いよいよ、地橋先生のライフワークとでもいうべき『ヴィパッサナー瞑想大全』の連載開始です。第1回目からいきなり、ヴィパッサナー瞑想の急所に触れられています。また、先生がヴィパッサナー瞑想と出会うまでのプロセスにも言及されていて、非常に興味深い文になっています。ぜひお読みください。(編集長)

  はじめに

 私の人生から瞑想を引くと、何も残らないような生涯を送ってきました。瞑想修行に明け暮れて17年が経った頃、瞑想指導をすることになり、瞑想会や合宿や講座で毎回ダンマトークをし、グリーンヒルの機関誌「月刊サティ!」に少なからぬ原稿を書いてきました。多くの方がその膨大な原稿を一本にまとめようと尽力され、最終的に「月刊サティ!」初代編集長の盟友・井上雅也氏が「ヴィパッサナー瞑想大全」としてまとめられ、さらに補筆修正を重ね、新たな書き下ろしを加えて刊行されることになりました。
 本書は瞑想の実践を第一義にした瞑想者のためのものであり、仏教を知的に理解するためのものではありません。ブッダの説かれたダンマ(理法)をいかに実践し体験するか、瞑想修行を全うするために何をし、何を学び、どのように取り組んでいけばよいのか、を修行者の立場から追求してきた軌跡がまとめられたものです。

 しょうたい

 原始仏教の真髄は、「苦・集・滅・道」の 四聖諦に集約されています。初めてタイの僧院でヴィパッサナー瞑想の修行をしたときに、僧院長のアチャン・ターウィーが緑色の本を手にして「テーラワーダ仏教は、この二冊を読めばわかる」と言われました。一冊は「四聖諦」、もう一冊は「はっしょうどう 」について書かれた英文の本でした。 大乗仏教のどんな本を読んでも、たい ・八正道の説明は当たり前のものばかりで、何が尊いのか理解できなかったのですが、実際にタイやミャンマーやスリランカの比丘の方々から教えを受けるとその深遠さに驚愕しました。

 私が人生を捧げて修行し、後から来る方々に伝えたい唯一の道は、ブッダの説かれたヴィパッサナー瞑想であり、その真髄は「苦・集・滅・道」の四聖諦に結晶しているのです。

  「いかなる教えや戒律であれ、尊いはっしょうどう が存在するところには、 いちらい げん かん 、の聖者が現れる」と死が間近に迫ったブッダが『涅槃経』の中で述べています。はっしょうどう の中に仏教の全てが包含されてしまうのだから、 はっしょうどう がありさえすれば、どんな教えや戒律でもよい、という巧妙な表現です。

 振り返れば、私自身の人生が「苦しみ」と「苦しみの原因」と「苦しみが絶滅された世界への憧れ」と「それを実現するための道」を身をもって検証しながら、聖なる修行を完成していくために設計されていたかのような気がしてなりません。


 たい

 「人間が自らについて行う自由な選択は、彼の宿命と呼ばれるものと、完全に一致する」

 J.P.サルトルが『ボードレール論』の結末に記した最後の一行です。学生時代にアパートの一室で読了し、不思議な感銘を受けました。人が自らの意志で自由に選んだ人生は、抗いがたい力によって選ばされてしまった結果なのか…。時代背景もあり、卒業しても就職せず、自由な生き方を貫こうと重ねてきた私の意志決定は、「運命」という名の宿業によって強いられ、選ばされてきた…と、人生の最終章に至ってみれば思いなされてくるのです。

 二十代の私は、荒んだ日々を送っていました。幼少期から周囲の大人たちの期待に応えるために、息も絶え絶えになって模範生を演じてきた憤りが爆発し、過去の全てを破壊したい衝動に駆られていたのです。「もう人のために生きるのはゴメンだ!これからは、俺は、俺のために生きる!」と自らに宣言し、周囲の者の期待を裏切り、頽廃の美を追求する無頼派の生き方を目指していました。大学時代に帰郷する電車の中で、


