(1)心は多層構造である。
 表面意識が無思考状態に入れても、意識下で通奏低音のように鳴り響いているものがある。
 トラウマや劣等感などが多いが、それだけではない。
 慈悲の瞑想に集中してからサティの瞑想を開始すると、暗黙の慈悲の波動が放たれる。
 優しい空間が出現する所以である。

(2)瞑想は、孤独な営みである。
 外界の人や環境との関わりを一時的に中断するからである。
 腐った内面を浄化し整えるためには、まず独りになって情報の乱入を拒み、思考や判断を停止しなければならない。
 瞑想者は内閉的な世界に自らを閉ざすがゆえに、ワガママになり独善的になる危険がある。

(3)余計な妄想を駆逐するサティの持続と、互いに思いやりさりげなく配慮し合う慈悲の瞑想の波動が絶妙にハーモニーを奏で、瞑想道場は優しい沈黙に包まれていく……。

(4)それだけではない。
 人にも情報にも環境にも恵まれなければならない。
 外的な条件は、これまでに作ってきた善業と不善業によって決まる。
 徳がなければ瞑想が進まない所以である。
 そして全てが整っても、心に傷がありわだかまるものがあれば、瞑想は破綻する。
 反応系の心を組み換えていかなければならない。

(5)苦楽中道の原始仏教では、断食は苦行と見なされるのが常識である。
 しかし2日程度の断食は苦行ではなく、体の毒素を排除するデトックスであり、瞑想を深める技法である。
 秀逸な瞑想は意識の透明度に比例し、意識は体調、体調は食事の調整によって決まる……。

(6)自分に対する怒りであれ、他人への憤りであれ、怒りは対象を打ち消し、拒み、否定し、破壊するエネルギーである。
 怒りを発すれば、その被害を最も深く、強力に受けるのは、自分自身である。
 病む。怪我をする。心が傷つく。関係が壊れ、情況が悪くなる……。
 愚か者は、よく怒る……。