(1)望むままに、自由に、奔放に、生きていく人生もある。
与えられた運命に、淡々と従いきっていく人生もある。
さしたる違いはない……。
(2)自然に放置すれば、全てのものが散らばって、混沌とした無秩序に向かっていこうとするのが存在の世界だ。
その基本的傾向に逆らい、有機的に結晶した秩序ある状態を維持しようとするのが生命活動である。
壊れていこうとする力に逆らい、抑制をしなければ、生きていくことはできない……。
(3)過食をすれば体が濁り、眼も耳も鼻も味覚も身体感覚も鈍重になり、すべてが物憂く、どんより、ボンヤリ、どうでもよいと投げやりになって、眠気に引きずり込まれていくのに抗う気にもなれない……。
坂道を転がり堕ち始めていく最初の無明……。
(4)食欲がきれいにコントロールできると、体がスッキリと整い、心も透明に澄みきって、瞑想のクオリティが格段によくなってくる。
「ああ、この状態を保っていきたい……」と誰もが望むのだが、必ず気がゆるんで、節度を失う瞬間が訪れる。
寄せては引き、引いては寄せながら徐々に潮が満ちてくるように、一直線の右肩上がりは、あり得ない。
(5)「膨らみ・縮み」とサティを入れ、「離れた→進んだ→着いた」とラベリングする。
技術的にサティを入れることはできても、エゴを対象化し、どこまで自己客観視が できているかは千差万別、ピンからキリまでの個人差がある。
心が本当に成熟し、人格が完成してくるのに比例して、エゴレス度が深まっていく……。