     復讐に燃ゆるまなこを掠めしや
       窓外に飛ぶ菜の花と地蔵

 などという歌を詠んだりしていました。

 皆から愛され、大事にされ、粘りつくように期待もされ、重圧におし潰されそうになっていた私の怒りは結局、自分自身にしか向けようがなく、自傷行為のように自分を破滅させる暗い情熱にき動かされていたのです。負の情念が空っぽになるまで、そんな生活を十年間も続け、やがて望めば望んだようになっていく業の法則どおり、私はドゥッカ(苦)に叩きのめされ、最後は部屋に転がったまま吐き気が止まらず、命を絶つエネルギーさえも枯れ果てていました。

 自分で自分のことがどうしようなくなり、ああ、こうやって終っていくのか…と奈落の底に引きずり込まれていったとき、なぜか不可思議な力が働いて助け出される展開が待っていました。あのとき短い人生が終らなかったのは、まだ生きるだけの業があったからとしか思えませんでした。


 堕ちるところまで堕ちきり三十歳になろうとしていた私は、陰が極まった果てに陽になるように、浄らかになりたい。苦から解脱したい。自分のためだけに十年も生きたのだから、これからは人のために、世の中のために命を捧げたい。そのために修行をしたい…と痛切に願いました。

 以来、ただの一度もブレることなく悟りへの道を歩み抜いてきたのは、十年もの歳月をかけて苦(ドゥッカ)に叩きのめされ、泥まみれになって私の流儀で「苦諦」を検証したことに端を発しています。

 「この世には、苦と苦から解脱する道しかない…」と静かに言われたタイのアチャンの表情が今も忘れられません。「苦から解脱する」という揺るぎのない決意は、苦に打ち据えられた者がどん底から希求する悲願であり、原始仏教の出発点なのです。多くの修行者が解脱ゲームから撤退し、世俗に戻っていくのは、苦の真理(たい )を徹底的に極めることがないからです。心底から苦を思い知った者は、苦から解脱することに迷いは生じないのです。


 じったい


 身も心もけがれきっていた私は毎日水をかぶってみそぎ をし、経典を読み、瞑想をし、断食を繰り返し、ヨーガや滝行、スピリチュアリズムなどさまざまな修行に取り組み、苦が超克された聖なる世界を目指しました。白隠禅師の「なん の法」で風邪が立ちどころに治った驚きが全ての修行の発端だったこともあり、修行の中心は一貫して瞑想でした。命を懸け、渾身の力を振りしぼってその瞑想を深めようとしても、これ以上は頭打ちだと覚ったとき、潜在意識に抑圧された闇が横たわっているのを直観した私は、満を持して内観の修行に挑みました。

 妄想を離れる瞑想修行を深めてきた者には、朝から晩まで回想モードの概念世界に浸りきる内観の修行は苦痛でしたが、心の闇を意識化しようと正確に記憶をたどり、在ったがままの過去の事実を精査していきました。ヴィパッサナーが「現在の瞬間の事実をあるがままに観る」瞑想なら、内観は「過去の事実を在ったがままに観る」瞑想と言うこともできるでしょう。

 印象世界の記憶と客観的な事実を克明に照合し、正確な過去を浮かび上がらせていくと、愛情の欠片もないと憎悪していた父親から愛を受けていた事実に愕然としました。さらに、周囲の大人たちの期待に応えて満足させることを強いられてきたと思い込んできたが、自分がやりたくて勝手にやっていただけだったことに衝撃を受けました。

 私の思い込みであり、妄執だったのか…!エゴが作り出した世界にのめり込み、憤り、自己破壊のために十年の歳月を費消していたのか…!人生最大のドゥッカ(苦)にし潰されようとした原因は、渇愛のエネルギーに由来していたことに打ちのめされました。


めったい


 瞑想三昧の修行生活に没頭し、深い瞑想体験をすれば悟ったのではないかと錯覚するかもしれません。しかし特殊な変性意識状態から日常モードに戻れば、些細なことに嫌悪がよぎったり、欲を感じたりする瞬間が無くなったわけではないことに気づかされるでしょう。欲望や怒りから解放された状態を知った者には、わずかでも煩悩に束縛されている瞬間は耐えがたく、修行の未完成に気づかざるを得ません。「些細な煩悩など気にするな。そもそも煩悩即菩提なのだから、煩悩を気にして囚われるのが間違いなんや」などと言われても、修行していない者の巧妙な詭弁にしか聞こえず、嘘だろうと直観していました。宿業の影響なのか、煩悩めつじん の解脱観に揺らぐことはなかったのでした。

