★瞑想に出会うまで(3) City of Angels (餓鬼道で寄り道)
ここからの数年は、全力で寄り道を迷走した。観るべき本当の自分を認めることから逃げたのである。無明で貪瞋痴の負債を増やしていく過程がよく見える。見事に人間モルモットである。
①六本木のクラブにはまり、仕事帰りに踊っては憂さを晴らす。あげく、そこでダンスのインストラクターをして副業でさらに「稼ごう」と決めるが、一緒に取り組んだパートナーが開始の数日前に音信不通になり、姿を消す。
②クラブ仲間にレイキを紹介される。手から出るエネルギーで人を癒すことができるというもの。人を癒せるなんて素敵、あのCity of Angelsのニコラス・ケイジを思い出した。ヒーラーになりたいと思うと同時に「稼げる」と思い習得する。
だが、この講師の生業のスピリチュアルカウンセリングという、依存を深める高額なヒーリングにハマってしまい、この講師の性格の歪みに気が付くまで通うことになる。金儲けがしたい貪が、負債で返されたといえるだろう。
③横文字名称の心理学を3つ学ぶ。これは、スピリチュアルカウンセラーの部屋の壁にそれらの認定証が張ってあり、人を操る威力があるということは分かっていた。それにカウンセリングの勉強にもなるので、ニコラス・ケイジの天使みたいになれるかもとワクワクし、また、懲りずに仕事に役立ち「稼げる」と思い、かなり真面目にやった。
結果、性格は全く良くならないが、目的達成には役立った。カウンセリングはできるようになったが、エゴはさらに強くなった。カウンセリングは、自分を見ずに他人を見るので、逃げようと思えばずっと自分の問題からは逃げていられるのである。しかし、それらは大変高額な受講料がかかった。やはり動機が金儲けだと、代償もそれなりである。
④受講中に友達になった内科医に太極拳を進められる。が、これも高額な受講料。太極拳はこんなに儲かるのか、と思ってしまう豪邸に住まわれていた。この先生もヒーリングをしてくれた。
私は目を閉じ、先生が私の頭に手をかざすと紫色のエネルギーのようなものが感じられた。そのうち身体が揺れ始め、嗚咽が始まり、ギャーギャー叫び出した。ああ、狂ってしまったのだと思ったが、しばらくすると落ち着き、妙な恍惚感があり、笑いが止まらなくなった。
見ていた友人曰く「エクソシストみたいだったよ」と。そのうち笑いも収まり、数日間は気分も良かった。でも、洗った靴下がまた汚れていくように、元に戻ってしまった。誤解のないように言っておくと、ヒーリングではなく自ら修養する太極拳もやっており、それはヨガ同様に体調が良くなる実感があった。
⑤インドのグルに会う。上記の太極拳の先生が、彼専用の瞑想室の壁にそのインドの女性グルの写真を貼って熱心に瞑想していたのだ。あのパワーは彼女に関係あるのかと思い調べると、偶然来日したので会いに行った。会場には200人程いて満員だった。
一人づつに祝福をくれるというので近づくと、大きな孔雀の羽根で頭のあたりをササっと払われた。「これだけ?」と思って、がっかりしながら席に戻る途中で、急に涙がぽろぽろ出てきて、頭からミントのシャワーを浴びたみたいにスッキリした。
これがヒーリングの力なのかな、いやいや、思い込みかもしれないし、と思っていると、今度は会場全体に祝福を送るという。チャンティングが始まり目を閉じていると「金粉が付いてる」とどよめきが起きた。見ると手に金粉が付いていた。両手のひらにびっしり付いてる人もいた。うっそー、と思ったがこすっても消えない。なんだこれ、スゴイと思ったが、私の心が晴れたわけではない。それっきりだった。
★瞑想に出会うまで(4) Eat Pray Love (食べて、祈って、TED観て)
夜遊び、横文字系心理学、スピリチュアルからは「それでは何も解決しない」という学びを得たが、エゴは相変わらず強く、毎日見えない敵に対してイライラしていた。
そういえば、昔、六本木で踊りに行く前に観た映画で、印象に残った作品があったことを思い出した。『食べて、祈って、恋をして』という、エリザベス・ギルバートの自伝的小説が原作の、すべてを捨てて旅に出たキャリアウーマンがイタリア、インド、バリ島でヨガや瞑想をして自分を見つめ直すという映画だった。
「瞑想、やってみようか」
初心者向けの本を買って、早速やってみた。気になることが浮かんだら「後で考える」と頭の中で言って、考えることは後回しにする、というやり方だった。頭の中の会話が止むし、落ち着いた。ただ瞑想中はずっと「後で考える」と言い続けることになり、本当にこれでいいのか疑問が残った。
でも、今まで試してきたこととは違う、いい予感がした。誰かから直接習おうとググると、瞑想について書かれたブログが出てきた。あるブロガーが、スリランカのお坊さんの法話を書き起こして書いたサイトで、丁寧によく更新されていた。瞑想のやり方云々よりも、この長老の語るテーラワーダ仏教が大変面白かった。会ってみたいと思ったが、1995年3月のオウム事件を思うと敷居は高かった。そして、その長老がTEDというスピーチプログラムで講話している動画を見つけた。
https://youtu.be/L6ghzoueVfk
衝撃だった。たったの約30分で、私がずっと不幸せだった理由、そしてそれを止める方法が語られていた。
●身体中の細胞にボスはいるか→(いない)
●地球上の生物も全部細胞だとしたら、(ボスはおらず、一個一個の細胞は)自分の仕事をただやってるだけ
●3か月くらいで死んで、新しいのが生まれて、死んで、生まれて、死んで、人生は流れていく
●私たちが生きられるのは、たった一瞬だけ
●人生を大げさに考えないで「私は一個の細胞です」、「どうだい、よくやったでしょう」と自分で自分を褒める
●お釈迦様がいうのは、「今の瞬間を絶対に無駄にしないで生きる」。これが人生論
●私たちが(問題として)引っかかるのは、過去に引っかかるか、未来に引っかかるか。本当は明日なんてない、明日という概念は、過去のデータをシミュレーションしただけ
仏教、スゴイ。これだと確信した私は、調整して有給休暇を取り、いきなり瞑想合宿へ申し込んだのである。(つづく)