オンライン講座を通して

 話は戻り、『ブッダの瞑想法 ヴィバッサナー瞑想の理論と実践』とグリーンヒルのYouTubeを見ながら瞑想を始めて3~4ヶ月が経った頃、朝日カルチャーセンターのオンライン講座に思い切って申し込みをしてみました。こんな初心者が受けて大丈夫なのだろうかという思いもありましたが、先生は初参加の私に優しく話してくださいました。九州在住で瞑想会への参加が難しい私にとって、ヴィバッサナー瞑想者の皆さんとの唯一の出会いの場であるオンライン講座が月1回の楽しみとなり、それから毎月受講しています。毎日一人で瞑想をしていると、わからなくなったり、やる気がなくなったりするときもあります。そんな私にとって、瞑想修行における質問ができる大切な月1回。先生と皆さんの顔を拝見し、次のオンライン講座まで、また1ヶ月頑張るぞ!!という私の瞑想修行のモチベーションを上げてくれています。講座内での先生ご自身の体験談、皆さんが瞑想や日々の生活の中で抱えていらっしゃる悩みへの回答は、私にとって有意義な話が多く、大変勉強になるものばかりである上に、自分自身の甘えを再確認できる場になっています。
 ある月のオンライン講座で、先生が私には内観が必要だと勧めてくださいました。そこですぐに内観の申し込みをすることにしました。

1日内観と1ヶ月間のEメール内観

 私は小さい頃から母のことを好きという感情がないと思って生きてきました。むしろ好きではないと思って生きてきました。母は私を大切にしてくれているけれど、私のことを好きではないのだろうと感じていたのです。幼い頃、他のみんながお母さん大好き!と抱きついているのに、私は一度もそんなことをした記憶がありません。母に対しては、弱いところを見せてはいけない。迷惑をかけてはいけない。手伝わなければならない。いい子でなければならない。ただそう思っていました。6歳の時まで泣き虫だった私が、母と二人暮らしになることが決まった時「何があっても、もう泣かない」という誓いを自分の中に立てたことだけは覚えています。それからは先ほど書いたように知らず知らずにいい子を演じていたのでしょう。
 結婚してからはさらに母への嫌悪感が増し、母のやることなすこと、母の話し方、笑い方まで何もかもが嫌になっていきました。母を心配したり、あれこれ世話を焼いたり、ご飯を持って行ったり、我が家に招いたり、子どもたちの学校行事や習い事の発表会に誘ったり、いろいろ買って持って行ったり。母のことが気になり自分からいろいろするくせに、どうして嫌悪感しか抱けないのか。母一人子一人で育ててもらった母に対して、このような感情しか抱けないことが悲しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかしたとえ母が何をしてくれても、どうしても母を目の前にすると嫌悪感しか出てこなかったのです。そんな自分が本当に嫌で仕方なく、責め続けた苦しい日々でした。
 母への内観の1度目は表面的なことだけしか感じられなかったように思います。しかし2度目、3度目になると、母に愛してもらっていたことだけでなく、自分が知らず知らずに心の奥に蓋をして閉じ込めていた感情が溢れ出て、どうしても母を好きになれなかった理由が、幼い頃自分を守るために私が私自身に思い込ませ捏造した感情だったのだと気づかされ、母への感謝や申し訳なさを心から感じることが出来ました。何より母への嫌悪感が減ったような気がします。また今までいろんなことに対する感謝だと思っていた感情が、いかに上辺だけのものだったかということにも気づかせていただきました。
 まだまだ表面だけの気づきではあると思いますが、内観後は他者への心からの感謝が深まり、相手を否定することが激減したのは確かです。相手の行動原理や価値観が自分とは違うだけなのだと考えられるようにもなったと思います。そのおかげでしょうか、今まで気づかなかった周囲の人の素敵な部分が見えるようになりました。
 母に対する嫌悪の感情も完全消滅にはまだまだだと思います。日々の自己内観を続け、時期を見て集中内観に行こうと思っています。(続く)