怒りに支配されていた日々

 私は若い頃から、常にイライラや怒りを抱えて生きてきました。思春期には感情を抑えきれず、物にあたることもしばしば。社会人になってからは酒に頼ってストレスを紛らわせるようになり、飲んでいる間だけ気が晴れるように思っていましたが、今振り返れば、それは単なる心の麻痺でした。
結婚して子どもにも恵まれ、外から見れば順風満帆な生活を送っているように見えても、心の奥では慢性的な苛立ちがくすぶっていました。仕事で思い通りにいかないことがあると、すぐに怒りがこみ上げ、家庭では妻に強い言葉をぶつけ、後で深く後悔する。その繰り返しでした。

 怒りと後悔の爆発

転機のきっかけは、娘の怪我でした。自分の不注意を責め、妻にも怒りをぶつけてしまう。そんな自分に嫌気がさし、どうにかこの怒りを抑える方法はないかと本を探し求め、小池龍之介さんの『もう、怒らない』に出会いました。それが瞑想に関心を持つ最初のきっかけでした。
カルチャースクールの講座や自己流の座禅にも取り組みましたが、根っこの怒りはまったく消えませんでした。
そして2014年、人生で最も大きな後悔を味わいました。住宅購入の失敗です。長く続いた家探しに疲れ切っていた私は、不動産業者の「今買わないと値上がりします」「これは掘り出し物です」という言葉に焦りを覚え、十分に納得しないまま契約してしまいました。
契約直後から後悔が頭を離れず、夜中に何度も目が覚め、焦燥と不安で胸がいっぱいになりました。仕事にも集中できず、心療内科を受診すると「うつ病」と診断されました。結局その家はすぐに売却し、大きな損失を出しました。重荷がなくなったことで症状は改善しましたが、慢性的なイライラは残ったままでした。
その後も飲酒量は増え、妻との間では子どもの教育方針などで衝突が絶えず、2016年には歯の治療で医療過誤にも遭いました。疲弊しながらも「子どものために頑張らなければ」「立派な父親でいなければ」と無理をしていたように思います。
 2019年には新しい部署で後輩と対立。後輩に対して生意気だと怒りを覚えながら、うまく対応できない自分への失望にも苦しみました。飲酒はさらに増え、心の状態も悪化。上司に願い出て半年で異動し、「このままではいけない」とようやく本気で思いました。

 タイの寺での瞑想との出会い

2020年1月、異動前の長期休暇を利用して「心を入れ替えたい」と思い立ち、タイ北部メーホーソン県の瞑想寺「ワット・タム・ウワ」を訪れました。世界中からバックパッカーが集まる有名な寺で、私も“修行”というより“心のデトックス”のつもりでした。
僧侶はタイ語と英語で瞑想の説明をしてくれましたが、英語が得意でない私は内容を十分に理解できず、言っていることは分かるものの、実践の仕方が掴めずにもどかしさを感じていました。そんな時、食堂の本棚の日本語コーナーに、たまたま地橋秀雄先生の『ブッダの瞑想法』が並んでいるのを見つけました。
そこに書かれていた「ヴィパッサナー瞑想」の理論と実践方法は、驚くほど腑に落ちました。しかも、やり方が具体的に書かれており、これなら自分にもできると感じたのです。それ以降、書籍に書かれた方法で瞑想を実践しました。
朝は僧侶への布施、日中は座禅と歩行禅を繰り返し、夕日が落ちる山々を眺め、夜は虫の音を聴きながら眠る――「頑張らなくてもただ生きているだけでいい」と心から思えたのは初めての経験でした。帰国後、「この瞑想を正しく学びたい」と思い、グリーンヒルの初心者講習に申し込みました。こうして、私のヴィパッサナー瞑想の歩みが始まりました。

 合宿と挫折の繰り返し

2020年3月に初心者講習を受け、同年6月に初めて1day合宿に参加しました。ところが、時間がとても遅く感じられ、イライラしてしまい、過去の後悔や怒りに何度も巻き込まれました。面談の際、これまでの経緯を話すと、地橋先生は「因果応報」という視点を示してくださいました。その言葉を聞いた瞬間、胸にストンと落ちました。「そういえば自分も、人に酷いことをしてきた。そんな自分が、他人から酷いことをされて嘆くのは道理に合わない。今の苦しみは、過去の自分の行いの結果なのだ」と腑に落ち、長年のモヤモヤが晴れたような気がしました。
それでも瞑想の習慣は続きませんでした。1〜2週間続けては途切れ、また始めては挫折。時には自己流に流れ、また悩みがぶり返す。そんなことを何度も繰り返しました。瞑想会にも足が遠のき、「自分には向いていないのでは」と感じることもありました。

