四聖諦(一)
―象の足跡―
ブッダの教えの記録は膨大にあります。しかしこれらの教えはすべて一つの枠組み、すなわち四聖諦の教えに入れることができます。ブッダは四聖諦を“象の足跡”に例えています。象の足跡に他の動物の足跡、例えば虎、ライオン、犬、猫などの足跡が入ってしまうように、ブッダのさまざまな教えはすべて四聖諦という一つの枠組みに組み込まれてしまいます。
ブッダは、「四聖諦を理解することは悟りを得ることと同じである」と明言しています。「ブッダが世に現れるときは、四聖諦の教えもそこにある」ともおっしゃられます。ダンマ(真理)は四聖諦を世に知らしめるためにあり、悟りへの道を歩む人たちが目標とすべきことは四聖諦を自分自身で理解することです。
四聖諦とは以下のものです。
1.苦の真理
2.苦の原因に関する真理
3.苦の消滅に関する真理
4.苦から解脱への道に関する真理
「苦」(ドゥッカ)という言葉はしばしば苦難、苦痛、不幸というふうに解釈されます。しかしブッダの言われる「苦」にはもっと広くて深い意味があり、すべての存在、命を持ったものすべてに根ざしている根源的な不満足感を示しています。その不満足感は、命を持つものはすべて変化し、無常であり、内に核となるものや本質的なものを持っていないために生じます。「苦」という言葉は完全さの欠如、つまり理想や期待にかなわない状態を表しているのです。
「四聖諦」のそれぞれが深い意味を持っています。それは医者の処方箋のようなものです。
Ⅰ.第一の聖なる真理 ―苦(ドゥッカ)―
ブッダはさまざまな苦の実態を示すことによりこの真理を説明しておられます。
1)誕生
誕生とは、一般的には妊娠から子宮から出てくるまでの期間全体を意味しています。誕生する時にはそれ自体が苦痛の経験となります。選択の余地なく、何も分からずに子宮から押し出されこの世に投げ出されることはトラウマ的な体験です。以後、生涯続く苦の始まりですから、誕生は苦です。誕生後に成長が始まりますが、それもまた苦を内包しています。
2)老い
成長が頂点に達すると老化が始まります。肌はしわが寄り、歯は抜け始め、感覚器官は鈍くなり、髪には白いものが混じり始め、記憶力は衰え、活気が失われます。
3)病気
肉体的なものであっても精神的なものであっても、病気は苦痛です。
4)死
最後には死がやって来ます。肉体が壊れ生命力が消滅することは苦痛です。
5)悲しみ・悲嘆・苦痛・悲痛・絶望
悲しみとは何かの喪失に伴う激しい苦悩、悲嘆は涙を流して泣くこと、苦痛とは肉体的な痛み、悲痛とは精神的に不幸なことすべて、絶望とはすべての望みを諦め、精神的苦痛が極限に達した状態です。
6)不愉快なこととの出会い
さまざまな不愉快な状況や本来なら会いたくない不愉快な人たちとの遭遇は、自分の意志に反して起こると苦になります。
7)心地よいものとの別れ
喜びを感じる心地よい状況があり、会いたい人々もいます。私たちは、会いたい、それがずっと続けばよい、ずっとつかんでいたい、関係を持続させたいと思っています。その喜びを感じる、心地よい状況や人々との別れに直面することは苦です。
8)望むものが得られないこと
通常私たちは喜び、富、名声、賞賛を望みますが、苦痛、貧困、不名誉、非難を得ることがあります。若さを保ちたいと思っても年老いてゆき、健康でいたいと思っても病気になります。これらすべてが苦です。
ですからブッダは簡潔におっしゃっています。「つまり、執着を作る五つの集まり(五蘊)は苦である」と。
ブッダはこの言葉で、私たちが経験するすべてのことに苦が含まれることを示しておられます。五つの集まり(五蘊)とは私たちの経験を作り出している基礎的な構成要素で、五種類あります。それは物質的な形をもったもの、感覚、知覚、心の形成力、意識です。(色・受・想・行・識)
「形をもったもの」とは感覚器官を備えた肉体をも含み、他の四つは心の作用に関するものです。
なぜこれらすべてに苦が含まれるかというと、すべてが無常であり、瞬間瞬間、変化するからです。事実これらはすべて一瞬の出来事であり、内なる核がありません。「私自身」と言っているものは瞬間、瞬間変化している要素の組み合わせにすぎないのです。要素の組み合わさったものが誕生し、老化し、やがて死ぬのです。
―深い部分での苦―
苦とは一般的に言われている苦難以上の意味があることを明確にするために、ブッダは苦をその深さの程度に応じて三種類に分けておられます。
1)一般的に言われている苦
身体的、精神的な苦痛。
2)変化(無常)という苦
これは感覚による苦から一歩深い段階にあるものです。この段階では、心地よい経験もすべて苦であると理解されます。なぜかと言うと、それらも変化を免れ得ないからです。
ただし、苦は心地よいものが変化することで生ずるという意味ではありません。心地よい経験自体、喜びを与えるものは、たとえ今それを楽しんでいたとしてもすでに苦なのだという意味です。
健康は病気に蝕まれます。よって今健康であったとしても、健康という状態は苦なのです。若さは老いにとって代わらざるを得ないために、若さは苦であり、不満足が内在しているのです。
3)条件付けられた心の形成力(サンカーラ)という苦
これは、ブッダが「執着を作る五つの集まり(五蘊)は苦である」と言われた時に語ろうとしていたことです。私たちの個別性とは、条件によって左右される現象の組み合わせにすぎません。条件によって左右される現象はすべて無常であり、常に変化の過程にあります。その結果、それを支配したり制御したりする力は私たちにはなく、現象は勝手に変化していきます。知恵ある人にはそれが苦として経験されます。(続く)
比丘 ボーディ『四聖諦』を参考にまとめました。(文責:編集部)