*心身一如


 良い瞑想をするためには意識の透明度が何よりも重要で、その良否を決める最大の要因は体調です。私が断食マニアになったのも、栄養学を勉強したり、食事に細心の心配りをするようになったのも、全ては体調のため、瞑想のためでした。
 子供の頃は人並みに病気をしたし、冬になれば風邪の一つや二つは普通に引いていました。頑強でもなければ病弱でもなく、健康に関してはごく普通だったのに、年々歳々、健康状態は右肩上がりになり、痩せてはいるものの心身にエネルギーが満ちている毎日です。
 私がこれほど元気になれた要因は5つあります。


 ①酒や煙草、ジャンクフード、暴飲暴食、偏食、等々、マイナス要因を徹底的に排除してきたこと。
 ②玄米・もち麦・押麦・蕎麦粉・燕麦、野菜・キノコ・海藻類、各種乳製品など、食材も栄養バランスも健康に良いものを摂取してきたこと。
 ③蚊もゴキブリも生け捕りにして逃がすほど、殺生戒を厳しく守ってきたこと。
 ④慈悲の瞑想を実践してきたこと。
 ⑤定期的に断食をしてデトックスを心がけてきたこと。


 この世的な執着を手放していくテーラワーダの寺では、ヨーガは健康志向と見なされ、苦行である断食は禁止扱いされている印象を受けましたが、私の修行履歴と瞑想理論からは、どちらも瞑想の最重要ファクターです。
 意識の透明度のみならず、身体感覚が心に与える影響は甚大なものがあり、過食をして体が鈍重になれば全てが億劫になるし、慢性的な痛みが続けば人の心を暗転させるでしょう。
 同様に、一瞬の心の状態が怒りや欲望や恐怖のホルモンを分泌させ、人を好きになれば肌が輝いたり、不安やストレスが胃の表面に潰瘍を形成したりします。心身の状態は一如であり不可分だからこそ、高度な瞑想の意識状態を招来するために体を整えなければならないと考える訳です。
 原始仏教に出会うまでは、「ヨーガ・スートラ」を中心に瞑想修行をしていたので、<善行→戒律→調身→調息→調心→>の流れでサマーディを完成していくヨーギ達は、体の調整を気にかけないブッディストよりも有利ではないかと思ってきました。どこの森林僧院でも、私が断食に入るのを良しとしないのを感じていましたが、在家修行者なので黙認されてもきました。


*胃痙攣


 荒んでいた20代には吐血するほど体を痛めましたが、その後大きな病気はしたことがなく、強いて挙げれば、胃痙攣に苦しんだことが何度かありました。
 最初に胃痙攣に襲われたのは20代後半でしたが、真夏に脂っこいものを食べ、さらにアイスクリームやかき氷などでお腹を冷やしたせいか、自室で七転八倒の痛みに襲われ呻き声を上げました。
 いったい何が起きたのか訳が分からず、得体の知れない妄想が化け物のように肥大していったのです。それもその筈、「エクソシスト」というホラー映画を観て帰宅した夜に強烈な痛みに襲われたのだから、悪しき妄想抑え難しだったのです。
 床に転がり悶えながら、救急車を呼ぶべきか否か、いや、その前に……と私がしたのは、腹ばいながら本棚に近づき百科事典と医学事典のページをめくって思い当たる症状を調べ、病名を突き止めようとしたのでした。
 インテリ気取りでいた当時の私らしい振舞いだったと苦笑いしますが、痛みに顔を歪めながら「胃痙攣」だと探り当てると、不安妄想が急速に雲散霧消していきました。痛みは相変わらずでしたが、悪霊を恐怖する妄想で押しつぶされそうになっていた危機は脱したのでした。
 眼前の事態や事象が何なのか見極めないと、人は妄想で自滅する、という持論は科学的態度に一脈通じるものがあり、後年ヴィパッサナー瞑想に専念し「事実をあるがままに観る」修行の発端となっていたのかもしれません。


*タイの海辺の寺で


 その後、重症も軽度の時も含めて何度か同じ症状に襲われましたが、最大級の痛みに万策尽きたのはタイの海辺の寺で修行していた時でした。体がねじれるような激痛が始まり、のたうちながら「痛み」「痛み」とサティを入れて耐えていましたが、痛みの針が振り切れて臨界点に達すると、もはやラベリングは虚しく空回りして役には立たないことを思い知らされました。
 私のクーティ(修行者の独居住宅)から隣のクーティまでは相当離れていて、英語の通じる人も極めて少なく、誰もが寝静まった夜更けの真っ暗闇の中で、たった独り、激痛にのたうちながら、頼みの綱のサティの技法も効かない情況でした。
 サティが無力になれば妄想は出っ放しとなり、熱帯の異国で誰にも知られることなく客死するのか……などという妄念が過ぎっていきました。
 「地獄へ堕とされたら堕とされたで、サティを入れればいいんじゃないですか……」とへらず口を叩いていた馬鹿者もいましたが、苦痛が最大級になればサティなど入らなくなり、つまり地獄に堕ちたら修行どころではない、と痛感させられていました。
 サティが絵に描いた餅となったとき、危機を救ってくれたのは、ダンマの理解でした。なぜか「始まりがあったものには、必ず終わりがある」というフレーズが浮かび、無常の真理が確認されたのです。
 どんな幸福も、苦しみも、胃痙攣も、やがて必ず終わりがやってくる。この苦しみが永遠に続くことはないのだ……と覚ると、乱心乱想のパニック状態は鎮まっていきました。
 心が落ち着いてくると、ふと、胃部を温めてはどうだろうかという考えが浮かび、ペットボトルに魔法瓶の湯を注いで湯たんぽ替わりにして腹部を暖めました。人肌のような温もりと、肥大していく妄想が鎮まったのと、まさに身体と心の双方向から安らぎを覚え、安息感に包まれていくうちに、さしもの胃痙攣の激痛も終焉を迎えました。
 身を整えれば心が安らぎ、心がととのえば、身体の本来のあるべき機能が全うされていく……。


