1.はじめに
ヴィパッサナー瞑想は、みなさんよくご存じのように、心の清浄道という、不善心あるいは煩悩で汚染された心をきれいにしていく瞑想です。心は、汚染された状態から浄らかな状態に変わることができます。この瞑想はそのための行法であるということができます。そして、心がきれいになると、苦を発生させている原因がなくなり、幸せな人生になっていきます。
心が変わるという現象は、一時的には起こりやすいものです。しかし根本から変わるということになると、やはり難しいものがあります。変わったかなと思ってもいつの間にか元に戻ってしまったり、再びネガティブな方向に向かったりと、根底から心を浄らかにするのはなかなか難しいという印象があります。
心が変われば人生をやり直すこともできるでしょう。しかし、本当に心は揺るぎなく変わることができるのでしょうか。そこで今回は、根本から心が変わるというのはどういうことか、またそのためには何が求められるかを事例を挙げながら考えてみたいと思います。
2.心の分析:三つのカテゴリー
生きるということは、日々さまざまな出来事をどのように経験し、受け止め、いかに反応していくかということです。こうした心の働きを分析的に考えてみると、認知の流れに沿って①情報処理系のプロセス、②解釈のプロセス、③反応するプロセスというように分けることができます。
情報はまず六門(眼耳鼻舌身意)から入ってきます。六門からの情報がどのように処理されるか、これを情報処理系と呼んでおきますが、その処理の仕方には個人差があります。 個人差があるとは何を意味するのでしょうか。それは、選択的注意が働くということです。選択的注意というのは、六門から次々と流れ込んでくる膨大な情報の中から一つの対象を選び、エゴの立場から、一定方向に優位に注意を注ぐことです。
例えば、皆さんはいま前を見ています。私の声が聞こえている。座布団に坐った感触があります。エアコンの温度も感じます。何かを考えて、連想が起きているかもしれません。あるいはガムを噛んでいたりすれば味覚もあるでしょう。こうした情報が常に入ってきているわけです。
このとき講演に集中するか、ボードの字を確認するか、エアコンからの風を気にするか、ガムの味がうすくなってきたと感じているか、知覚される情報のどこに注意を注ぐかは、その瞬間の自分のエゴの立場からなされるので、当然個人差が出てきます。情報は誰にでも同じ一定の強さで入ってくるのですが、注意の注ぎ方で千差万別の違いが出てくるわけです。
解釈のプロセスはどうでしょうか。入ってきた情報をどう解釈するかによってさまざまに編集され、どのようにでも変わっていきます。仮に同じものごとを経験したとしても、その解釈は人さまざまであり、ここでもまた個人差が大きくあらわれます。
次のプロセスを私は反応系と呼びますが、処理され、解釈された情報に対してどう反応するかにも、当然ながら多種多様な選択肢があり得ます。例えば、思わぬ言葉を投げつけられたとき「罵られた」と受け止め、言い返してやろう、殴ってやろうと続くかもしれないし、「怒らない」修行だと抑止することも、サティを入れて淡々と受け流すこともあり得るし、人それぞれの反応が異なるのです。
このように、情報が入ってきた瞬間、どう処理し、解釈し、反応するかは、その人の個人的な履歴や過去の経験の積み重ねや生き方の流儀によって大きく違ってくるのです。
ところで、入ってきた情報が不快なものや、ネガティブなものであっても、それを肯定的に解釈することは不可能ではないでしょう。また、過去にも現在にも自分の人生に何も問題がなければ、受け止めたさまざまな情報に対して100%完璧な反応を示すことができるかもしれません。しかし、一般的に言ってそれは不可能に近いと思われます。なぜなら、これまで何の問題もなく生きてきたと言える人は皆無でしょうから。
人は誰でもネガティブな心の反応パターンを多かれ少なかれ抱えていて、それによって人生を苦しくしてきたというのが実情でしょう。心の反応パターンを正していく清浄道の瞑想が必要な所以です。
瞑想者に限らず、一般社会においてもこのような努力はさまざまな場面で行なわれています。ここでは、最も画然たるものとして、犯罪者や犯罪予備軍にあたる人の心に外部からの働きかけがどう影響するかを取り上げ、その例を見ていくことで、心を変えるには何が最も大切かを考えていきます。
