<サティで心が見えた>


 移転後、鬱状態が続いていたとき、座禅をやろうといろいろ求めていると澤木興道(曹洞宗の僧侶)という人のことを知り、本を読みあさりました。読んでるうちに心が軽くなることもありましたが、根本的には変わらず、「ただ座れ!」という教えでなかなか理解できないまま座禅のまねごとを続けていた頃、もともとあまりテレビは見ないのですが、たまたまテレビの前を通ったときに、オレンジの法衣をまとった外国の坊さんが、タレント相手に手を上げ下げしながら、上がる上がる、下がる下がる、と手を動かして言葉確認する方法を教えていて、これが瞑想です、みたいなことを仰ってるのを見て、「えっ?」???これが瞑想?という印象と少し興味は持ったものの、その時はやり過ごしてしまいました。が、その後少し経って、仕事である作業をしてるとき、1分程度の待ち時間があり、そこに積み上げられている古新聞を手にして読んだりするのですが、そのとき手に取った新聞の本当に小さいスペース(2cm四方ぐらい)に、先日テレビに出ていたあのお坊さんの写真が載っていて、「あっ!あの人だ」と目を止め記事を読みました。それがスマナサーラ長老の写真だったのです。何の記事かは忘れましたが、そこにヴィパッサナー瞑想という聞いたこともない言葉があり、とりあえずメモして家に帰って検索すると、テーラーワーダ協会やヴィパッサナー瞑想のことがいろいろ出てきて、大阪の伊丹というところでスマナサーラ長老の瞑想会があることを知り、早速行ってみました。それがヴィパッサナー瞑想との出会いでした。あのときテレビの前を通らなかったら、違う古新聞を見ていたら、おそらくこの瞑想にも地橋先生にも出会えてなかったのでないかと思います。
 そしてヴィパッサナー瞑想を知り 、次に日本人でどなたかいないかなと思って調べて、地橋先生のことを知りました。理論的に瞑想の説明をされている先生の「ブッダの瞑想法」を読んで、今の自分に当てはめたとき、頭の中でいろいろ妄想をして苦しみを自分で作り上げていたんだということに気がつきました。この本を読んで初めて瞑想とはこういうことなのかと知り、この瞑想をやってみたいと思いました。当時先生は 関西の瞑想会で指導されていたので、何度か通い、また短期合宿にも2回参加しました。初めての合宿ではサティの瞑想のやり方を1から教わり、そのとき自分はサティの瞑想がきちんとできていなかったことを痛感しました。2日目の夜に、歩く瞑想で集中が非常に高まり、座る瞑想に移行した時に「あっ!お腹の感覚がある」と思い、お腹の膨らみ縮みをやりだした途端、俗に言うサティの自動化が起こりました。もうそれこそ数秒の間に何回ものサティが勝手に入り、妄想、妄想、音、妄想、お腹の膨らみ、音、妄想、チヂミ、妄想、音、妄想、音、という具合で、どんな妄想が出たかも自分では分からないぐらいのスピードで、妄想が立ち上がろうとする瞬間にサティで撃ち落とす、まさにそんな感じでした。時間にしてわずか1分〜2分だったと思いますが、それが逆にアダとなり、あの時のあの体験をずっと追い求めるようになってしまいました。これも先生がよくおっしゃられてますが、それを望んでる間は起こりませんと、実際その通り。あれから15年以上が経ちましたが一度も同じ体験はありません 。その後も瞑想会にも行き、短期合宿にももう一度参加させていただきました。3年ぐらいヴィパッサナーというよりも、その当時はサティの瞑想を1日10分、とにかくやろうと頑張っていました。人生でなにかやろうと決めたことを、3年以上1日も怠ること無く、やり続けた経験はあのときだけでした。あのとき座る瞑想ではなく、歩く瞑想を、しっかりしていればもう少し結果は変わっていたのかもしれません。と、言うのも3年やったといいましても主に寝る前、布団に座って座る瞑想をやるのですが、ほとんど10分座って8分は寝ていた(笑)のが現状でした。あとは、気がつけば日常のサティを入れていました。その程度のことしかやっていなかったにもかかわらず、色々と心に変化は起きました。主に仕事の面ですが、移転した当時は毎日仕事が嫌で嫌で、違う仕事をずっと探し、ご飯を食べに行くと飲食店で働こうかとか、外壁を塗っているのをみるとペンキやさんになろうかとか、とにかく今の仕事以外なら何でもやると思いながら、つらい日々を送っていました。  ところがヴィパッサナーを知ってからは、仕事内容が単純作業の数をこなす仕事だったのでサティは入れやすく、サティを入れていると ある時、腕を動かしながら神経のうごきが鮮明に見えたというか感じられ、背中の神経につながっていて、こんな動きをしてるのかと感じて、サティを入れるのが楽しくなり、なんと、あんなに嫌がっていた仕事が、この仕事で良かったと思えたのです。仕事内容は何も変わっていない、心の持ちようが変わっただけで、同じものが180度変わって見えた、驚きの体験でした。その他にも前述した取引先の社長とは相変わらず反りが合わず、事があるたびイライラや怒りが常にあり、ある時非常に腹のたつ出来事があり、自宅で座る瞑想をしているとき、どうも腰の痛みがひどく、これは社長への怒りだなと思ったので心髄観をしようと心を見つめていました。「怒り」「憎しみ」「嫌悪」……と怒り系の言葉を羅列しましたがヒットせず、そのときに自分の口から「殺意!」という言葉が飛び出し「えっ!」と思いました。次の瞬間、腰の痛みが「スパーン!」と消えてなくなり、またまた「え〜っ!」と驚きました。マサカそこまで思っているのかと、ほんとに驚きました。人に殺意など覚えたことはないと思っていましたが、自分の中にそんな心があるのか、そして腰の痛みが消えたということは、まさにそういうことなのか。そして次の瞑想会で先生に質問したら、やはり先生の考えも同じで、おそらくそういうことでしょうね、とのインストラクションにもう一度落ち込みました。これは何とかしないと、と事あるごとに慈悲の瞑想をするようになりました。 そして、今度は仕事が少し暇になってきたときに、社長が、合併の話を切り出してきました。移転のときには一緒にやっていこうと言っていた、その舌の根も乾かないうちに、今度は合併の話です。このときも「そっちに回す仕事もなくなるで」と、言ってきたので、「もう全部放り出して辞めたろか!」と腹が立ちましたが、結局、借金の肩代わりとうちの従業員を、今の雇用内容以上の待遇で希望者を全員雇 用する事を条件に、合併に合意しました。自分は辞めると社長には言いましたが、会社の人や関係者からも引き止められ説得され、このときも私にも生活があったのでやむにやまれず合併してそこの会社の従業員になることになりました。 そのやり口に腹が立ちましたが、本来自分は経営者には向いていないとずっと思っていたので、社長の肩書が取れてある意味スッキリしました。確かに収入は減りましたが、生活レベルもほぼ落とすことなく生活できるぐらいの給料はくれましたし、以前より気楽な思いで働いていたように思います。(つづく)