本欄では、本誌2008年2月号から連載されましたアチャン・チャー長老による1978年レインズでのリトリートの半ば、夕べの読経の後に行われた新参の修行僧を対象とした非公式の法話(悟りの道への出発)を掲載しています。今月はその第7回目です。

覚りの道への出発

8.結び目を解く
 サマタ瞑想により落ち着きを得ると、心は透明で輝くようになります。心の活動はよりいっそう少なくなります。心に浮かぶ様々な印象がより少なくなります。このような時には強い心の平穏と幸福感が現れます。この事福感に執着してしまうこともあるかもしれませんが、幸福もまた不確実なものであるとみなすべきです。また不幸も同じく不確実で永久には続かないとみなければなりません。感情は全て永続するものではないから、執着すべきものではないとわかるでしょう。智慧のおかげでこのように物事を見ることができるのです。物事はすべてその性質に応じて存在するだけであると理解するのです。
 このように理解することは、縄の結び目の一端を手にするようなものです。正しい方向に引けば結び目は解け、もつれが取れ始めます。結び目はもはやそれほどきつくもなく、張り詰めてもいません。結び目は必ずしもきつく締まっている必要はないと理解することもできます。これまでは、物事は常に期待される通りでなければならないと考え、そのため結び目をよりいっそうきつく締めていたのです。
 この結び目の緊張が苦しみです。このように緊張して生きることはとても窮屈です。だから結び目を少し緩め、リラックスするのです。なぜ緩めるのでしょうか。なぜならきついからです。執着がなければ結び目を緩めることができます。結び目はいつもきつく締まっている必要はありません。
 私たちは無常の教えを拠り所とします。幸福も不幸も永続的なものではないと見ます。変わらないものなど何一つありません。このように理解することで、心に浮かぶ様々な気分や感情を絶対的なものと思い込まなくなり、それにつれて私たちの誤った理解も減っていきます。これが結び目を解くという意味です。結び目はどんどんゆるくなります。執着は徐々に根絶やしとなるのです。

9.幻滅
 自分の身体や心、この世に「無常、苦、無我」を見るようになるとある種の退屈が生じてきます。これは何も知りたくない、何も見たくない、あるいは誰ともかかわり合いたくないという日常的な意味での退屈とは異なります。これらは執着を伴っており、真の退屈とは言えません。私たちはいまだ嫉妬や拒絶の感情を持ち、苦をもたらす物事に執着しているので本当の退屈がわかりません。
 ブッダが説かれた退屈は怒りや欲望を件いません。一切は無常であると見ることから生じるものです。心に楽しい感情が表れても、それが長続きしないと見ます。これが、ここで言う退屈です。それを厭離(nibbidā)ないし幻滅と呼びます。官能的な貪りや衝動とは懸け離れたものであることを意味します。何も欲に値するものはないと見ます。好みに合おうと合うまいと、物事を自分と同一視することがありません。物事に特別な価値を置かないのです。
 このように修行実践すると、物事が苦の原因となる土台が崩れます。私たちは苦を見てしまったのです。感情を自己と同一視することは真の幸福をもたらさないということを見たのです。感情を自己とみなすことは幸不幸、好き嫌いに執着するということを意味します。そしてそれが苦の本質的な原因なのです。執着を続けている間は、偏見のない心で物事をみることができません。ある心の状態を好ましいと思い、他の心の状態を嫌います。好き嫌いを続ける限り幸福も不幸も苦しみの原因となります。執着が苦しみをもたらすのです。
 ブッダは私たちに苦しみをもたらすものは何であれ本質的に不完全なものであると教えられました。

10.四つの聖なる真理(四聖諦)
 このようにブッダは苦しみを知り、苦しみをもたらす原因を知ることを教えられたのです。
 次に知らなければならないのは苦しみからの解放と、解放に至る修行法です。ブッダはこの四つの真理を知ることを説かれたのです。この四つの真理を理解すれば、苦しみが起こった時にその本質を知り、苦しみに終わりがあるとわかるでしょう。苦しみがただ舞い込んできたものではないと知るでしょう。苦しみから解放されたいと願うとき、その原因を取り除くことができるようになるでしょう。
 なぜ私たちは苦しみ、満たされないという感情を抱くのでしょうか。それは私たちが好き嫌いの感情に終着するからだと分かるでしょう。自分自身の行為のために苦しんでいることが分かるようになります。物事に価値を置くことによって苦しむのです。ですから、苦しみを知り、苦しみの原因を知り、苦しみからの解放を知り、苦しみからの解放に至る道を知りなさいと言うのです。
 苦しみを知ることで、私たちは結び目のもつれを解き続けます。しかし結び目を解くためには正しい方向に縄を引かなければなりません。
 つまり物事はただあるがままに存在しているだけだということを知らなければなりません。そうすれば執着は引き裂かれてしまうでしょう。これが苦しみに終止符を打つ修行です。
 苦しみを知り、苦しみの原因を知り、苦しみからの解放を知り、苦しみの無い状態へと至る道を知る、これが道(magga)です。正しい見方(正見)、正しい考え(正思惟)、正しい言葉(正語)、正しい行動(正行)、正しい職業(正命)、正しい努力(正精進)、正しい先づき(正念)、正しい集中(正定)が道です。この八正道を理解することが正しい道であり、それにより苦しみを終わらせることができるのです。八正道が正しい行いと集中と智慧(戒・定・慧)へと私たちを導くのです。
 私たちはこの四つの真理を明確に理解しなければなりません。理解したいと思わなければなりません。自分の目で観察したいと思わなければなりません。この四つの真理を観察することは真理の法(sacca dhamma)と呼ばれます。内を見ても前を見ても右を見ても左を見ても、見えるのはすべて真理の法です。すべてがただあるがままに存在しているだけだと見るのです。法に達した者、法を真に理解した者にとっては、どこへ行ってもすべてが法なのです。(了)