3.仲人の達人の事例
ところでその前に、この情報処理と解釈に関連して面白い事例がありますので、お話ししたいと思います。
あるテレビ番組で、仲人の達人を視たことがあります。40年間で310組くらいの結婚を成立させて離婚がほとんどないという、別れないカップルを作る仲人名人のコツが紹介されていました。
絶対に別れない夫婦を作る極意として、まずお見合いする前に必ず双方のデータをよく調べ、最初から別れづらい夫婦を組み合わせるというのです。そのポイントは、必ず本人と一緒に親御さんにも来てもらい、親の人間性も観察すると、より正確に当事者の個性や性格がわかるのだそうです。その相性を要素的に分析し、両者の要素が互いに相補われるよう「相補性」にポイントを置くのです。なるべく違う性格やキャラクターを組み合わせてから、いよいよお見合いになります。
例えば、すごくお茶目な人には誠実な人を合わせ、わがままだったり頑固な人にはおっとり型や無口な人を組み合わせます。あるいは、すごく自由奔放なタイプには芯がしっかりしていて包容力がある人、キャリアウーマンにはやさしくて無口なタイプだとか、好奇心旺盛な人にはどっしりとしたタイプとか、そういう長年の経験をもとに、うまく相補うようにアレンジするのだそうです。
男も女も完全無欠な性格というのはありませんから、ちょうど欠けているところをお互いに補うように組み合わせるということです。そのために、事前調査をして、人物のキャラクターを親まで同伴させてよく見抜いておくということでした。
また、お見合いの場所はホテルなどのかしこまった場所ではなく、この仲人さんの家にします。その家は普通の家なので、リラックスして話しやすいというか、そういう環境設定をするのです。
そして、ここがポイントなのですが、お見合の前には名前と年齢、そして性格についてごく簡単に紹介する程度で、あとはいっさい教えません。職業も教えないし写真も見せない、履歴書もなければ、本当に何も教えないのです。
そうなると、先入観なしに「どんなお仕事をしていらっしゃるのですか?」とか「何に興味をお持ちですか?」と本気モードで関心事を語り合い、だんだん「そういうお仕事ですか」とか「そんなご趣味だったのですね」とわかってきて、その結果とても自然にお互いの姿をあるがままに見ることができるという具合です。
先入観なしに相手を見なさい、などと言われても、普通はなかなかできません。あらかじめ情報が与えられると、それを抜きにして「あるがまま」を見ようとしても、口では言えても実際には難しいことです。しかし最初からデータがない状態なら、外見とはおよそ似つかわしくない職業……とか、強面だけど話し方は意外にやさしい……など、そのあたりは自然に相手を見られる可能性があるわけです。ここはとても大事なテクニックで、感心しました。
それから、お見合いが終わったら、相手の良いところを一つだけ聞き出すそうです。たいていは「ここがちょっと……」「あれは、どうも……」などと引き算をしてネガティブな面を見がちなのですが、お見合い直後に、素晴らしいと思った相手の美点を一つだけでいいから言ってくださいというのです。するとネガティブな面にイメージが固定されようとしている時に、経済的なことでも何でも相手の良かったところに選択的に注意を注ぐように仕向けるのです。
こうしてお見合いをした人の半数が一回で結婚を決め、全相談者の七割が結婚を決めるとこの仲人さんは言っています。さらにまた、何かもめごとがあったときには相談する人がいないと離婚が早いらしいので、仲人さんが必ず相談に乗ってよりを戻させるということでした。
この番組では、事前にデータを与えず、現場であるがままに相手の人物を見させていること、そして相手を知った後は、さまざまな側面の中の良いところに注目させるという、この二つがポイントではないかと思いました。これは、我々の瞑想にも関係がある大事なところですし、これからお話しするいくつかの例にも通じるものがあると考えられますので紹介いたしました。
4.心を変える取り組み
(1)厳罰主義
先ず厳罰主義です。
