(承前)
・どう生きるか ー Reality Bites(俗世間はツライ?)
 肩の痛みは無くなり、医者通いは止まった。でも、相変わらず会社には行きたくない。まだ何か向き合っていないこと、気づいていないことがあるに違いない。このまま少しでも瞑想とサティのある生活を続けていこう、そうすれば、何億劫年後には阿羅漢さんになっているかもしれない。もう、今世は今までみたいじゃなくて、刺激と欲のない生活を慎ましく生きよう。でも、本当?本当にそれが望むこと?
 迷っている頃、地橋先生がある本を紹介してくれた。この本を読んでうまくいくと瞑想に戻って来ない可能性もあり、諸刃の剣らしい。その本は、『自動的に夢が叶っていく ブレイン・プログラミング』で、著者はあの世界的超ベストセラー『話を聞かない男、地図が読めない女』で有名なアラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ夫妻である。端的に説明すれば、この本は願望実現の本だ。叶えたいことを欲望順、時系列にリストアップする。達成期限を付けて、紙に書いて目に付くところに貼って置き、それを頻繁に見る。決して、具体的な方法を「考えてはいけない」。

 やらない手はない。私は瞑想自体は続けるだろう。叶った先から失うことが約束されているこの俗世間で、瞑想は役にたつと思うからだ。すぐに本を買って読んで書いた。毎日必ず目に入るように一番叶えたいことが書かれた紙を時計の上にセットした。リストアップに使ったノートはA4版で、これも時々自分のノートなのにチラ見する。「考えすぎない」ためだ。

 期限11/30/2022、願いごとランクA、『自分をゆるす』
 これが一番期限の近い願いごとだった。この諸刃の剣本の威力は凄い。いや、意図(チェータナー)の威力は凄い。必要なモノ(本や動画)・ことが急速に立ち現れてくる。
 何が起きたのかと言えば、前述の同僚Aさんに対する悪口を言ってしまったのである。なんだ、単なる悪口か、ではないのだ。ずーっと言うまい、言うまいとブレーキをかけてきたのに。同僚Bさんは堂々とAさんが嫌いで、そんなBさんがAさんの悪口を怒涛のごとく私に訴えかけてきたのだ。
 「ああ、そうか、釣られて悪口を言わないテストかな?言わないよ。」と心の中で流した。しかし、Bさんからの悪口はヒートアップ。耐えて、耐えて、耐えたのに、今度はチャットでテレワーク中にBさんからAさんの悪口が来た。自宅で、しかもチャットに向かって書くものだから人目のバリアも緩んで、ついに堤防が崩れた。ザザザーザーっと書くわ、書くわ、いままで貯まってきた我慢を。慈悲はどこへ行ったのか。

 地橋先生に、「慈悲の瞑想をしても懺悔しても、なかなか許せない同僚(=Aさん)がいるのです、昔の自分より悪いというか、そっくりだから気持ちは分かるのに許せません」と朝カルで相談すると、「それは(私の)プライド(高慢)の問題ですね。傲慢さを無くすには、下座の修行がイチ押しですね。世間から低く見られている下賤な仕事を敢えてやるんです。公衆便所のような一番汚いところの掃除なんかがいいですね。身を低めてゴミを拾ったり、人がやりたくないことを率先してやる修行です」とのことだった。
 なるほど、Aさんはとてもプライドが高いのである。それが私を刺激して、怒りの元になっていたのは確かだった。つまり、私の抑圧しているプライド(高慢)が怒りになって爆発したくて、今か今かとチャンスを窺っていたのである。まんまと感情に乗っ取られたのであった。Aさんは会計士なのに、まだ私は合格していないことがずっと悔しかったのだ。私を含めた、資格を持っていいない人達へのバカにした態度がとても嫌で、でも、有資格者でない私は、引け目を感じていた。
 その二日後、急に発熱が始まった。コロナかなと思いPCRを受けに病院へ行く。コロナでもインフルエンザでもない、と薬を処方される。熱が下がって働くとすぐにまた高熱が出て、の繰り返しが2週間ずっと続いた。うすうす、あの悪口が原因かなあ、と思っていたが認めたくなく、単純に風邪をこじらせたんだろうということに帰結した。

