四聖諦(四)
(3)正語
 正語は4つの面を持っています。
 1)偽りの話しをしないこと。つまり嘘をつかないこと。その代わりに真実を話す努力をします。
 2)悪意のある話しをしないこと。人々の間を分かつ言葉や、敵意を生じさせる話しをやめます。その代わりに、道に従う人は常に人々の間に友情や調和を作り出すような言葉を話します。
 3)租野な話しをしないこと。すなわち、怒りから出た言葉や、とげのある言葉をやめ、他人の心にナイフで切りつけるようを言葉をやめることです。その代わりに、柔らかく、優しく、慈愛ある話しをします。
 4)むだ話、うわさ話をしないこと。その代わりに意味のある話、重要な、目的を持った話をします。

 これらのことは、話すという能力にとても大きな力が秘められていることを表しています。舌は身体に比べればとても小さを器官ですが、この小さな器官は、それをいかに使うかによって大きな利益や大きな害を作り出す結果となります。もちろん私たちが実際に習熟しなければならないのは、舌ではなく舌を使う心の方です。

(4)正業
 この要素は身体的を行為に関係しており、三つの面を含んでいます。
 1)生命の破壊をしないこと。つまり他の生命を殺さないことです。その中には動物や他の、感覚を持つ生き物すべてが含まれています。狩猟や釣り等もやめることです。
 2)与えられていないものを取らないこと。つまり、盗みや騙し、他人からの搾取、不正直、不法な手段による富の獲得をしないことです。
 3)性的な不道徳をしないこと。つまり不倫や誘惑や強姦のような不法な性的関係を持たないことです。そして出家した僧にとっては独身を守ることです。

 正語と正業の原則は否定的な表現で言い表されていますが、少し振り返ってみると、積極的な心の要素は、自制することと共に大きな力を伴い一緒に進むことを示しています。たとえば、
 1)命を取らないことは他の生命の苦しみへの共感を持ち、尊重することへの誓約です。
 2)盗まないことは正直さと他者の所有権を尊重することへの誓約です。
 3)嘘をつかないことは真実を語ることへの誓約です。

(5)正命
 ブッダは弟子たちに、生命を害し苦しめるような職業や仕事、あるいは、自分の精神が堕落するような仕事を避けるようにと説いています。正直に、害のない平和な方法で生計を立てるべきです。
 ブッダは五つの具体的を避けるべき職業を述べています。
 1)生きた肉を扱う仕事
 2)毒を扱う仕事
 3)武器や兵器を扱う仕事
 4)奴隷取引や売春を扱う仕事
 5)人を酔わせる酒や麻薬を扱う仕事
 ブッダはまた、人を騙したり、嘘をついたり、押し売りをしたり、ごまかしたりして収入を増やそうとするどんな不正直な行いも避けるべきであると説いています。
 これまで述べてきた三つの要素、正語・正業・正命は、生きる上での行動の指針に関することでした。次の三つの要素は、心を訓練することに関するものです。

(6)正精進
 ブッダは正しい努力によって心の訓練を始めます。道を実践するには、労力と活力と努力が必要なため特にこの正精進を強調しています。
 ブッダは救世主ではありません。彼は、「目覚めた人は道を示す。弟子たちは自ら励み努めなさい」と述べ、さらに続けます。「目的地は、励む者のためにあり、怠け者のためにあるのではない」。
 ここに仏教の大いなる楽観主義があります。この楽観主義によって、仏教は悲観主義であるという非難はすべて論破されます。
 ブッダは、「正しい努力を通して、私たちは人生の全構造を変えることができる」と述べています。私たちは、過去の条件によって作られてしまった希望のない犠牲者ではありません。遺伝子や環境の犠牲者でもありません。精神的訓練によって、心を智慧と悟りと解放の高みへと引き上げることができます。
 正精進は、四つの局面に分けることができます。心に生じる状態を観察してみると、善い心の状態(善心所)と、不善な心の状態(不善心所)という、二つの基本的状態に行き着くことがわかります。不善心所は煩悩、すなわち貪欲、嫌悪、迷妄と、それらの派生物を根源とする心の状態です。
 善心所の方は、八正道や四念処や七覚支のような、育て高めて行くべき徳の資質から構成されています。これら善心所と不善心所のそれぞれを見てみると、私たちがなすべき仕事が二つずつあります。合わせて四つになる正精進は、次のとおりです。

 1)未だ生じていない不善心所が生じるのを防ぐ努力
 心が穏やかな時に、煩悩が生じるきっかけになる何かが起こることがあります。例えば、快いものに対する執着、不快なものに対する嫌悪などです。この感覚を見守り続けていると、煩悩が生じるのを防ぐことができます。貪欲や嫌悪で対象に反応することなく、単に対象に気づきを入れているだけで良いのです。

 2)すでに生じた不善心所を手放すための努力
 すでに不善心所が生じていたら、生じた煩悩を消し去ることです。煩悩が生じているのを見つけたら、それを消し去ることに努力を傾けます。これにはいろいろな方法があります。
 3)未だ育っていない善心所を育てる努力
 私たちには心の中にしまってある、たくさんの美しい潜在的素質があります。これらを心の表に出すようにしなければなりません。例えば、慈しみや他者の苦に対する共感などです。
 4)現に存在する善心所をさらに強化し育成する努力
 私たちは、自己満足に陥ることを避けなければなりません。そして、善心所を保つ努力と、それらを充分に育て完成させるために発達させる努力をしなければなりません。

 正精進についてはさらに注意すべきことがあります。心とはとても精密を器械であり、それを発達させるには、さまざまを精神的要因の正確な調和を必要とします。どのような種類の心所(心の状態)が現れたかを理解する鋭い気づきが必要ですし、極端な方向に脱線することを避け、心の調和を保つためにある程度の智慧も必要です。それが中道を歩むということです。
 精進においては、心を疲れさせないようにすることと、もう一方で停滞することのないよう、調和をとることが必要です。「リュートで美しい音楽を奏でるためには、弦を強すぎず、ゆるすぎず張らなくてはならない」とブッダは述べています。
 道の実践も同じようなものです。修行の道は、精進(努力)と静寂(定)とを調和させて、中道を行くものです。(続く) (
 比丘 ボーディ『四聖諦』を参考にまとめました。(文責:編集部)