(1)苦しむだけの人生にも意味がある。
 苦受を感じる一瞬一瞬、消えていく不善業のエネルギーがあるからだ。

(2)イヤだ、嫌だ、と言いながら、本当は、そのドゥッカ(苦)が好きなのではないか……。

(3)後になれば夢のようだと得心がいくのに、その渦中にいる時は、本気モードで反応しながらしっかり業を作ってしまう。
 ……どうすれば良いのか。
 反応系の価値観や人生観が根底から変わるまでは、サティの技術に支えられていく……。

(4)苦受の多い日々であっても、楽受が多くても、この世のことはただそれだけのことであって、過ぎ去ってしまえば夢のようだ……。

(5)業の理論上、来るべきものは来るし、原因が組み込まれていないものは、発生しようがない。
 エゴの判断基軸を捨て、理法に一切を託し、悠々と流れに従っていけばよい。

(6)この世の一切を捨てていくのが原始仏教の究極の方向だが、ものごとを手放してい くのには順番がある。
 心が完全に納得了解した上で一つひとつトドメを刺していけば後戻りがない。
 それゆえに自分の現状にありのままに気づいて、在るものは在る、無いものは無 い、今は無いが再び現れるものは現れる……と正しく知らなければならない。

(7)世界最大の魚ジンベエザメとゴキブリの赤ちゃんでは、体の大きさも食べるものも 棲む場所も寿命も違っているので、優劣を競ったり、 見下したり、嫉妬し合うのは 滑稽だろう。
 そのように、人は誰も、長い輪廻の中で積み重ねてきたカルマと諸々の因縁因果が 異なるのだ。
 エゴ妄想で強引にまとめれば、苦が発生する……。