【前説】

 新装版『月刊サティ!』の新しいメニューとして、 先生と話そう。というシリーズをはじめます。ややフランクに、思いついたことを先生になんでも訊いてみようというコーナーです。会話がまとまる時もあればまとまらない時もあるでしょうが(そして、第一回目の冒頭から暗礁に乗り上げているのは否めないのですが)、日本におけるヴィパッサナー瞑想の第一人者との肘張らない楽しいお喋りを皆様にも楽しんでいただけたらと存じます。(榎本)

榎本 今日は第1回目になります。先生どうぞよろしくお願いいたします。

地橋 どうぞよろしく。今日はなにを話すんですか。

榎本 瞑想をはじめてからのロードマップをお尋ねしたいなと思っています。

地橋 というのは?

榎本 仏教では、瞑想の最終目的は解脱になりますが、さすがにこれはハードルが高いので、とりあえずサマーディの境地に至るまでをゴールに設定して、どのようなステップで到達するのか、その時になにが道しるべとして、現れてくるのか、俯瞰図を描いていもらいたいのです。

地橋 いやあ、それはねえ、人それぞれなんですよ。

榎本 いきなり、うっちゃりをくらった気分ですが(笑)。いや、実は先生がそうおっしゃられているのをなんどか聞いてはいるのですが、そこをなんとか。

地橋 まず瞑想が得意である、不得意であるというのは、才能というものに影響されるのです。

榎本 ええ、そうおっしゃってますね。先生がミャンマーの僧院で修行されたときに、1年目にどうも瞑想がうまくできていない様子でいるお坊さんを見かけ、1年後にもういちど出かけたら、ほとんど何も変わっていない状態だった。そして次回訪問したときには、瞑想を断念して、学僧になるべく勉強をはじめられた、と。仏教では、瞑想が苦手な僧は学問に専心することになるのかと知って驚いたし、瞑想がなかなか上手くならない僕などは、この話を聞いて身につまされもしたのですが。

地橋 でも、現実にそういうことはありますね。また、サマーディの境地に至るというのは、できる人は最初からできるし、できない人はなかなかできない。ただそこに到達するための注意点、よりよい食事とか、体調の整え方、瞑想にふさわしい心の整え方などは改善できます。ただ、そこから先は『頑張ってくれ』としか言いようがないんです。

榎本 なるほど、しょっぱなからインタビューにつまずいちゃってますが(苦笑)、このつまずきの原因は、僕がサマーディをとりあえずのゴールに設定したことにあるのかもしれません。もっとグリーンヒルに瞑想を教わりに来る人たちの動機に着目すべきなのかな。

地橋 その点で言うと、私がひそかに〈グリーンヒル瞑想病院〉と名付けているように、瞑想をやってみようという動機としては、人生の苦しみから解放されたいというものが圧倒的に多いんですね。そういう人にとってはたとえサマーディの境地までいけなくても、グリーンヒルで瞑想することによってネガティブな反芻思考がおさまり、結果的に苦しみが無くなっていけば、仏教の役割は充分に果たせているのではないかと思います。

榎本 はい、先生が〈反応系の修行〉と呼んでおられるものですね。もうすこし説明していただけますか。

地橋 心が正しい反応をするように、心の反応パターンを仏教的に組み替えていくということです。自己中心的な発想をやめる、すぐに怒りを沸騰させるのはやめる、慈悲の瞑想をする、利他行をする…というように。

榎本 正しく反応するためにはどうすればいいんですか。

地橋 その点について指導者として心がけているのは、『納得してもらう』ということです。なぜその反応を変えていかなければならないのか、なぜ心を込めて慈悲の瞑想をするのか、利他行をやる真の意味はどこにあるのか…そうした意義や修行の構造を心底から納得し諒解すれば、変わりづらい人の心も変わっていく確率が高まります。その時に、反応が誤作動をおこしたりもするのですが、練習することによってこの誤作動は減ります。私の経験から言えば、〈サマーディを目指す修行〉とはちがって、〈反応系の修行〉は誰でもきちんとやれば進歩は確実に見られます。

榎本 1Day合宿に参加するようになって2年が過ぎましたが、自分のような興味本位の参加者はどちらかというと少数派で、怒りなどの心の問題について悩んでいらっしゃる人が多いということがわかりました。ということは、やはり瞑想は対機説法で指導を受けたほうがいいということなりますか?

地橋 まったくそう思います。

榎本 グリーンヒルは、1Day合宿のときも、事前のレポートを参考に面接の時間をたっぷり取られますね。面接となると、そのときは瞑想モードから概念モードに切り替わるので、もったいないような気持ちにもなっていたんですが、指導を受けてるとこれは重要だなと思うことがとても多いです。

地橋 ただ、基本的なサティの入れ方などは汎用性があるので、それはまず身につけていただきたいとは思っていますよ。

榎本 先生が独自に作られたルールもありますよね。たとえば〈50:50の法則〉(妄想がセンセーションよりも50%以下であると感じられれば、サティを入れずに無視してよいというルール)などですが。

地橋 あれは個人的な体験に由来するんです。あまりに細かな妄想まですべてサティを入れていくと、たった数メートルの距離が30分たってもたどり着けないことになってしまったんです。そこで、見送るのか、サティを入れるのか、について、ある程度の規範を設けないと駄目だと思い、次第にルール化していったわけですね。

榎本 なるほど。先生はいちおう在家で教えているとおっしゃっておられますが、お寺ではどうなのでしょう。瞑想を教えてくれる外国の僧院ではこういうアドバイスはないんですか。

地橋 ないですね。驚くほどない。わざわざ外国の寺で6ヶ月間もリトリートに入り、なにも会得できないまま帰国して、その後、グリーンヒルの10日間合宿に来てようやく『ああ、こうやってやるんですね』と言われた方もいます。

榎本 そういう寺でも、参加者が積極的に質問をぶつけていけば、教えてくれるんですか。それとも寺のほうが教えないことにしているのでしょうか。

地橋 大先生なら、なにを訊いても教えられるし、教えてくれると思いますよ。ただ、そういう先生はたいてい留守にしてるんです。

榎本 高僧が寺にいない? どこにおられるんです。

地橋 世界の瞑想センターを巡回して教えていることが多いんですよ。

榎本 そうすると、留守番しているお弟子さんに教わることになるのか。これは当たり外れがあるのでしょうか。

地橋 あるんですよ。また、技術的な指導は上手だけど、精神的に寄り添うのは苦手だなという人もいます。いい指導者に巡り会えるか否かはカルマが問われますね。

(続く)