(1)眼鏡の汚れを拭けば拭くほど、顕微鏡の倍率を上げれば上げるほど、微細なものまで鮮明に見えてくる。
 心がきれいになればなるほど、自分の心の汚さ、未熟さが見えてくる。
 心が真っ黒な人ほど、自惚れる……。

(2)煩悩に汚れた心を自覚しても、浄らかになりたいと願っても、怒ってしまうし、妬んでしまうし、貪ってしまう……。
 溜め息をつきたくなるが、心の成長というものは、ゆるやかに、しずしずと進行していくものだ。
 上手くいかないから練習があり、修行がある。
 心は、必ず変わっていく……。

(3)完全に不要になったゴミを捨てる瞬間に、怒りはない。
 執着が何もない「手放し」の感覚が、仏教の引き算だ。
 獲得すれば獲得するほど、束縛と苦しみとエゴ感覚が肥大していくことに気づかない無明。
 足し算の貧しさ、引き算の豊かさ……。

(4)「よーし、いいこと聞いた、やってみよう」と、猿真似をすると上手くいかないものだ。
 期待と欲でワクワク、ギラギラしている人には、無心に行なった人の「捨」の心がない。
 ビギナーズラックが起きるときの要因の一つだろう。
 余計なことは何も考えず、「一所懸命、淡々と」できますか?

(5)ヴィパッサナー瞑想を実践して2ヶ月だが、3つの効果があったという。
 ①仕事が速くなった。
 ②クレーマーに怒鳴られる業種なのに、自分だけ激減。
 ③苦手な上司と理解し合えるようになった。
 ①はサティの効果。②は慈悲の瞑想。③は①②の相乗効果で自己中心的な見方が変化したから、と解釈される。

(6)壊れた水道のように、四六時中思考が止まらないのが人の基本設定だ。
 集中し、サティを入れ、思考の止まった静かさを味わう。
  さらに、後悔を、自責の念を、恨みを、抑圧された闇を手放すと、心はいちだんと静かになる。
 雑念のない清潔、深層の心も浄らかにした自信と安息、深められる瞑想……。