*食中毒


 熱帯の猛暑の国では、朝食が放置されれば昼には饐えた腐敗臭が漂うこともあります。タイやミャンマーの僧院で、連日水のような下痢が7回も8回も続き、クーティにひとり衰弱した体を横たえ、ひたすら癒えるのを待ったことが幾度あったでしょうか。
 どれほど細心の注意を払っていても、食材は浄らかで何の問題もないのに、調理担当者の手指などから食中毒菌が侵襲するのを免れないのです。
 もとより嗅覚も味覚も五感のセンサーは敏感なので、わずかな異臭も違和感のある味覚も見逃さない自信がありました。しかし予想だにしなかった新鮮な果物から食中毒になることもあるのか、と驚いたこともあります。徹底的に原因を究明した結果、なんとグレープフルーツが原因だったと突き止めたことがあったのです。
 食事は「ピント―」と呼ばれる金属製円型ランチボックスに、白飯・スープ・おかず・デザートなどが手提げのついた5段重ねになって届けられます。ある日、厨房の尼さんか在家者の誰かが、親切心からグレープフルーツの薄皮をきれいに剥いてデザートに添えられていたことがありました。粒々の実に触れながら皮を剥く手指の動作が目に浮かび、嫌な予感がしました。薄皮は自分で剥いた方が清潔だろうに、とありがた迷惑な気がしたのですが、注意深く味覚にサティを入れ、何も異常を感じなかったので、トロピカルな気候に適したフルーツを完食しました。
 果たして5~6時間も経過した頃から、水のような下痢が始まり、トイレを重ねる度に衰弱していき、気息奄々、脱力感に喘ぎながらベッドに横たわるしかなくなったのです。
 そんなことが何度経験されたでしょうか。団塊世代の生まれた終戦直後の時代にタイムスリップしたかのような気がしました。お腹を壊すので、子供は井戸の生水ではなく湯冷ましを飲むのが通例だったし、回虫などの寄生虫も多く、食中毒も日常茶飯事だった時代でした。


*ミャンマーの孤独


 熱帯の異国ならではの食あたりに何度も見舞われてきましたが、とりわけ重症だった食中毒は、ミャンマーの山深い森林僧院で修行していた時でした。
 下痢の度合いも、衰弱の度合いも、かつてない最大級の激しいものでした。高熱にうなされ、脱水症状で意識は朦朧となり、歩くこともベッドから起き上がることもできないほど弱り果て、もとより医者はおろか、寺のどこにも薬箱ひとつない密林にたった一人で横臥していました。
 沈黙行に徹した瞑想者同士が友人関係になることはなく、寺男のような在家者はほとんど英語が喋れず、面接も週に2回程度で、孤独もここに極まれりという環境を楽園のように見なして修行にいそしめたのは、自らを拠りどころに独り犀の角のように歩めるだけの元気と健康に恵まれていたからです。しかるに突然の病を得て、頼れるものは何もない、絶対的に孤独な病者になり下がってしまったのでした。
 この寺はピント―方式ではなく、食事の鐘が打ち鳴らされると、三々五々、瞑想者が各自のクーティから一堂に会し、数人ごとに黙々と円卓を囲むスタイルでした。明日は断食ゆえに食事は不要と伝えた日に下痢が始まったので、誰も私のクーティに訪ねてくるはずはなく、木造の小屋に独り転がっていました。


*不思議に続くサティ


 群れを作らない孤独な獣が深手を負い、物陰にただ身を潜めているかのような連想が浮かびましたが、「妄想」と自動化されたサティが力なく入りました。
 これほど衰弱しきれば、もはや修行どころではあるまい、と思われましたが、何もやることがないのです。生きている限り、覚醒時には人の妄想が止まることはありません。
 妄想には2種類あり、明確な考えごとをする普通の妄想もあれば、ほとんどの人は気づかないでいますが、意識の伏流のように微弱な妄想が絶えることなく流れ続けてもいるのです。
 衰弱すれば心を一点に集中させる力は失われ、ただ意識に強く触れたものに気づきを伴わせる六門開放型のサティしか入りません。その受け身に徹しきったサティが延々と続いていくことに静かな感動を覚えていました。
 入れようとしてもなかなか続かないサティが、なぜこれほど弱った病人なのに、切れ目なく続いていくのか謎でした。「不可思議」とそれにもサティが入ったというか、思考も考察も展開させるエネルギーがまったくないので、ただ気づきが伴っただけで消えていったようでもありました。


