(1)赤裸々な感情を露わにするのが憚られる場面ではサティを入れ、冷静に、淡々と振る舞えたら素晴らしい。悲しみに浸りたい時には敢えてサティを入れず、心おきなく泣けばよい。自分自身を自在にコントロールし、なすべきことをなしていく。その拠りどころとなるヴィパッサナー瞑想……。
(2)……と、達観している人のサティ。いつ終わるともなく浮上してくる心の現象に「欲」「落胆」「失望」とラベリングしながら、際限なく一時停止をかけ続けるサティ……。
(3)世間では運命と呼ばれる「宿業(過去世のカルマ)」によって、人生の流れも寿命もおおむね決まっている。今この瞬間の意志が新たな業を作り、その流れを微妙に変えていく。調整はできるが、ほぼ決定された人生……。
(4)人格がととのい、反応系の心の汚染がなくなり、思考を止め判断を停止して、ただ一瞬一瞬の事象をありのままに受け容れていく……。
(5)同じエネルギーを出力をしても、対価の全額をもらえる人と、借金が天引きされてしまう人がいる。願いを叶える人も、努力の報われない人もいるのが業の世界だ。我が身に起きた事柄を、苦は苦のままに楽は楽のままに、ことごとく受け容れて感謝を捧げ、業の世界からの出離を目指す人達……。
(6)瞑想は、孤独ないとなみである。樹の下で、洞窟で、廃屋で、自分自身と向き合わなければならない。人と群れていてはならない。おしゃべりをしていてはならない。だが、人は独りでは生きていけないのだ。瞑想と孤独……。
(7)もう後戻りしない、揺るぎない反応系の心が確立されるまでは、自転車のペダルを踏み続けて坂道を上っていくと覚悟する。