(1)
★速歩の歩行瞑想をしながら夜道を歩いていると、突然高笑いが耳に入り、反射的に「聴覚」とサティが入った。
自分が嘲笑されたのか…という印象が形成されかけたが、強引に断ち切られたと感じた。
ラベリングの言葉は概念だが、それ故に、心に生じようとする概念を消し去る「対消滅」の威力がある……。
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(2)
★ヴィパッサナー瞑想は、エゴの妄想に毒された人類のための技法である。
事実をありのままに知覚するだけなら、ゴキブリも金魚も普通にやっている。
妄想を排除して知覚した瞬間、どのようにラベリングされ認識されるかが問題だ。
ガチャン!
「音」か、「(割れた)イメージ」か、「驚いた」か……。
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(3)
★ラベリングなしのサティでも、現在の瞬間に気づくことができる。
一瞬でも言語脳を使うと、集中を高める仕事がやりづらいと感じる人も少なくない。
身体感覚への気づきはそれでも良いが、微妙な心の動きや意識の流れになると、ラベリング無しのサティでは認知が曖昧になり洞察智が生じにくい……。
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(4)
★法としての事象がありのままに知覚されても、ゴキブリに悟りの智慧は生じない。
危険か餌かに機械的に反応する単純なプログラムでは、事象の本質が洞察されることも、煩悩が全捨てされる衝撃の体験にもなり得ないからだ。
一瞬の経験が、どう認識されたか…。
同じ音、同じ匂いを感じた瞬間、凡夫のラベリングと聖者のラベリングが同じだろうとは思えない……。
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(5)
★認識が確定すると、心は次の瞬間に注意を向ける。
ガチャン!
① 中心対象の感覚に戻るのか、②花瓶を壊した連想に反応するか、③驚いた自分に違和感を持つのか。
一瞬の経験とその認識が、次の瞬間の反応に影響を及ぼす構造……。
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(6)
★瞑想対象に集中しようと必死になっていると、なぜか力んでいる自分の姿が俯瞰され、ハッと我に返ることがある。
サティが本来の機能を取り戻した瞬間だ。
集中にこだわり、ガチガチだった全身からフッと力が脱け、やわらかく緩んでいく。
この脱力の瞬間を「軽安(きょうあん)」という…。
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(7)
★歴史を学び、夢と希望に向かう人もいるし、トラウマに苦しみ、将来不安の妄想で自滅する人もいる。
想像力を持たないチンパンジーは、「今、ここ」だけに心を使いきり、過去を恨まず、未来に絶望することもない。
妄想を止め、サルの脳で経験し、ヒトの脳でラベリングするヴィパッサナー瞑想……。