指が覚えているから大丈夫」と思えるところまで追い込め、と言われていたけれど、まさにそういうことだった。
そして、毎日の瞑想の練習は、何か特別な変化を期待したり、目覚ましい進歩を感じることを目指すのでは無くて、本当にただ淡々とやりつづけることが大事なのだ。そうすれば体の中に自然と変化が起きている。
術後数日はバイタルチェック、傷の消毒やガーゼ交換、点滴、と細切れに通常モードになり、とうとうモードチェンジをすることにした。
「ずっとSatiを入れ続ける」のではなく「次の看護師さんの訪れまでSatiを切らない」というモード。
これで精神的にはずいぶん楽になった。
うつらうつらしたら、それも良しとする。「うつらうつらしている」とSatiを入れて。
抜糸ができてからの最後2日は痛みもずいぶん楽になったが、痛みのため横になって眠れないため消耗が激しく、弱弱しいSatiがとぎれとぎれに入る程度のクオリティーになり、そのまま退院となった。
目指していた成果には程遠い散々なできのリトリートだった。勇んで「これぞチャンス」と思って飛び込んだだけに、自分のダメさ加減と思いきり向き合うこととなった。
それでも、最終日まで自暴自棄になることなく、お粗末なSatiを入れ続けたことのみは収穫と言えるかもしれない。
終わってみて思うことがいくつかある。
まず1点目、体力気力が充実してこそ良い瞑想ができるのであって、手術を受けて良い瞑想をしようなんてとんでもない心得違いだったということ。
2点目、日々、当たり前のように短い時間でもやっていたことは、こんな状況でもできる、ということ。
3点目、カルマ論を何度も聞いて理解できていたので、自分の痛みについての怒りは一切なかったこと。たとえナースコールに反応が無く激痛をこらえながら長く待たされていても、怒りはかった。
集中できないときは、医療スタッフに、入院中の患者に、慈悲の瞑想をしていた。お陰で病棟の雰囲気はとても良かったように思う。
そして食事や清拭、その他の世話をしてくださるスタッフの人たちに心からの感謝ができた。首を垂れて「ありがたい」と心から思えた。
思っていたリトリートとは程遠い10日間だったけれど、「地味な毎日の修行こそが大事」と腹に落ちたことが何よりの収穫だったと思う。
進歩の実感など無くて良い。
完治まで1年近くかかってしまう長いリハビリ生活だが、これからは全托の修行をさせていただくつもりでいる。
痛みもまだかなり残っているけれど、前世で積んできた不殺生戒のカルマや、今世さんざん殺してしまったゴキブリやハエや蚊へ
の業が少しは解消できたと思えば、ありがたいことだ。自然にこう思えることも、この5年の修行の成果のひとつだろう。