刑務所に入った人が、どのように更生していくか、あるいは劇的に心が変わるかということです。もちろん、死刑というような脅しには確かに一定の抑制効果はあるでしょうが、実は厳罰主義ではほとんど心は変わらないのです。
たとえばアメリカにはスリーストライク法という法律があります。これは、どんな罪でも3回以上有罪になれば必ず死刑になるというもので、アメリカの半分の州がこれを採用しています。このスリーストライク法は厳罰主義の最たるものですが、これを実施して16年経過したところでは犯罪者は70%増加しているそうです。ぜんぜん減っていません。
あるいは、かつてのノルウェーではものすごい厳罰主義でした。20年か30年くらい前までは、罪を犯せばこんな目に合うのだと犯罪者に見せつけるような、例えば汚いベッドだとかまずい食事だとか、非常に過酷な扱いを受ける刑務所でした。この時も犯罪はぜんぜん減りませんでした。
こういった例からも、厳罰主義で殴ったり蹴ったりしても、まず人の心は変わらないということです。もちろん殴られたくはないですから、一応変わったかのような反応、態度を示しますが、それで心が変わるかというとそうではない。問題にならないほど何も変わらないと見ていいと思います。
(2)ノルウェーの温情主義
これに対して、厳罰主義で犯罪者が増える一方だったノルウェーでは、囚人に対して非常にやさしい対応をするように変えていきました。
ニルス・クリスティ(Nils Christie)というノルウェーの犯罪学者は次のように言っています。
「モンスターのような犯罪者に私は出会ったことがない。どの犯罪者だって、近づいてみれば普通の人間なんです。生活環境を整えれば必ず立ち直ります」(編集部)
犯罪を犯すような人というのは、それまでに十分苦しんできたし、冷たくされ、その結果犯罪を犯すまでになってしまったのだから、そういう人たちに対しては愛情とかやさしさを与えない限り心は変わらないという考えです。テレビで見ましたが、驚きました。
ノルウェーの刑務所というのは完全個室で、普通の家庭のような感じできれいなキッチンがあり、冷蔵庫があってテレビもある。パソコンもインターネットには繋げられないけれど自由にできるし、タバコも許可されている。食事も自分で作ったりして、食べる時には、広々としたところで看守と囚人が一緒に取り分けて食べたりしているのです。
島全体を刑務所にしているのですが、ぜんぜん刑務所のような感じではありません。窓を開けると湖があって、山があって、まるでリゾートのようなのです。私も行ってみたいと思いましたね。(笑)
その上、模範囚のような態度の良い囚人は3日間ぐらい休暇も取れて、手錠も何もなしで家族のところに帰ることができるのです。もちろん逃げたら大変ですからそれには罰則があるけれど、家族との関係が長い間、10年、20年と切れてしまうと社会復帰が難しくなるので、家族との絆を切らさないようにするのです。普通の人と同じような服を着て、まず船で本土に行き、バスに乗って、家で3日過ごしたら帰ってくる。このように、ものすごく囚人にやさしいのです。
数字の上からは、たとえばアメリカでは刑務所に入る率は100人に一人なのが、イギリスは600人に一人、ノルウェーは1300人から1600人に一人だそうです。アメリカはノルウェーの16倍、イギリスは2倍以上です。
厳罰主義とこの温情主義を比べてみれば、ノルウェーの犯罪学者の言うように、囚人にやさしく接した場合の方が犯罪も減るし、更生率も明らかに高くなるようです。傷ついて、意固地になって、人間不信になってしまった囚人たちに対して、罰則や刑罰の脅しで心を変えるというのはたいへん難しいことであって、変え得るとしたら愛を与えることによって、ということでしょう。
この温情主義は「里親」の考え方と似ているかもしれません。
日本ではまだ少ないのですが、アメリカなどでは里親になる方がかなり多く見られます。子どもというのは親に捨てられた段階で、赤ちゃんや乳幼児のごく小さい時から、人間不信というか、心をあまり開かなくなってしまいます。そうすると、里親は愛情のかけ直しをしなくてはならないのです。