 とはいえ、梵我思想や大乗仏教からは煩悩根絶の究極に至る道は見い出せず、クリシュナムルティやタオは理念の美しさだけで実践方法が欠落しているように思われました。精神世界の聖者たちの究極の境地が記された書物を貪り読みましたが、頭を殴られたような衝撃を受けトドメを刺されたのは「仏弟子の告白 テーラガーター」と「尼僧の告白 テーリーガーター」でした。煩悩を完全に滅尽した たちの感動の詩が高らかに述べられていたのです。


★「諸々の欲望に災いのあることを見、出離の道は安穏であると見て、あらゆる欲望から離れ、私は、穢れの滅尽に達した」(458)
★「内にも外にも、およそ、私に存在する穢れのすべては、残らず断じ尽くされて、もはや、再び生じないであろう」(439)
★「私のすべての貪りは棄てられ、すべての怒りは根絶した。私の全ての迷妄は消えうせた。私は清涼となり、平安となっている」(79)
★愚かな男たちに言い寄られるこの身を美しく飾って、娼家の門に立っていた遊女の「私は、いまや、頭を剃り、重衣をまとって托鉢のために出かける。そしてなんらの省察作用も起こさぬ者として、樹の下に坐る。

 天界と人間界のすべてのくびきを断ち、すべての穢れを棄てて、私は清涼となり、安らぎを得た」(75+76)


 自分を穢れた者として自認していた私は、殺人鬼だったアングリマーラの解脱に救いを感じ、娼婦も阿羅漢になれることに心が震えました。
 本当に煩悩を滅し尽くした仏弟子の聖者が実在していたのだと感動し、「滅諦」が検証された思いがしました。


 どうたい

 

 以来、原始経典を読み漁り、「よく気をつけておれ」とリフレインのように繰り返される謎の言葉が「サティ」のことであったと腹落ちしたのは、来日して間もないスマナサーラ長老のご教示によってでした。この世を捨て、命を懸けて十数年も修行してきた道が間違いだったと認めざるを得なくなったときは、目の前が真っ暗になり、廃人になりそうな精神的危機に瀕して倒れていました。しかしこの世を捨てていた者に行き場はなく、もう一度幼稚園生からやり直そうと立ち上がっていくしかなかったのです。

 スマナサーラ長老から日本語でマンツーマン指導を受けることができ、過去の行法への未練をすべて断ち切り、新しい世界に向かってブッダの道を歩み始めることができたのは、私の人生で最大の僥倖に恵まれたターニングポイントでした。

 ブッダの悟りへの道は原始仏教のダンマの中に脈々と継承され、その実践法は四聖諦の八正道に結晶しています。誰でも、自分の程度に応じて、究極の解脱に向かって歩を進めていくことができる修行方法が明示されていることこそ、古今東西の並みいる正しい者たちと比較にならないブッダの偉大さを証しするものでしょう。いかなる戒律や教えであっても、八正道さえあれば必ず悟りを開く人が輩出するのです。

 世間がバブル時代に酔いしれていることもまったく知らず、行者の生活を続けて十数年が過ぎ、タイの僧院から帰国した翌日、なぜか天から降ってきたように朝日カルチャーセンターで瞑想を教えることになりました。この世からドロップアウトしてまったくの無名の私になぜ?! と狐につままれたような思いでしたが、宿業が展開していく因縁の流れがあったと考えるしかありません。以来、ただ起きたことをひたすら受け容れ、情況に流されるままに瞑想指導を続けていくうちに歳月が過ぎ去り、人生の第四コーナーを走り抜く年齢になりました。
 一貫して学者になる気はなく、理論も哲学もダンマも体験的に検証しながら体得することにこだわり続けてきた人生でした。経験を通して思い知ることが何よりも大事であり、骨身に沁みて腹に落とし込まれたものしか人を根底から変えることはできないと感じてきました。
 その時々に思いついたことを語り、原稿として書き散らしてきただけなのに、九分冊の『ヴィパッサナー瞑想大全』として「苦・集・滅・道」の各章に配置されてみると、「ブッダの瞑想法を実践する」という一点に絞り込まれた美しい構成が浮かび上がり、私の生涯も、その構成に折り重なるようであると感慨を覚えます。(つづく)