四聖諦(五)
(7)正念
正念(正しい気づき)をもって生きることは、幸福と精神的成長にとっての基礎です。それは大いなる祝福であり、最も大きな力によって護られることです。人間は概してある程度の気づきは持っているものです。しかしそれは多分に散漫なものなので、正確には正念と呼べません。
正念は、簡単に得られるというわけにはいきません。良いものは簡単には手に入らないのです。正念を発達させ身に着けるには、大きな努力と決意と自己献身を必要とします。正念とは「今の瞬間に心を留めておく」ことです。これは何かの仕事をしている時に、その行為に完全に気づき、マインドフル(註)であることを意味します。
例えば歯を磨く時は磨いていることに注意を払い、その過程を見守り、考えごとが入り込んでくるのを許しません。食べる時は静かに気づきながら食べます。食事中におしゃべりすれば、それは気づきが抜けているということです。
この二つの単純な例を取って見ても、正念をもって生きることは、そんなに簡単ではないと分かります。同時に二つや三つのことを行うのは良い技量とは言えず、不器用なことです。一度に一つのことを行うのが本当の技量であり本当の達成です。
正念を発達させるには、決意が必要です。単純な訓練をこつこつと実践していくと、次第に進歩していきます。特に、内面的なものに気づいていることが必要です。ほとんどの人は外面的なものに注意を向けますが、幸福を得たければ心の内側を見るべきです。
内面的なものとは、次のものを意味します。
(1)身体に気づく(身)
(2)感覚に気づく(受)
(3)心の状態に気づく(心)
(4)心の内容に気づく(法)
これらは、気づきにおける四つの基礎です。気づきながら生きる人が頼りとする四つの領域です。これらの能力を入念に発達させ続けると、自分を護る大きな力の源となります。
正念を十分に発達させると、人は何をすべきかすべきでないか、あるいは、話すべきか話すべきでないかを知るようになります。話す時は、何を話し何を話すべきでないかが分かってきます。正念は、知識と智慧と満足を得て最上の幸福へと向かわせます。それは八正道を成長させるための基礎です。
(8)正定
正精進と正念という要素は、八正道の八番目にある正定(正しい集中)の成長を目的としています。正定は、心を一つの対象に向け、心を統一することと定義されます。集中力を高めるためには、普通一つの対象物から始め、心が他のものに揺れ動くことがないようその対象物にしっかりとつなぎ止める訓練をします。
正精進によって心を対象物に集中し続け、正念によって集中の障害となるものに気づきます。そして障害を除去することに努め、集中力が強くなるのを助けます。繰り返しの訓練により、心は次第に静かに穏やかになります。さらに訓練を重ねることにより、禅定と呼ばれる深い専心状態に至ります。
静止した心 ―智慧の入り口
心が静止して落ち着いている時、洞察力が発達します。正定が成長し心が洞察のための強力な道具を得ると、静止した心の中に、気づきの四つの基礎である身体と感覚、心の状態と心の対象が熟視されます。
心が身体と、心に起こっている過程の流れを調べていくにつれ、瞬間瞬間の流れに同調していきます。そして少しずつ段階的に洞察が生まれます。洞察は、発達して成熟し、深まって智慧へと変容します。それは、解脱をもたらす智慧、四聖諦を洞察する智慧です。
発達の最高点にあっては、四聖諦を直接に即時に経験することになります。それは、煩悩の消滅、心の浄化、束縛からの心の解放をもたらします。
その名が示すように、聖なる八正道は八つの要素により構成されています。八つの要素は、順に連続して行う必要はありません。それらは同時に働く八つの要素から構成されています。それぞれの要素は独自の働きにより、その独特の方法をもって苦の終焉を達成することに貢献しています。
※訳注:マインドフル(mindful)はパーリ語、「サティ(sati)」の英訳です。一般的には「気づき」と訳されますが、次の三つの意味を含んでいます。
(1)気づき
(2)注意深さ
(3)熱心さ
これらすべてを一つで表せる訳語が見当たらないので、「マインドフル」のままにしておきます。
比丘ボーディ『四聖諦』を参考にまとめました。(完)(文責:編集部)