今まで、何年間か愛情をかけてもらえなかった子に、親がわりになって甘えさせます。すると、始めは反抗したり里親を試したりしていたのが、もう自分を見捨てないとわかると懐くようになります。中には赤ちゃん返りといって、赤ちゃんのとき抱っこしてもらえなかったら、心理的に赤ちゃんになってしまって、バブバブとか言ったり、あるいは小学生なのにおむつをしたいと言って赤ちゃんの真似事をしたりします。
もし里親にそういった知識がなければ戸惑ってしまうのですが、そんなときにはプロからの助言として心理的な事情を説明してもらう。そして納得してその通りにやってあげていると、しばらくして「もういい」というように満ち足りて止めるのです。そのようにして、里親は教育を通して立派な人間を育てることになるのです。
ノルウェーの刑務所のやり方はこの里親の考え方と共通していると思います。でも、この場合の欠点は、コストがかかりすぎるということですね。この方式で刑務所を作ったら膨大なコストを見込まなくてはならないでしょう。愛情をかけるというのは親と同じようなことをするのですから大変です。
確かにこの方式なら囚人の心が変わる可能性がありますが、多人数に適用していくことはかなり難しいのではないでしょうか。
(3)因果関係を目の前に見せる
心を変えていく大きな要因は因果関係の理解です。今やっていることは将来にこう繋がるのだ……と、因果関係が正しく理解されると心は変わります。
アメリカの刑務所の更生プログラムに取材した「20年目の再会」(Scared Straight!)という1978年度のアカデミー賞を受賞し、八つのエミー賞を受賞したドキュメンタリーがあります。これは私が過去に見たドキュメンタリーの中で、最も迫力のあるものでした。
アメリカのローウェイ刑務所というところで、そこに収容されている囚人たちが、新しい若い犯罪予備軍、すでに罪をおかしている少年少女たちなのですが、彼らに対して更生プログラムを行なっているのです。終身刑とか、懲役何十年という囚人たちが、自分たちの役割を見出すというか、更生に情熱を注いでいるのです。
殺人や盗みを犯したりした少年少女たちが20~30人、ヘラヘラ笑いながらローウェイ刑務所の見学にやってくるのですね。まずその子たちにインタビューすると、盗みをやっても被害者なんかどうでもいいとか、酒飲んで麻薬がどうとか、子供なのに本当に悪を感じさせる雰囲気なのです。少年も少女も、どうしようもないほど、これは将来まちがいなく罪を重ねるだろうと思わせる顔ばかりなのです。
それで、肩で風を切りながら刑務所にやってきて物見遊山の気分でいると、囚人たちが、その少年少女たちに対して更生プログラムを始めるのです。これがすごい。
刑務所がいかに恐ろしいところかということを見せつけるのです。まず、殺伐とした監獄のトイレの汚さとか。それから、凶悪犯たちが上から見下ろして「あの黄色いシャツを着た少年かわいいな。あれは俺のものだ。俺のホモセクシュアルの相手に選んだ」などと言うのです。少年少女たちは壁際にズラリと並ばされて、囚人たちはひとり一人に顔を接近させ、怒鳴りつけるようなしゃべり方で「いいか! よく聞け!」とか言うわけです。
説教というか、演説というか、これが囚人とは思えないような朗々たるもの言いで、シェークスピア劇の役者かと思うような感じなのです。言葉は汚いのだけど、すごいセリフ回しで、私は感心してしまったのですけどね。
例えば「いいか、質問には必ず返事しろ!俺が話すときは絶対に俺から目を離すな。文句あるか!首をへし折られたいのか!俺は終身刑をくらっているんだ。……お前ら、何のために盗むんだ。今から靴を脱げ!」と言って、全員に靴を脱がせるのです。その30足ほどの靴を、足でバーンと蹴っ飛ばして壁際に叩きつける。すると少年少女たちは、全員裸足というか靴下だけで呆然としている。そして「どうだ! 盗まれる方の気持ちがわかるか!」って言うのですね。
とりあえず靴だけですけど、靴を脱がされて、それが壁際に蹴り飛ばされて山積みになってしまっている。自分たちは靴下で立っていて、自分の持ち物が盗まれるということが今目の前で起きている。だから、囚人の言っていることがリアルにわかるのです。
ローウェイ刑務所の怖さがわかれば、もう盗みなんかできないですよ。(続く)