*サティの構造


 淡々と続いていくサティが肉体の苦受をただ苦受だけに止め、心には憂いや怖れが微塵もありませんでした。窓から差しこむ熱帯の光の中に、無数の微粒子がキラキラと金色に輝いているのを、高熱で朦朧とした眼でただ純粋に「見ている」とサティが入っていました。眼識に接触したものを、「美しい」という印象につないで享受している余裕などまったくありません。
 「……マバタキ(一瞬の視覚の遮断に対して)→(頭が)熱い→(氷枕か氷嚢が欲しい)と思った→連想(子供時代の病床を)→(眼を)開いた(マブタの感覚を感じながら)→見た(網膜に何かが接触した感覚)→見ている(光線の微粒子を)……」とサティが入り続けていきます。
 息も絶え絶えなのに不安はなく、ただ苛酷な肉体のドゥッカ(苦)とサティが続いていることに対する微かな<喜(ピーティ)>があるだけで、心は静かに落ち着いていました。ではなぜ、その時に不安や恐怖の妄想が浮かんでくることもなく、またそれがサティの対象とならなかったのでしょうか?
 現在の瞬間に切れ目のない気づきが連続すると、想念の連鎖する余地がなくなって思考は停止します。眼耳鼻舌身の知覚対象と意門に浮上する妄想をひたすら受け身に徹して認知していく。これがサティの基本的な働きで、対象に反応したりコントロールすることはサティの仕事ではありません。
 外界から六門に飛び込んでくる刺激情報(対象と意識の接触:パッサー)→認知(サティ)→<?>←ここに何が起こるのか?
 例えば、「考えた」とサティを入れても、思考内容に執着があれば、次の心が再び類似の想念を浮上させることになります。もし怒りっぽい人なら「怒り」とサティを入れても、また怒りや嫌悪が蒸し返され、そのつどラベルを貼って見送ることの繰り返しになるのです。つまり、心のプログラムを組み替えなければ、類似妄想の再浮上は止まらないということです。


*因果を心得、因果を超越


 なぜ異国の森林僧院で病に喘ぐ私に、不安や恐怖の妄想が浮かんでこなかったのでしょうか……。
 5つの要因が考えられます。


 ①医者も看護婦もいない寺にはもとよりなんの期待も願いもなかった。
 ②医学的知識から一応の病状を把握していた。
 ③原因が不明でも断食で治らぬ病気はほとんどない、という確信があった。
 ④及ばずながら過去に積んできた善業(比丘に対する薬の供養etc.)がよい方向で現象化するであろう、という基本的楽観主義。
 ⑤身体的衰弱も脱力感も、断食では毎回経験され精通していたので不安や恐怖の対象にはなり得なかった。


 想念レベルでのソフトを入れ替えれば、心のプログラムは変わっていきます。これが、<智慧>の修行であるヴィパッサナー瞑想の前に<戒>が十全でなければならない所以です。さらに重要なのは、現れてきた現象に対する正しい理解が生じるので、愚かな妄想が浮上しなくなるということです。それが<気づき→観察→洞察>と成長していくサティの真骨頂でもあります。
 一瞬一瞬襲ってくる肉体の苦受も想念も眼識も……対象として生起する全てのものがサティの認知と同時に滅し去っていく。これは怖るべきことです。
 どのような対象も必ず瞬滅していく。
 始まりがあった一切のものには終りがあるという真実。
 どのような痛みであれ、生じたものは必ず変滅していくこの真実相に対する一貫した理解の伴ったサティは、心配や不安という心の構成因子を生起させないのです。


 病気も怪我も肉体的苦受は、すべからく殺生戒系の不善業の結果と理解すべきです。業があれば、必ずわれわれの身に襲来するし逃げようもないのです。怖れても怖れなくても結果は同じであるならば、甘んじてそれを受け、苦受を感じる瞬間に業が消えていくのだと心得ることによって、心はむしろ安らぎさえ覚えるでしょう。
 病気さん、ありがとう。お蔭さまで不善業が一つ消えました、と感謝を表明すべきなのです。
 病気になりたくなければ、生きものの命を大切にすることです。人間に対してはもとより、鳥獣虫魚の命も大切に守ってあげることにより、かつての不善業を相殺させることにも繋がります。
 ミャンマーの森林僧院を去る前に、立派な収納ケースに納められた諸々の薬一式をまとめてお布施したことは言うまでもありません。
 どこの寺に止宿しても、<食事・衣・薬・住居>の四資具のお布施は定番なので必ず奉納してきました。
 徳を積むことはこの上なく楽しいことであり、心を健やかに明るくしてくれるものであり、それらの集積が波羅蜜となって解脱を完成させる最大要因になっていくのです。 (この項続く。以下次号)