(1)夜道を歩いていたら、角の暗がりから突然「福は内!」と大きな声がした。
 そして、「鬼は外!」のタイミングでこちらに向かってパラパラと豆が飛んできた。
 幸福は我が家だけに、災いの元凶は他所に……という訳か。
 嫌いな人や敵対する人にすら「幸せであれ」と祈る瞑想との落差を感じた。

(2)晴れた日は楽しく、風の日は全てがクッキリ明晰だ。
 雨の日は肌も潤い、葉群の緑も樹皮も美しい。
 淡い曇りの日は心が落ち着き大好きだ。
 雪が降る。現実が詩的になる。
 冒険好きなので嵐が来るとワクワクする……。
 全てを肯定できれば、現象世界が達観される。
 執着がなくなると、苦が激減する……。

(3)狼がきたぞ!という誤情報からでも、現実の反応が起き、大騒ぎになってしまう。
 そのように、実体のない幻のような「エゴ」であっても、傷ついたという印象を受ければ、ホルモン系に一連の反応が起き、愛着障害のような問題も発生してしまう。
 「自我」を確立してから「無我」を悟る順番……。

(4)「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば、憂いは存在しない」とブッダは言う。
 「安全基地」を体験した者は、「安全基地」を手放すことができる。
 万物と繋がり合い万物に支えられていると知り、無我を体得した者は、独り犀の角のように歩む……。

(5)自信がなく、自己嫌悪や自己否定感覚との葛藤で苦しんでいる人たち。
 そんな自分を丸ごと受け容れてくれる揺るぎない絆に支えられれば、安心してのびのびと実力を発揮できるだろう。
 だが、その支えを失えば、絶望的な悲しみの中に失速する。
 何ものにも依存しない自己完結を目指す……。

(6)歩く瞑想のやり方が間違っていたわけではなかった。
 だが、インストラクションを受け、ひとつ一つの動作に溜めを作ってから感覚を取り、余韻を感じてからラベリングをするように微調整した。
 すると、頭の中が異様なほどクリアーになったという。
 自覚されない妄想の微塵まで一掃された世界……。