瞑想には本当に驚かされる 


 瞑想を始めてまず思ったことと言えば、集中して一つのことだけに向き合うことがなんと難しいのだろう、ということでした。今までマルチタスクが当たり前で生きてきた私にとって、日常生活におけるはかなりの違和感でした。しかし、一つひとつに集中して行動すると、焦りや失敗、不安が減り、そんなにたくさんの事をこなさなくてもいいのだという心のゆとりも生まれました。体も軽くなった感じです。


 1年前まではとにかく文句ばかりでした。人に対しても自分に対しても、良いところは見ないようにして悪いところばかりを見て、こうあるべきだと。そんな自分を認めたくなかったし、ネガティブな部分から目を逸らしている自分も認めたくもなかったのです。しかしヴィバッサナー瞑想に出会って自分を少しずつ少しずつ認めて受け入れることができているような気がします。


 瞑想を始めてからというもの、文句や愚痴ばかりの自分。文句ばかりのせいで体調を崩した自分。馬鹿をしていた時代。俗世の欲に翻弄された日々。妄想ばかりの日々。後悔ばかりの自分。高い理想を掲げ、それに届かない自分にイライラした自分。自己否定しながらも、人を見下し、馬鹿にしていた自分。本当は母のことが大好きなのにその思いを抑圧し、母を嫌いだと自分に思い込ませなければ生きていけなかった自分。そんな過去の自分の姿に気づかされ、毎日のように涙があふれ、落ち込む日々が続きました。生きているだけでまたを重ねていくだけのような気がして、どうしたらいいのかわからなくもなりました。しかしダンマブックを読み、瞑想を続けていくと次第にそんなダメだと思ってきた過去の自分を少しずつせるようになり、心が軽くなっていきました。それと同時に他者の言動も許せるようなっているのを感じます。


 最近では言葉を吐こうとする前に「この言葉に嘘はないだろうか。言う必要はあるだろうか。独りよがりの意見を言おうとはしていないだろうか」という考えが浮かんでくるようになり、一拍置いて発言できるようになったのには驚きです。


 先日、娘が「最近お母さん元気だね。夜も起きてるもんね。よかった!」と笑顔で言ってきました。確かに、ここ15年ほど夜はエネルギー切れと言わんばかりに倒れ込むように寝てしまっていたのです。遅くまで起きていられず、昼間もちょっとゆっくりできる時間があれば座ったまま寝てしまうほどでした。しかし気が付けば体調不良はほとんど無くなり、疲労感も前ほど感じなくなって元気で過ごせる自分になっていました。人の目を気にすることも後悔することも、ほとんどなくなりました。ほんの最近まで不安と恐怖と不満でパンパンだった頭の中にもやっとゆとりができた気がします。しかもこの1年で主人も母も子供たちも驚くほど優しく穏やかになったように見えるのです。ヴィバッサナー瞑想には本当に驚かされることばかりです。


 ひとつだけ私の瞑想体験を述べます…。


 食べる瞑想


 仕事から離れてからというもの、食べたいという欲求が今までより出てくるようになっていました。地橋先生は瞑想のためには小食を心がけるようご指導くださっていますが、私の未熟なサティではその思いが消えることはなく「今の私には無理。しばらく気が済むまで食べよう」と自分に言い訳をしながら食べていました。もちろんサティを入れて「食べなくてもいい」と思えた日もありました。そうでない日は欲に負けて食べ物を口に運ぶという日々が2~3ヶ月続いたある日、「瞑想に対する覚悟が足りない」という言葉が浮かんできて自分の行動を見直すことにしました。


 『瞑想クイック・マニュアル』を参考に、改めて食べる瞑想に着手することにしました。食べる時にサティを入れるということは今までもしていましたが、それまで何の気づきも感じられない状態でした。しかし、今回は変わりたいんだ。やるぞ!と覚悟を決めたのです。


 まず深呼吸をして…、箸に手を伸ばし、箸を触った感触、握った感触を確かめながらサティを入れていきます。茶碗を手に取るときも同様に。そうすると、食べ物の材質や中身の料理によって温度差や質感まで感じられました。そして食べ物を箸で掴む。すると箸から指先に伝わる感触、指先から手、腕、肩の筋肉の伸び縮みも感じられます。それから口に運び、箸を戻して置く。それからやっと咀嚼。そこで今度は手から口の中へと注意を移すと、舌の上に乗せた食べ物の感触と唾液が出てくるのが感じられます。一度噛むと、次に咀嚼しやすいように舌が自然と動いてくれている! もう一度噛むと先ほどとは異なる感触が歯や舌に伝わります。これを繰り返していると、同じ噛むという動作をしていても二度と同じ感覚は味わえないのだと実感したのです。これが無常を感じるということなのか…。そして飲み込む。この時も舌が食べ物を食道に流し込むため働いてくれています。たった一口の食事にこれほどまでに注意を注いだことは初めてでした。40年以上「食べる」という行為をしてきたはずなのに、自分の体の働きの偉大さ、そしてそのことをまったく意識していなかった自分に気づかされ、しばらくは食べる瞑想をする度に涙が出てきてしまいました。


 続けていくうちにだんだん小食になっていきました。また買い物に行くとストック分まで購入せずにはいられないほどの不安症が、顔を出さなくなってきたのには驚きでした。もう一つ、食べる瞑想に真面目に取り組むようになってからというもの、歩く瞑想でのセンセーションを感じやすくなり日常のサティが入りやすくなったのも驚喜でした。(続く)