 娘の受験と再燃した後悔

2023年2月、娘の中学受験が終わったとき、心は再び揺れました。
「もっと学力の高い学校に行けたのではないか」「自分の導き方が悪かったのではないか」――そんな思いが頭を占め、進学後に娘が学校生活に悩む姿を見て、自責の念は一層強まりました。
光を求めて久しぶりに1day合宿へ参加。瞑想自体は以前と変わりませんでしたが、座談会では娘や家族との葛藤について共感をいただき、地橋先生からは「進学よりも、子どもが良い心持ちで生きることの方が大事」という助言を受けることができました。
しかし、その後も YouTube や TikTok などで刺激を受けるたび、後悔が再燃。瞑想も週に2回、思いついた時に10分座る程度まで減っていました。
6回目の合宿時の面談で「後悔が消えない」「歩く瞑想で眠くなる」と話すと先生から両親に対する想いを聞かれ「内観」を勧められました。以前から名前は知っていましたが、「1週間も休めない」と諦めていたのです。それでもこの時ばかりは「苦しみから抜け出せるなら何でもやってみよう」と決意し、参加を申し込みました。

 内観で変わった視点

2024年5月、7泊8日の内観研修に参加。携帯もパソコンも預け、完全に外界から離れて過去と向き合いました。
内観では、「していただいたこと」「してさしあげたこと」「迷惑をかけたこと」を母から始め、父、兄弟、妻、子どもへと対象を広げて思い出します。最初は「そんな昔のことは覚えていない」と思っていたのに、次第に幼い頃の断片的な記憶が次々と蘇り、「自分がどれほど多くのことをしてもらってきたか」に気づき始めました。
父を対象にしたとき、衝撃を受けました。短気ですぐ怒鳴る父には長年嫌悪感を抱いており、大学進学にも反対され、生活費は借用書付きで渡され、授業料は奨学金で賄い ました。大人になってからも「まあそういう人だ」と割り切りつつ、心のどこかで距離を置いていました。
けれど、思い出してみると違う側面がありました。父はスキーや海水浴など様々な場所に連れて行ってくれた。大学4年のとき、アメリカに行きたいと言った私のためにホームステイ先を探してくれた。「してもらったこと」を一つずつたどるうちに、「父も自分なりに家族を支え、責任を果たそうとしていたのだ」と理解でき、自然と感謝の気持ちが湧きました。母についても、日々の細やかな支えや心づかいが次々と思い出され、「自分はどれほど多くを受け取ってきたのか」を痛感しました。
嫌な記憶ばかりが前に出て他の事実を覆い隠していた――自分の「認知の歪み」をはっきり自覚しました。内観は、事実の再点検を通じて、その歪みを正してくれました。内観は「考える感謝」ではなく、「思い出すうちに自然に湧く感謝」だと実感しました。

 断酒がもたらした心身の変化

さらに決定的な転機となったのが、2024年8月の大腸ポリープ切除でした。病理検査を待つ間、最悪の可能性も頭をよぎり、死を覚悟しました。幸い結果は良性でしたが、医師からは「大腸には飲酒が最も良くない」と指摘され、長年の課題だった酒をやめる決意を固めました。
 断酒を続けるうちに身体のだるさが消え、頭が驚くほどクリアになりました。ストレスで「飲みたい」と感じ、痛飲しては後悔する――その悪循環がなくなり、心の揺れが小さくなりました。
 なぜ五戒の中に「不飲酒戒」が含まれているのかが、ようやく腑に落ちました。“飲酒している限り、瞑想ができない”ということを実感しました。私はこれまで瞑想を定着させようと悪戦苦闘しながら挫折を繰り返してきましたが、五戒を守ることが瞑想修行の不可欠な土台であることを身をもって知ることができました。

 日常に根づいた瞑想 以後、毎朝10分の歩く瞑想を欠かさず続け(今は15分に延長)、慈悲の瞑想も基本に忠実に行っています。さらに「昨日していただいたこと」を短時間で振り返る“日常内観”も習慣になりました。
 仕事や家庭で苛立つことは依然ありますが、怒りが膨らむ前に気づけるようになりつつあります。妻にも自然と感謝の言葉が出て、家事も自然に行えるようになり、家族との関係も穏やかになりました。娘も今ではダンス部に所属して生き生きとした学校生活を送り、妻も息子も元気に過ごしています。

 結びに

内観と断酒は、私にとって決定的な転機でした。初めての合宿で地橋先生がおっしゃった「まず五戒を守り、心の反応プログラムを変えることが先」という言葉の意味を、実感をもって理解できました。 まだ毎朝15分の歩く瞑想と、仕事の合間の5分間ミニ瞑想しかできない未熟者ですが、それでも“続けられている”ということ自体、過去の自分から見れば大きな進歩です。
「義務感からの幸せづくり」から「自然に湧き上がる感謝と幸せ」へ。
 長く怒りと後悔に苦しんできた私にとって、これが何よりの果実です。これからも実践を積み重ね、穏やかな日々を一歩ずつ歩んでいきたいと思います。