(1)可愛い自分にも嫌な自分にも、法としての実体はなく、エゴ・イリュージョン(幻想)というか、「自我感」というただの印象に過ぎない。
サマーディとサティが高度なレベルで連動したヴィパッサナー瞑想が、その実状を目の当たりにする。
(2)本当は、誰よりも自分が可愛いし、自分さえ良ければよいと思っているのに、激しく自分を否定し、嫌悪する日々……。
(3)エゴ意識があるので、他と比べてしまう。
高慢になって、人を見くだす。
卑下慢になって、落ち込む。
劣等感を引きずれば、四六時中、何をしていてもネガティブ思考がチラチラと蒸し返され、意識の水底を引っかき回して濁らせる……。
集中が悪い。
サティが空振りする。
修行が進まない……。
(4)他人を意識した瞬間、比べる心が働いていただろう。
不安を感じた瞬間、心は未来に飛んでいたのだ。
緊張した瞬間、成功へのこだわりがあったのではないか。
余計なことを考えて集中が破れた分だけ、その瞬間のパフォーマンスが乱れる……。
(5)正しい技法と習得への情熱があれば、道を極めていくことができる。
ブレることなく専念するには、なぜ、そうするのか、自分はどう生きるべきなのか を心得ておかなければならない。
宿業や運命の押しやる力と自らの自由意志がきれいに重なった時、人は輝く。
まず、現状に気づくサティ!
(6)どの分野でも、名人の域に達した人の脳活動を調べると、ごく一部の脳領域しか使われていないという。
素人や初心者ほど、どこに、どう注意を注ぎ、何を、どうすればよいのかが分からず、力いっぱい余計なことをしてしまう。
なすべきことを正しくなすには、どうしたらよいのか……。