(1)ネガティブな情況の流れを静かに受け止めているのか、否定的なものの見方と反応の結果を自ら具現化させているのか?
 どうしようもない嫌なことに巻き込まれたのではなく、無意識に自分の望んだことが起きているのではないか。
 悲観と負のスパイラルの中で、業が帰結し、新たな業が作られていることに無自覚な人……。

(2)チワワからセントバーナードまで、これだけ色も大きさも顔も形も異なるのに、同じ「犬」として一つにまとめてしまう。
 その能力が、万物の中に無常の法則を洞察させるのだろう。
 いつまでも昔のことを恨み、邪推し、将来不安に怯えながら暮らす、妄想の地獄も手に入れてしまったが……。

(3)人は、「理不尽」と感じた時と「自分が正しい」と思ったとき、最もよく怒る。
   因果論を徹底的に理解すると、「起きたことは全て正しい」という意味が腹に落ち るだろう。
   すると、怒りに気づいて抑止するのではなく、怒りという反応そのものが激減する。
   愚か者は、よく怒る……。

(4)ツイッターの原稿を書こうとタブレットに触れた瞬間、いきなり操作不能となり アッという間に初期化されてしまった。
   再使用可能となるまでの煩わしさを思い、一瞬、呆然としたが、冷静だった。
   時間を空費する不善業が現象化したのだろう。
   腹が括れていれば、嫌悪も失望もあり得ない。

(5)聖者でない限り、不善業を作ってしまう瞬間も悪意が浮かぶ一瞬も、悲しいかな、 無くすことができない……。
   人生苦を受ける原因をゼロにはできないのだから、この世は一切皆苦の構造であり 続けるだろう。
   のみならず、久遠の過去世からの負債はいかばかりか。
   解脱するしかない……。

(6)なぜ、あの人に……と首をかしげたくなるような事に襲われるのが人生だ。
   だが、現象が生起したからには、相応のカルマを作った瞬間があったはずである。
   お釈迦様ですら、罵られたこともハメられたことも足指に棘を刺したこともあった のだ。
   起きたことは全て、引き受けていく覚悟……。