 地橋先生に2週間風邪だった旨をいうと、「私(地橋先生)は何十年も風邪をひかないんですよ。正確に言うと、風邪をひきそうになると瞑想で治してしまうのです。体調が少し悪いなあと思うと、懺悔モードになるんです。直近の1週間ぐらいを振り返って、何か過ちがなかったか、思いちがい心得ちがいをしていなかったか、と自問すると必ず反省すべき点が見つかります。それを懺悔しているうちにみるみる鼻水が引いていき、瞑想が終わる頃には良くなっているのです。……体調が悪くなる前に、何かありませんでしたか?」。あああ、やっぱり。そうですよね。「同僚の悪口をかなりワルく書きました」。

 しかしとても有難いことに、ここで、寝込んで仕事してを繰り返しながら腑に落ちたのである。自分の外側に悪口の対象が登場してくる理由は、内面でまだその悪者(自分)を責めているからなのだ。自分をゆるさない限り、ずーっと外側の世界(俗世間)に投影し、悪役が現れ続けるのだ。先生、ありがとう。アラン・ピーズ夫妻ありがとう、チェータナーよ、ありがとう。ようやく、自分をゆるすということの意味がわかった。
 言葉に惑わされて分からなかったけど、ここの精神的な文脈でのゆるすは、「悪い自分が存在していてもいいよ、それを責めないよ」だったのだ。悪い自分を責めている限り、その投影は必ず外の世界(俗世間)に現れる。そして、私が有資格者でないという負い目は、恰好の餌食になる。
 ランクAの願いごと『自分をゆるす』の期限11/30に間に合ったのかと言えば、間に合っていない。11/30以降に会った人達に対して慈悲喜捨の状態でいられたのかといえばそんなわけない。相変わらずイラっとしたり、全然聖者みたいに崇高な生活を送ってはいない。でも、これを書いているいまの気分は幸せなのだ。なぜなら、私は、そういうダメな自分がいてもよくて、そんな自分を切り捨てなくていいと思えるようになったからである。
 この短期間のうちに奇跡のように現れてくれた沢山の情報のうち、特に学びがあった三冊の本を紹介する。自分を責める癖のある方、怒りの発散方法が自虐に向かう方、生きることに悩んでいる方にお勧めである。働く女性目線で書かれている体験本はとても参考になる。
 * 『女性のための「逆ギレ」のすすめ』(斎藤一人、舛岡はなゑ著、マキノ出版 2016年)
 * 『喜びから人生を生きる!-臨死体験が教えてくれたこと-』(アニータ・ムアジャーニ著、ナチュラルスピリット 2013年)
 * 『もしここが天国だったら?-あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる-』 - アニータ・ムアジャーニ著、ナチュラルスピリット 2016年)

 テーラワーダ仏教とヴィパッサナー瞑想だけでラクになれたら瞑想者冥利につきるのかもしれない。けれども、出家しているわけでもなく、普通に俗世間で生活している私に出来ることは、サティを保ち、毎瞬浮かんでくる悪い感情、思考を『私のせい』にして『悪い私』を独立させないことだ。いい自分と悪い自分の両方があってOKで、いつでも私にはその両方を選ぶ自由がある。そしてもし、悪いほうを選ぶことがあったなら、その時こそ、ゆるしの練習にもってこいである。『私は、私をゆるします』と、事実なのだから、ありのままに認める。認めるが、開き直って居直ることはしない。

 最後に。映画好きの方は気づいておられると思いますが、この連載の章タイトルはseason1の最初から全て、実際にある映画名と同じです。意図的に各章の内容と映画の内容を紐づけてあります。
 私の人生は意図から紡がれたストーリーの連続であり、いつでも私にはストーリーを変更する自由があります。人間であれば、その点は他の方も共通しているかと存じます。ブッタの法の六徳の一つにある、Ehipassiko(「来たれ、見よ」と、何人も試して、自分で確かめてみよ、といえる確かな教え)がありますが、瞑想は「自分で実践して確かめる」ことができる素晴らしいツールです。自分が苦しくなる考え方の癖を客観的に観て手放せる手法であると確認できましたので、こちらに記載させていただきました。ご縁があってお読みいただいた方の瞑想が順調に進み、幸せになり、悩み苦しみから解放され、願い事が叶い、知慧が現れますよう心からご祈念申し上げます。皆様がそれぞれの場所で最高に幸せでありますように。 (完)