1月号
(1)人は、なぜ瞑想するのだろうか?
なぜ瞑想は、孤独になって、森の中で、樹の下で、廃屋で、自分と向き合うのだろうか?
・・・瞑想会へ行ってみるか。
(2)欲しかったものが手に入り、欲望が満たされたときの幸福感。
人のお役に立つことができた。
人に心から喜んでもらえた。
あなたのお陰です、と感謝されたときの幸福感。
ゲットする幸せがあり、与える幸せがある。
成熟するということ・・・。
(3)合宿の最後は、沈黙行から解放された瞑想者が、簡単な自己紹介をしながら互いに親睦を深め合う。
ご家族を喪って瞑想に出会うまでの経緯が淡々と語られ、感銘を受けたこともある。
なぜ、これほどの悲しみを、かくも静かに伝えられるのか。
客観的な事実のみが呈示され、叙情が抑制されているゆえに、語り手の胸中への共感が深まり、心を打たれた・・・。
(4)修行が始まるや一斉に沈黙行が布かれ、誰もがサティの瞑想に没頭していく。
一日のどこかで必ず慈悲の瞑想をするのも義務化されている。
参加者全員が、他の全員に対して慈悲のバイブレーションを互いに放射し合っている状態。
一言もしゃべらず目も合わさず挨拶もしないのに、優しい沈黙が響いているグリーンヒル合宿の瞑想空間・・・。
(5)自信が持てない人、自己評価が低すぎる人、「慢」の煩悩に悩まされている人、正確な自己イメージが捉えきれない人たち・・。
エゴ感覚を手放し、因果の流れに我が身をゆだねきった人もいる。
いつでもどの瞬間にも、諸力に支えられ理法に貫かれた一挙手一投足・・と心得た人の静かな自信。
(6)子供の前で、夫婦喧嘩するほど、愚かなことはない。
子供の心を傷つけ、親が嫌いになる理由の1番か、2番・・。
(7)ともかく、そういうことが、起きてしまったのだ。
受け容れる覚悟を定めれば、経験の意味が変わり始める。
知識も経験知もあらゆる情報が、決意した方向に向かって結晶していく・・・。