瞑想ができなくなった


 このように、瞑想って凄いと感嘆する日々でしたが、娘が別の大学に編入してから、私の日々の生活環境がガラリと変わってしまいました。

 大学の後期定期試験を終え、いい成績で一年生を終えた娘。二年生に向けて学費の振り込みや教科書の準備をしようとしていた矢先、突然別の学校に移りたいと言い出しました。そして新年度から他大学に編入することに決めたのです。

 昼間の静かな穏やかな日々が一変し、常に娘がそばにいる状態になりました。大学の課題レポートを自宅で仕上げなければならないのですが、本人が想像していたよりも難しいようで、「わからない!手伝って!と」喚き散らす日々が始まりました。

 私も最初は、「娘も環境が変わって慣れない日常で不安なのだろう、この現状を受け入れて過ごしていこう」。そう思っていました。しかし朝から晩まで娘の用事や世話に振り回されながら家事や他の家族のことをする毎日、静かに瞑想をする時間・じっくり自分に向き合う時間というものがほとんど取れなくなってしまいました。

 瞑想したいのに一人の時間がない。日常でもサティを入れたいのに、すぐに話しかけられて、その後サティを入れるのを忘れてしまう。自分に余裕がなくなると、人にも優しくできなくなっていく…そんな自分を責めたり落ち込んだりすることが増えていきました。一日のなかで一人になれる時間はもう早朝しかない! 今までより早く起きるようにしようと決めて瞑想をしていると、普段起きないような時間なのになぜか娘が起きてきて邪魔しにやってくる。

 私はどうしたらいいかわからず出口の見えない暗い迷路に迷い込んだようでした。焦りばかりが募り、毎日疲れは取れず、悪循環に陥っていく感じがしました。

 ヴィバッサナー瞑想に出会って以来、他人の言動などにも穏やかな気持ちで対応できるようになってきたと思っていたのですが、いつの間にか穏やかさを欠くことが増えてしまいました。これがまたショックでショックで。まったく修行できていないではないかと自分を責めるばかりでした。

 一人になる時間が欲しい!心を落ち着けたい!という思いから、近くで座禅会は開催されていないものかと探しては申し込んでみたり、オンライン座禅会に参加しようとしてみたり…しかし結局どれも邪魔されてうまくはいきませんでした。


 法友の息子


 そんな落ち込む私を見ていられなかったのか、息子がいろいろ話を聞いてくれました。息子もここ数ヶ月の娘(息子からすれば姉)の態度に毎日のようにイライラして仕方なかったらしく、娘について何日も何日もいろいろ二人で話しました。

 私としては、娘のことは乗り越えたつもりでした。しかし本当は違ったのですね。ちょっとおとなしくなっていたように見えた娘を、私はもう大丈夫だと勘違いしていただけだった。そう簡単に心から納得できるものではないのだと修行の難しさを感じました。息子は17歳とは思えないほど、物事を客観的に見ますし、自己内観的なことも中学生の時くらいからしていたようで、私にとっては修行における友のようでもあり一番の相談相手でもあります。

 そんな息子との話の中で、「結局自分たちのエゴのせいで娘のことを、小さい頃から困った子だと思っていただけではないだろうか」

 「困った子って何? 私たちの考えと違う考えで動くから? 人に迷惑かけるから? 私たちに迷惑がかかるから? 私たちが嫌だと感じるから? 私たちの邪魔をするから? 全部こちら側の問題でしかないよね。馬鹿なのは我々だよね。あ~長年馬鹿みたいだよね~娘はきつかったよね。ごめんね」と息子と笑って泣いて話しました。併せて、今まで自分が発してきた言葉は、相手を思いやっているようで、結局自分のための言葉でしかなかったのだとも再認識できたのです。

 もういいや、一人の時間が許されないのだから、もう一度初心に帰って、今まで購入した先生の本を読みまくろう!と決め、暇さえあれば先生の本やダンマブックを読みまくることにしました。(娘は近くで本を読んでいる分には文句も言わず邪魔もしませんでした。)こんなこと書いてあったかな? と再認識した内容も多々ありました。ヴィバッサナー瞑想を一年間続けてきたことで理解ができるようになった内容もありました。それと併せて、先生が書かれる文章の読みやすさに改めて感動してしまいました。先生の本の言葉の中に『人は自分のためだけに生きていると、だんだん自己防衛的になり、硬く、暗く、自閉的になってくる傾向があります』と書かれた部分がありました。

 その時ふと昔のことが思い出されました。そういえば…大学在学中から卒業してからの数年間、「人のために生きなければならない」というそれまでの人生から離れ、生まれて初めて人のことなど考えず自分の好き勝手だけをして過ごしていたな……と。そして結婚し生まれた娘は自閉症でした。自分の業のせいでこのような子を育てることになったのか…そうかそうか。正しいかどうかはわかりませんが、私的には何だかすごく納得ができて、娘を心から受け入れられる気がしたのでした。それからは娘の自分勝手な様々な行動を見ても、自分の昔の姿なのね…私は周囲の人たちに迷惑かけたのだな。申し訳なかったと思えるようになって、娘と一緒にいることがすごく楽になりました。(続く)